- 通行人はもちろん、野良犬も危険を察知してふらふらと逃げる。 「そ、それよりいざやくん! わたし、お仕事したです」 小さな天然少女が耐えられぬくらい、その場の空気は険悪だった。 鈴は何とかその空気を和らげようと、とりあえず臨也に手を振りながら語りかけた。 「うん、じゃあおいで。 今日はお祝いにサイモンのところの寿司と、君の好きなケーキでも食べよう」 「はうっ…ケーキ!」 臨也の誘いは少女にとってとても魅力的で、身体を乗り出すほど釣られるのも無理はなかった。 「おい鈴。お前もあのノミ蟲の取り巻きか?」 「“取り巻き”…? わたしはいざやくんの預かり物です。いざやくんのお家でご飯食べて、一緒にお風呂して、一緒に寝るです。たまに遊んでもらうです」 取り巻きという単語にこてんと首を傾げた鈴は、嬉々としてそう話す。身体は今だ静雄の腕の中だ。 「まあ、そういう事だから。鈴の保護者は俺ってこと! …早く返してくれるかなあ?」 「知らねえよ…!とりあえず手前がロリコンノミ蟲だってことは分かった。 ……死ね!」 癖。とゆうか静雄にとっては本能だ。 気がつけば。 いらついた拍子に、手元にあるもの-つまり少女の身体を投げていた。 「うぃあああああっ!」 甲高い鈴の転がるような悲鳴で、静雄は自らの過ちに気づき、やべえ、と反射的に身体を動かす。 一方鈴は自分の身体が今だかつてないほど吹っ飛んだ感覚に目を見張っていた。 身の回りの世界が、ふわふわ動く。走馬灯というものを初めて体験した鈴の身体はやがて重力に従い、落ちる。 「いざやく…!」 「鈴!」 我ながら久しぶりに焦ったような声だと、臨也は思った。 とん、と柔らかく鈴を受け取ったのは手を広げていた臨也で、伸ばされた静雄の手は空をきる。 「ふおうっ!」 「走るよ」 透き通った小さな呟きと同時に、臨也の細い身体は走りはじめた。 無駄な肉の無い細い腕に抱えられた、同じく無駄な肉の無い、小さな身体はただ黙ってしがみつくのみ。 「鈴っ…」 静雄の目元が、僅かに動く。 後悔と苛立ちの念を複雑に混ぜ合わせたような瞳は、ゆっくりと2人が立ち去る様子を見送った。 「あわ、うわ、こわかった」 先ほどの一弾指。 ほんのわずかな時間の恐怖が身体から抜け切れなくなっていた鈴は、安心を求めてか嗅ぎなれた臨也のコートに顔をうずめたり、甘噛みをしてしがみついていた。 一応、生命の危険におびえる人間性も残っていたのかと、臨也は妙なところで関心を覚える。 「鈴、俺のコートべたべたにしないでよ?」 「わ、分かってるですよ! あ、あの、少しだけ抱っこです。…あ、お仕事のご褒美です!だから降ろさないでくれると至極、歓喜、欣喜雀躍、です!」 無駄に難しい単語の羅列を口走った後、彼女は黙って再び顔をうずめてしまった。 この前頭すれすれを標識が通過しても笑っていた少女が、なぜ今日はこんなにも怯えたのか。 静雄への苛立ちはすでにどこかへ行き、情報屋の頭を支配するのはそのことだった。 * 「で、鈴にはトラウマでもあるのか?」 「あの子の情報の提供は受け付けないと事前に言っただろう? 何だ。あの素敵で無敵な情報屋も、池袋の自動喧嘩人形も、鈴の可愛さに骨抜けか?」 「馬鹿言うな」 九十九屋は、静雄が鈴と知り合った事を知っている時点で、相変わらずの情報網だという事を遺憾無く証明している。 臨也はいつものチャット画面を見つめて苦笑しつつ、少し離れた場所で寿司を食べる鈴を盗み見た。 九十九屋の口調からして、彼もあの幼い少女をそれなりにかわいがっていたようだ。 「いざやくん、お寿司が冷めるです」 「いや、熱かったら嫌だよ」 鈴は自分のマグカップに紅茶を入れながら不思議そうな顔をしている。(インスタントの紅茶のいれ方は、最近習得した) 「じゃあ、例の件は頼んだ」 「明日の夜に送っておく」 折原臨也、死亡! チャットルームから退室した臨也は、寿司を食べている鈴の横に腰を据えた。 「おいしいです、いざやくんー」 そういえば、鈴は出会い頭に自分は記憶喪失であると言っていたことを、ふと思い出す。 「ねえ鈴」 「はいですー」 「これからいくつか質問するけど、良い?」 赤く澄んだ瞳がカチリと見つめ合い、奇妙な間が流れる。 臨也には、鈴の瞳がわずかに揺れたように見えた。 #Storm,sushi and girl's secret (嵐と寿司と少女の謎) 2011/9/10 |