(立向居視点)
綺麗な着物だった。
立ち寄った店は普段なら決して入ることはない呉服屋。あきさんのことを考えていたら自然と足が向かっていたのだ。店に入るととりわけ目を引いたのが薄紫の布地に金糸で蝶の刺繍がしてあった。きっとあきさんが着たらもっと美しいだろう。恐らく美しさを引き立て合うに違いない。白い滑らかな肌にそっと着物が彩る。そう考えただけで鳥肌が立つようだった。
「お客さんお目が高いですなあ」
「あ…ちなみにこれ、お幾らですか」
「こんなもんでしょか」
微笑んだ男店主は一度台に戻り算盤を手にするとぱちぱちと弾いた。弾かれた珠を数えて頬を掻く。
「まぁ、そうですよねぇ。いいものだからきっと高いと思ったんですけど」
「失礼ですが、どなたへ?」
「…そう、ですね…妻にしたい人、かな」
するりと出てきた言葉は全く気恥ずかしくなかった。むしろ悲しいというより虚しい。俺が妻にすることができるわけなどない、身受けなどできるわけがない。でも、贈りたかった。俺の存在を植え付けたいと、そう思っていた。髪結いなんてただの髪結いでしかない。表舞台は元より似合わないのだから。
「なるほどそれは素晴らしいことですなぁ。きっと惚れ込むに違いない」
算盤を腰に当てて店主が笑う。それから顎に手を当てて唸った。
「ちょいと私からのお祝いという意味も込めまして、これくらいでいかかでしょ」
ぱちぱちとまた軽快に珠を弾いて見せてくる。もう一度数えて俺は目を瞑った。生憎酒は飲まないし髪結いだから遊女と寝ることもないし独り身だから悲しいことに払える額だ。静かに頷いた。
「今日いただけますか」
「ええ、ええ、勿論ですとも!」
金を渡すと奥から女が出てきて恐ろしいほど良い手際で着物を畳みなおし、綺麗に包んだ。包み紙も上等なようで受け取ったそれはずしりと重たい。
「ご武運を」
武士でもない俺に、わざとらしく悪戯に微笑んだ店主を見て思わず笑いがこぼれた。頭を下げて店を出る。とりあえず当初の目的の団子でも買おう。そしてあきさんと一緒に食べてのんびり過ごそう。昨日がどうだったとかはもういい。これから何度も経験する気持ちなのだからいちいち気にしていては持たない。だから他愛のない話をしてあきさんが安らげるとそう言ってくれるような時間を作りたいだけ。
日の下で包みをそっと撫でる。この着物は、あきさんが身受けされて、あの屋敷を出ていくときに餞別として贈ろう。そしてこれに袖を通すたびに俺を思い出してほしい。ああ、そういえばこの着物は髪結いがくれたんだっけな、なんて。それでいい、貴方と夜を過ごしたいだなんて甘えたことは、夢見たことは言わない。ただ、貴方の心の中にそっと居座らせてくれればそれで。
こんなちっぽけな願いなんだ。叶えてくれるだろう?