最後に泣いたのはきっと何年も前だ。まだ俺が幸せだった頃を覚えていた時。毎晩一人薄い布団に包まって、意味もなくしくしくと啜り泣いていた。それをしなくなったのは、泣けば泣くほど思い出が薄くなっていったからだと思う。泣かなくなったというよりは泣けなくなったといってもいい。目を閉じる。しかし水分は少しも出てこなかった。


「ピアノ、弾ける?」
皆が個々に買い出しに行く中、俺と円堂は何をするでもなく、倉庫で隣同士に座っていた。お互い何故だか一目につくところは嫌だった。右肩に人の温度を感じ、むず痒くなる。
「少しは」
目の前には、埃を被ったピアノがある。倉庫には他にも色々な古いものが置いてあった。
「何か弾いてくれよ」
円堂は顔に少し笑顔を浮かべて言った。小さく頷き、立ち上がる。ピアノの埃を軽く手で払うと、ふわりと埃が巻き上がった。普段はピアノなんてこんな利益のない事は引き受けないが、今日だけは別に気にならない。
「何がいい?」
イスの高さを調節しながら円堂に言うと円堂は首を傾げた後、不動の好きなのがいい、と言った。鍵盤に指を置く。ピアノは昔、好きだった。指は鍵盤の上を勝手に滑り始め、いつの間にか曲になっていた。この曲は別段好きな曲ではない。世の中ではとても有名で凄く評価されていて、でも余り俺は好きになれない。指は動きを覚えていて、気がつくと終盤に差し掛かっていた。円堂を横目で見ると、彼は俺の指先をじっと見たまま動こうともしなかった。

「どうだった?」
鍵盤から手を離すと、円堂は頬を紅潮させて手をぱしぱし叩いた。それから俺の指を見る。
「すげえ綺麗だった」
ふっと笑いが零れた。ごちゃごちゃ言わない辺りが円堂らしいと思う。
「これは、月をテーマにした曲なんだ。」
昔母に言われた言葉そのままを円堂に伝える。その言葉に、俺の気持ちは篭っていない。
「月の美しさや儚さが表現されてる」
俺は嫌いだけど、と付け加える。円堂はきょとんとした顔になって俺の目を見つめた。
「嫌いなのか?」
「月はこんないいもんじゃねーよ」
布団に包まって見た月は、もっとこれよりくすんでいて、泣いている俺をわざと照らしている様な気がした。それから俺は月が好きではないし、月をまじまじ見たりなんてしない。
「不動は、月みたいだけどな」
円堂は俺の目を見たまま歯を見せずに微笑んだ。意味がわからない、と悪態をつく。円堂はまだにこにこしている。
「何だかんだで優しいから」
そういって円堂は小さなピアノ用の腰掛けに、無理矢理詰め込んできた。円堂の腕の柔らかさと温かさを感じて、背中のあたりの温かさががじいんと広まってきた。円堂の頭に少し寄り掛かって目を閉じると、出そうになった涙をごしごしと拭った。




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