(みどり視点)
「あきーっ!」
「うるせ」
髪は乱れてさえいたものの後姿ですぐ分かると飛びついておはようと声をかける。帰ってきたのはやっぱりやる気の無い声だったけどその表情はいつにもまして穏やかだ。初見世を終えたばかりだっていうのにそんなに良かったのだろうか。もっと不機嫌そうだと思っていたのに。
「そんなによかったの?機嫌いいね」
「は?どこが。別に良くも悪くもねーよ」
やや焦ったような声が返ってきてよかったんだな、とこっそり笑ってしまう。昨日のあきの客は俺が座敷で酌をした源田様だったはず。当初は吉良様がお客に取るはずだったんだけどてる姐が頼み込んで吉良様はてる姐を代わりに連れて行ったんだっけ。まあ吉良さんはお酒を飲み交わすだけで一緒に寝たりなんてことはなかったみたいだけど。なんでてる姐がそんなことを頼むのか全く分からなかったけど源田様はあきの知り合いとかなのかな。
「ねぇねぇ、源田様ってあきの知り合い?」
「なんで」
「だって本当は吉良様がお客様だったんだよ。てる姐が頼んで代えてもらってたんだ」
「・・・あんの女顔め・・・。・・・まぁ、顔見知りっつーか同郷だ」
「へー、好きなんだ」
「はあ?!」
「だって同郷の人ってさぁ、っていうか知り合いに抱かれるとか微妙じゃない?」
「確かにな。でも客だから相手したんだぜ」
「違う違う、あきじゃなくて、源田様が。あきを好きなんだなあって」
「お前ほんとうっせーな。人のことに色々首突っ込んでっと痛い目見るぞ」
そういうあきの顔は満更でも無さそうで頬は少し赤くてこれはもしや弱点見つけたりといったところか。でもその瞬間胸が痛んで何事かと首をひねる。大丈夫かとあきに声をかけられて曖昧に頷いた。
「それよりご飯食べに行こうよ」
そのままあきを引きずるように座敷へとあきを連れて行った。部屋の中には既に何人もの遊女が思い思いのままに食事を始めていてその大半はもちろん髪も着物も乱れている。俺もいつかはここに仲間入りするんだなぁとなんだか落ち着かない気分になった。あきも仲間入りしちゃったし置いて行かれた気分だ。
「ねぇねぇ聞いたかい。今日の夜は綱海様が来るらしいよお」
「本当かい?!張り切らなきゃじゃないか。それにしても今日は誰を選ぶんだろうね」
目の前の遊女達がはしゃいで居て俺は綱海様とは誰だろうと首をひねる。するとそれに気づいたのかにこにこと笑いながら彼らが説明してくれた。
「あんた綱海様を知らないのかい?まあてるのとこの新造じゃあ仕方ないか」
「綱海様ってのはねぇ、凄く色男で羽振りがいいんだ。ここへ来ても毎回違う子を抱いてね。しかもてるだとかはつだとか売れっ子は抱かないみたいでこっちみたいな名も無い遊女抱いてくれるもんだから皆楽しみにしてるんだよ」
「ええっ毎回違う人を?それっていいんですか?」
「そう思うだろう?でも綱海様の性格を知っちまったらなあんにも言えないさ」
なぁ、と彼らは顔を見合わせて笑う。凄い、そんな人も居るとは・・・。第一羽振りがいいのに売れっ子を抱かないっていうのがまたなんというか変わり者すぎる。こっちが知らないのも納得だ。ちらりとあきを見ると我知らずと言った様に黙々と箸を口に運んでいる。全くもう少し社交性を身に着ければいいのになぁ。思わず苦笑すると何故か睨まれた。
夕刻にあきと共に見世棚へと向かう。朝と違って綺麗に髪も着物も整えてあって圧巻だ。周りのどこか落ち着かない遊女達の間を縫って所定の位置へ座る。あきは凛とした佇まいで真っ直ぐ外を見つめている。俺はそれを見ながら他の遊女の邪魔にならないように三味を弾き始めた。途中あきが教えてくれた節に差し掛かった時視線を感じて顔を上げるとあきがこちらを見ていた。胸がどくりと跳ね上がる。あきは少し微笑んでまた視線を外へと戻した。嬉しくて嬉しくて仕方ない。そもそもここの節はあきのおかげもあって上手くなったのだから、そしてそれを覚えていてくれたことが酷く嬉しい。そう思っているとざわりと辺りが沸いた。何事かと遊女達を見てその視線の先の柵の外、桃色の髪の男をとらえる。
「綱海様よ」
近くの遊女が小声で耳打ちしてくれた。ああ、あれが。ど派手な着物は遊女に負けず劣らずその風貌は流行のかぶき者そっくりだ。綱海様は柵の向こうで品定めするように視線を泳がせてふと動きを止めた。その視線の先にあきを見つけてすうっと胸が冷えた。
「名前は」
男らしい声がその口から零れる。
「あきにございます」
頭を下げたあきが再び顔を上げた時綱海様は今日はあきで頼むとそう番頭に言ったのが遠くで聞こえた。周りの遊女達は残念そうに表情を暗くした。耳鳴りがする。あきは口角を上げて「嬉しゅうございます」と返して見世棚を出て行った。その背中がどうしても遠く遠く見えてなんだか泣きたくなった。手が引っかかって三味が汚く、べんっと鳴った。ああ折角上手くなったと思ったのになんだっていうんだ。