海が好きだった。父さんと姉さんによく連れられて行った海は色も濁っていて底は見えず、グロテスクな緑色をした藻がゆらゆら浮かんでいた。そんな海だったのに、俺はいつもいつも嬉しげに笑いながら、砂浜を裸足で走り回っていた。父さんが優しい目をしてこちらを見ているのを横目で見て、満足したように海に手を浸けて遊んだりした。姉さんが泣きそうな顔になっていても見なかったことにした。そんな汚れた海でひとしきり遊んだ後、父さんはいつもソフトクリームを買ってくれた。舌に甘味を委ねて、舐める飲むの動作を何度も何度も繰り返した。全て食べ終えると、父さんは俺の頭を撫でてくれた。
「海なんて久々に来た」
円堂君はそう言って、日暮れ寸前の太陽が照らされる海を見た。この異国の海は思い出の海より遥かに透き通っていて、美しいエメラルドグリーンがきらきら光っている。円堂君は「練習疲れたな」と笑うとその場に寝転がった。さらさらした小粒の砂が円堂君の服に触れる。俺も横にそっと腰掛けた。
「円堂君は海は好きかい?」
そう聞くと、円堂君は間髪いれずに「ああ」とつぶやいてゆるりと笑った。愛しいものを見る目で海を見ていた。
「なんで?」
「理由なんてないだろ」
しいていえばキレイだからじゃないか?円堂君はそう口を動かして目をつぶった。自分も目をつぶる。ざざんと波の音が聞こえた。
「ヒロトは?」
円堂君がそう言った。ぱちりと目を開ける。横を見ると、円堂君はまだ目を閉じていた。
「俺は、」
ふと父さんの顔を思い出した。吉良ヒロトの真似をして、海を好きだと言ってソフトクリームを喜んで舐めていた子供時代も。ふっと後ろを見た。もう俺を見守る父さんも姉さんもいなくて、ただ合宿所が見えるだけだった。
「嫌いかな」
毎夜吐き出していたソフトクリームの感触を喉に感じた気がして、溜め息をついた。