(てる視点)
ばたばたと人が駆け回る。砂埃も気にせず駆け回って遊女たちは着物が汚れるのも気にせず引きずって縺れる足を前に出して走る。悲鳴もあちらこちらからあがってどこから聞こえてるかもう分からない。誰かが、火事だ!と叫んだ。
「よかったねぇ、うちまで火が飛んでこなくて」
頬に手を当て笑うとはつが小さく睨んで窘めてきた。肩をすくめてから窓を開けて煙管を片手に桟に腰掛けた。目を細めると通りの最奥にまだ燻っている遊郭が見えた。その周りを野次や町奉行が囲んでいてまだ騒ぎは収まりそうにもなかった。早朝起きた火事は他の客と寝た遊女に何を勘違いしたのか腹いせに男が火を放ったらしい。浅はかな考えだなと燻りを見つめる。遊女なんて寝るのが仕事の世界だ。一人の客だけ相手にすることなどましてできるはずもない。それが間男だったなら別だけれどそうでもなくかといって常連だったわけでもないらしい。所詮は騙されたわけだ。やれやれと窓枠にもたれかかる。
「それにしてもあきの道中に影響はないのかい」
「どうだろう、場所は大丈夫だけど人が集まらないかもな」
「ああ、それなら大丈夫。あれに人が集まらないなんてことはないよ。悔しいけど」
本当に悔しいことに実際あきは綺麗だ。性格は難有だけど器量がいいし歌も舞も三味も上手くやってのける。久々の逸材だと番頭も喜んでいたっけ。ふぅ、と煙を噴き出す。はつは嬉しそうに微笑んだ。まあそりゃ自分の新造の道中だもの。気になるに違いない。ああ、それにしても道中とは久しぶりのことだなあと思っているとはつもそう思ったのか「久しぶりだよなぁ」と呟く。
「そうだね、まあ陰間茶屋の道中だなんてうちぐらいかもしれないけどね」
「てる以来だよな、道中は」
「うーん、そう?はつはしなかったんだっけ」
「してないよ。それにしてもあと三日であきの初見世だと思うと落ち着かない」
「みどりは少し先かな」
はつは目に見えるようにそわそわしだしていつも売りの落ち着いた物腰はどこへやら視線は行ったりきたり。用意した着物でも気になるのだろうか、それとも簪?再び煙を吐いて煙管で襖の方を指す。
「いいよ、気になるんでしょ」
「・・・はは、バレたか。じゃあちょっと見てくるな」
視線をはずして窓の外を見ると後ろで襖が閉まる音がした。何か面白いことはないかと目を走らせる。
「・・・ん?」
視線を感じて下を見やると町大工が二人こちらを見上げている。火事のあった遊郭の建て直しでもするのだろう。長身の男がじいっと見てきて居心地が悪い。なんだ、そんなに珍しいとでも言いたいのだろうか。ところがふと見覚えがあるように思えて眉をひそめる。見つめ返しても動じることなくこちらを見上げたままだ。茶色の髪が顔にかかっていて顔はあまりよく見えない。目から流れるような橙が印象的だった。なにか引っかかる。・・・僕は彼を知っている?いや、僕はずっと昔からここに居るんだ。外の人間など知っているはずがない。それに大工が客に来たためしもない。じゃあ何故。ざわざわと落ち着かない。
「おい、さっさと行こうぜ。やるこた沢山あんだからな」
「ああ、すまない」
隣の大工が彼の背を叩いて急かす。茶髪の髪が揺れて一度僕を睨みつけるように見上げて踵を返して通りへ消えて行く。思わず息をの飲んだ。ぎらぎらとした恨みがましい視線に釈然としないまま、けれど気分は悪く窓をぴしゃりと閉めてみどりを呼びつけた。