砂木沼×瀬方


私の朝は早い。

毎朝五時に起き軽く身支度を整えたら、すぐにランニングに出掛ける。所謂自主練だ。
少し小高い丘の上にあるここからは、高層ビルの屋上とまではいかないにしても、ある程度街を一望できる。
私はこの時間の、未だ眠りから覚めぬ朧気な街並みの景色が好きだった。この何とも言い難い、どこか得体の知れない雰囲気を醸し出している様は、昔の私達を彷彿とさせる気がしてならないからだ。

忘れることも消し去ることも出来ない過去の出来事を思い出すと、自然と気持ちが引き締められる。未だ私を慕ってくれるかつてのチームメイトのためにも、新しい未来のためにも。私はここで立ち止まるわけにはいかないのだ、と。
そうして真っ直ぐと延びる道の先を見据えて、明け方特有のキンとした空気を肺いっぱいに吸い込み、ゆっくりと走り出した。

きっちり10キロ走り終えて戻った頃には、出掛けはまだ昇りきっていなかった太陽が完全に姿を表していた。靄が掛かっていた街並みが、完全に輪郭を現す。

(ふむ、今日もいい練習日和になりそうだ)

木々の隙間から零れ落ちる朝日の眩しさに目を細めていると、玄関先で誰かが手を振っているのが見えた。遠目からでもよくわかる透き通るような銀髪と健康的な肌の色のあれは、間違うはずもない。


「砂木沼さーん!」

「…瀬方?」

「お帰りなさい、砂木沼さんっ」


…もし彼が犬であれば、千切れんばかりに尻尾を振っていることだろう。
こちらを見るなりぱあっと顔を輝かせる姿は微笑ましく、無意識にこちらの頬も緩んでしまう。
思いがけない出来事に何か暖かいものが込み上げてきたが、しかし。私の記憶が正しければ、瀬方は私が帰る頃に起きてきて、朝一番に挨拶にくるのが常の体だったはずだ。今日は一体どうしたのか。

そうやや疑問に思っていると、聡い瀬方は、私の言わんとしていることを僅かな空気の変化で察してくれたようだ。
彼の頭の回転の早さや空気を読む能力は、些か羨望の眼を向けてしまう程には優れているのだ。それを生かして血の気の多いイプシロンのメンバー間の緩和材となったりもしていた。その他の面でも昔から変わらず私を、今ではネオジャパンの皆を支えてくれている。
そんな瀬方は少々居住まいを正すと、実はですね、話し始めた。


「いつも砂木沼さんが見てる景色を見てみたかったので、今日こそはと思って早起きしたんです」

「…そうなのか」


誰かが倒れただとか特別心配するような内容でもなく安心したものの、そんなもの、いくらでも誘ってやるのにと少し残念な気持ちになった。変なところで遠慮がちだな、と思う。

先述した通り周囲の変化に敏感である瀬方は、一歩引いた場所から物を見ていることが多い。そのため気遣いにも長けており、基本的に我が儘を言ったりすることがなかった。全て自分で何とかしようとするのだ。(稀にそれが上手く意外行かない時は癇癪を起こしていたが、)
今回の話についても、私に一言言えば済む話だろうに。
…それとも、私は小さな我が儘ひとつ聞きそうにない頭の固い男だと思われているのだろうか。いやいや、仮にも付き合い始めて一年は経つぞ、瀬方に限ってそれはない筈だ。そうするとやはり、性格的なものなのだろう。

だが、しかし。


「私の隣にお前はいなかったぞ、瀬方」

「えっ、ああ、…そのですね」


もごもごと何やらバツが悪そうに口澱んでしまった瀬方に首を傾げる。


「…に、二度寝してしまって」

「……二度寝?」

「あ、いやでもすぐ起きて追いかけようとしたんですよ!けど俺が外に出た時にはもう姿が見えなくなってて、」


追いかけていって入れ違いになったら嫌なので、せめて一番に「お帰りなさい」を言おうと思って、ここで待ってました。


「だからお帰りなさい、砂木沼さん。…それから、今度是非ご一緒させて下さい」


そう言ってはにかみながらきらきらと笑う瀬方は、昇りたての日の光よりも眩しかった。
賢くて空気が読めて周囲の変化に敏感な私の恋人はどうやら私の心の内だけはわからないらしく、いつだって無意識に気持ちを揺さぶるのだ。




幸せの縮図
(今まで気付かなかったが、よく見ると鼻先や頬が赤くなっており冷え切っているようだったので、抱き締めたら見事に赤面して硬直した。)



「おーいお前らメシだぞー」

「砂木沼…あんなキャラだったんだな…」

「全く鬱陶しいことこの上ない」

「さ、朝食を食べたらすぐに練習開始します。彼らは無視しなさい、これは監督命令よ」








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