不円




ゆっくりと唇を曲げて笑う彼の目には、硝子のような涙が浮かんでいた。
「不動」
掠れた声で彼が呟く。吐いた息は、泡のように白く空中へ広がる。それが夜の黒に溶けていくのを見て、そっと彼に近付いた。すうっと息を吸う。
「未練がましい真似するなら、俺はやめる。」
彼が目をぎゅっと閉じると同時に、目の端からぽろりと粒が零れた。健康的に焼けた肌に、透明な球がころころ転がっていく。こんな姿を、きっと彼は自分以外に見せたことはないのだろう。いつも大口を開けて馬鹿みたいに笑っている彼だから。
コンクリートに、小さな染みが広がっていく。じわじわと広がるそれを照らす照明がいやに明るく、目を細めた。
「もう、来るぞ。」
そう言った瞬間、跳ねるようなメロディがホームに響き渡った。遠くからやってくる電車の、線路をやかましく走る音が聞こえる。
彼が不意に手を掴んできた。彼の手袋の繊維が生温く、乾いた俺の手に絡み付くようだ。
「お前と一緒にいたいと思ったのだけは、本当だから。」
電車がホームに滑りこんでくると、彼は手を離して、改札口へと走っていった。それを見送ることもせず、人の波をくぐり抜けながら車両に入る。人の少なくなった車内は、外よりも寒い気がした。空いた席に座り、背中を丸める。唇を噛んで唾を飲めば、嗚咽も引っ込んでいく気がした。
「分かってんだよ。」
お前には大切なものがありすぎた、それだけだ。


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駆け落ち未遂


2012/03/08 20:21






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