着物をしっかりと抱えて団子屋に向かった。あきさんの一等お気に入りの店である。暖簾を潜るとあの桜色の髪が揺れて看板娘と言われている彼女が振り返った。
「あ、いつもご贔屓に」
「こんにちは、小鳥遊さん」
髪を不思議な形に結い上げ、巻いた一束を顔に斜めにかけている彼女を見るたび俺はどうしたらこんな髪形がつくれるのだろうと職業病なのか、つい気になってしまう。今日も例に漏れず凝視していたらほんとに懲りないねと笑われた。
「で、あきは元気?」
「元気ですよ。あ、それでお土産に買って帰ろうと思って」
「ほんっと女だから少し気にすりゃいいのに食べすぎなのよね。まぁいいか」
繁盛してるし。そう悪戯に笑って新商品が有るからと奥に引っ込んでしまった。そう、彼女はあきさんのことを女性だとそう思っている。あきさんはここに来るときは余所に行くより気を楽にしているように見受けられるが職業が職業なだけに「女性らしく」振る舞い「女性の」友達として彼女と接してきたのだ。彼女はややきつめの性格であるらしいが一度信頼した人を疑うことはあまりしないように思う。現に気づいていたとしても、「女性として」あきさんを扱っているのだ。それでお互いがお互いを支えあっているし不思議な仲の良さなのだから微笑ましいのだか悲しいのだか俺は計りかねている。
「待たせたね。ほらこれこれ。たぶんあきの奴好きじゃないかな…あとこっちがいつもの」
「ああ、ありがとうございます」
開いて見せてくれた包みを再度閉じて綺麗に包みなおしてからそれを俺に渡してくる。俺も代金を渡してから店を出た。出掛けに引き止められる。
「あのさ」
「はい?」
「あき、最近ちょっと顔見せてないんだけど、さ。や、仕事もあるだろうから…忙しいだろうけど、顔だすように言っといてよ」
「…はい」
小鳥遊さんは団子屋の看板娘で普通の女性でそれなりに酸いも甘いも経験してきただろうけれど一方のあきさんはそう、あくまで「遊女」なのだ。客を取るようになった今、そうそう暇ができるわけでもあるまい。すぐには無理だろうなとそう思いながら早く来るように言っておきますと笑うのが精一杯だった。
着物の包みを片手に、団子の包みを片手に帰路に着こうかと思ったが何分着物が重い。少し近くの橋か河原で足を休めよう。丁度座りやすそうな河原の岩に腰をおろし脇に着物を置き団子を膝の上に置く。ほっと一息をついて目を瞑る。しばらくただただ静寂がそこにあった。日の光が温かく気持ちがいい。だんだん眠くなってくる。
ずるりという音で目を開ける。ああ、寝ていたのか、そう思っているとずるり、また音がした。何の音だろうとふと横を見ると着物の包みを咥えて引きずる犬が視界に飛び込んできて驚く。
「あっ、離せ!」
それはあきさんにあげるものなのだ。傷なんてつけたくない、一つたりとも。犬が咥えている包みを無理矢理引っ張るが負けじと犬も引っ張る。思い切り引っ張ると犬が包みを離した。反動で後ろに転ぶ。犬が突然飛び掛かってきて手をかまれる。
「いたっ!!」
得も言われぬ痛みに涙がにじんだ。腕を振り回し早く離せと犬を打った。
「何をしておるか!!」
犬がようやっと口を離したかと思えば突然河原の上から駆け下りてきた二つの人影に呆気にとられる。
「こちらをなんと心得て手を挙げたのか!」
「は…」
まずい。
目の前の役人がぐっと俺を睨んでくる。まずい。そうだった。忘れていた。そしてこれから告げられる文句を、すでに俺は知っている。ああ、もう駄目だ。
「時の五代将軍徳川綱吉様の生類憐みの令を犯したとして厳罰を受け渡す!」
ふっと視界が暗くなる。俺は、死ぬのだろうか。
後ろに立っていた役人が口を開いた。
「どうだ、こやつ犬に噛まれておったようだぞ」
「しかし決まりは決まり、特例など認められぬ」
「だが今回は犬にも非があるのではないか」
「何を言う。ここでこやつを罰しなければ拙者たちが罰せられるというのに!」
「…そうは言うても見てくれはしがない商人かなにかではないか。ここで殺してしまうのも気分が悪かろう」
「貴様…まぁいいそのかわり減俸は逃れられんと思うがな」
「なに拙者が責任を取ろう」
死ななくていいのか…?呆然としている俺の手を後ろに立っていた男が掴む。痛みに襲われた。
「ほう、これはかなり噛まれたな?放っておけば腐るぞ」
「それは困ります!」
「命が助かっただけでもありがたいと思え。ほら」
顎でもう一人の役人を呼び俺を地面に押し付ける。息が苦しい。引っ張られた手がさらに足で踏まれ固定された。
「御免!」
「っ、ああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
「はは煩いやつよ」
笑った役人が顔を寄せてくる。
「この後は医者に診てもらうのがよかろう。命をくれてやったんだ、感謝するがいい」
足音が遠ざかる。痛い痛い痛い痛い。何がどうなったんだ、痛い痛い痛い痛い痛い。腕が熱い。焼ける様に熱い。地面に押し付けられた顔を無理矢理上げるとごろりと転がった真っ赤な腕とすこし汚れた着物の包みが視界に入った。ああ、腕が。そうか。視界がぼやけてくる。