結局俺はその日家に帰ってもどうすることも出来なかった。母と父はもう知っているのかもしれない、それ以前に次郎は、と気になったが、三人とも特にいつもと変わったところはない。ほっとしつつも胸の奥にもやもやした何かがあった。次郎なんてよくいる名前だ、偶然ということだってあるだろう。それでも気持ちは晴れない。と、その時じいちゃんが俺を手招きしながら「守」と呼んだ。返事をしてそちらを向くと、じいちゃんは部屋に来いと小さな声で言った。次郎と母さんが何やら料理をしているのを横目で見ながら、じいちゃんの部屋に向かった。嫌な予感がぴりぴりして、今にも逃げ出したいくらいだ。足を廊下にゆっくりゆっくり擦りつけながら歩く。もうすっかり日は暮れていて、肌寒さが背中からじんわり広がっていった。じいちゃんに続いて開け放たれた障子の中に入る。
「座りなさい」
じいちゃんが言った。その場に正座をして、握り拳を膝の上に乗せる。じいちゃんはいつもより重く暗い顔をしていた。
「街に行ったなら、話は聞いただろう」
じいちゃんがそう言った瞬間に肩が震えた。ごくりと唾を飲む。その音が静かな部屋に響いた。これは、もう次郎が佐久間様の息子だということをはっきり告げられた様なものだ。涙が出そうになる。
「守、お前はどうしたい」
じいちゃんは俺の目をじいっと見ていて、俺もまた見つめ返した。どうしたいかなんてとっくのとうに決まっている。なのに、うまく言葉が出ない。
「俺、は」
ここで次郎を佐久間様の元に帰した方が、世間的にも佐久間様にも次郎にもいいに決まっている。俺の家よりもよっぽど不自由のない生活なのだ。立派な部屋に豪華な食事に沢山の使用人、高価な着物と綺麗な許婚。考えてみればみるほどいいことだ。けれど、次郎はそんな場所から逃げ出したのだ。それには相当な理由があるのだろう。
「俺は、」
しかし本当は俺が行ってほしくないだけなのだ。箸と器を持って美味しそうに食事する次郎も、長くて白い髪を大事そうに櫛で梳く次郎も、あどけない顔ですやすや眠る次郎も全部大事なものになってしまったのだ。
「…次郎と、いたい。大変かもしれないけど」
そう言った瞬間に、廊下側からがたりと音がして、ばたばたした足音が遠ざかっていった。驚いて廊下を見る。じいちゃんは眉を下げながら小さく笑った。
「次郎だよ」
じいちゃんが俺の背中を押した。その勢いで、廊下に押し出された。障子も一緒に倒れ込んで、すごい音がする。
「気にすんな、走れ!」
じいちゃんが笑った。足音が向かった方向に足を向ける。じいちゃんはずっとこちらを見て笑っていた。


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続きます


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