(家三)





佐吉。
秀吉様と半兵衛様のお二人以外から名を呼ばれることはあまりなかった。でもいま確かに、目の前で屈託なく笑う子供からその名を紡がれた。自分という個を認めてもらえた気持ちになり、すごく嬉しかった。が、それを顔に出すことは憚られた。それでも子供は続けた。佐吉、佐吉、佐吉。煩い、聞こえている。見せ掛けの、本心を隠す為の虚勢を見せてやっても、其れは人懐こく、佐吉、佐吉、と名を呼んだ。ああ、耳は欲しているのだ、この、我が名を呼ぶ声を。


「佐吉、お前の名は美しい。そしてお前もまた名に恥じぬくらいに白く透き通った輝きを持つ。わしは離したくない、だから何があろうとお前を離さない。そうだ、どんなことがあってもだ。信じてくれ、佐吉。お前に誓おう」


重ねられた手は、秀吉様とも半兵衛様とも今までに触れた者達とも違う。大きな可能性が秘められた暖かい手だ。この手が自分を捕えて離さないというのだから厄介な話。ただそれを自分が嫌悪していなかったことが幸い。黒の瞳が真っ直ぐと自分を見て願いを受け入れて欲しいと請うていた。請わずとも、心配などしなくてもよいのに。

私はその手に総てを託したのだ。





(何処で違えた?)

右手には、奴の血でしとどに塗れた刀があった。左手には、全てが終った後の空虚だけが残った。横たわるは家康の亡骸、私の手で屠った一つの障害。

(何処で、何処で何処で何処で)

ぴちゃり。血の池に力無くした右手から抜け落ちた刀が沈む。家康の血だ。私が斬ったその傷口から漏れだしたのだ。脚に、手に、顔に、その血が絡み付いて離さない。この男の、死しても執念深い部分を垣間見た様で、背筋が震えた。
離さないと言ったその手が脅威になった。予想はついていた、覚悟もしていた、端から信じてなどいなかった。謀反だって考えられる範囲内にあった。総てがその手に秘められた可能性の一つだったことくらい知っている。解っている。だけど、ならば、何故、言ったのだ。答えろ家康。御託を並べるその口で、再び私に吠えてみろ。

(なあ、佐吉)



「嘘つき」



夜泣き







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