ヒロトは唇をぴっちり閉じてこちらを見ていた。何分沈黙が続いたか分からない。ヒロトが口を開いた時、コーヒーから湯気はもう出ていなかった。
「外に出ないかい?」
濃い青色のジーンズに包まれた足を床につけて、彼が静かに言った。開いている右手は既に上着を掴んでいる。彼の手をそっと離すと、ヒロトは眉をひそめて笑った。紙に垂れた一滴のインクのような、じわじわした笑顔だった。

「どう話せばいいんだろう。上手くまとまらないだろうし、円堂君が嫌だと思ったら話をきってくれて構わないよ。」
舗装された道を歩きながら、ヒロトがぽつぽつと呟いた。夜だからか車の通りも少なく時々ランニングをする人が横切るだけだ。静かな空気は一定の生温さを保っていて、体温と同化しているみたいに感じる。
「…君が言ってる通り俺は基山ヒロトだ。円堂くん、よく覚えてたね。」
明るさをたっぷり含んだ声が耳をすり抜ける。無理矢理作ったその声に、何だか泣きそうになった。
「忘れるわけ、ないじゃないか。」
基山ヒロトは、俺の小学校時代の友人だった。同じサッカークラブに所属していて、サッカーがとても上手な子供だった。しかし、その才能に控え目な性格、そして孤児院育ちということでクラブの先輩は彼をいじめた。俺は毎日泣くヒロトと手を繋いで帰った。その手は、やはり冷たかったことを覚えている。
「…ほんと何て言えばいいんだろう。」
ヒロトが傷害事件を起こしたのは5年生の時のことだった。いつもヒロトを庇う俺に目をつけた先輩が、俺を殴ったのだ。俺はヒロトにそのことを言わなかった。けれど、どこから聞いたのか彼はそれを知ってしまった。
「ごめんね。」
次の日ヒロトは、病院に行かなければならない程の怪我を先輩に負わせたのだ。
「…謝るなよ。」
それからヒロトを学校で見ることはなかった。色々噂が流れたけれど、彼の机が片されるのを見てわんわん泣いたことを覚えている。ヒロトは人を殴る奴ではなかった。俺のために、暴力という大嫌いな手を彼は使ったのだ。それなのに、もう礼を言うことも謝罪をすることも叶わないというのが、本当に悲しかった。
「謝るのは俺なんだよ、ヒロト。」
ヒロトが立ち止まった。赤い髪が街灯にぴかぴか光って、演劇のワンシーンみたいに見える。ぽたぽたと、彼は涙を流していた。砂利の上に落ちた水が、じんわりと色を濃くしていく。
「…円堂くんには謝らなきゃいけないことがたくさんあるよ、あの時君と話すのが怖くて逃げてしまったこと、それから嘘をついたこと。」
鼻をすする音が聞こえる。じじじじ、街灯の周りに集まる蛾がこちらを見ている気がした。顔を上げて、ヒロトをじっと見る。
「俺は、人を殺してないんだ。」
ぽんと投げかけられた言葉は、予想していた無数の内の一つに、かちりと当て嵌まった。


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展開が急すぎて申し訳ないです…!


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