(てる視点)
寝はしなかったものの食事に付き添わされれば時間は経つもの。疲れを顔に出さないように笑顔で客を見送る。「あーあ、俺もあきの道中見たかったなあ」そう隣でみどりが文句を言ったのは一刻半も前のことだった。宴会の座敷へ向かう途中上客の顔を見つけ急遽そちらの相手をしなくてはならなくなったせいで宴会に随分と遅れてしまった。もしはつがあきの道中に付き添わずここに居たならばこんなお鉢は回ってこなかっただろうなと溜息をつく。そう言っても始まらない。はつも忙しいわけだし。
「・・・随分遅くなったな」
一度鏡を見に向かって適度に髪を整えて宴会の座敷に急いだ。沢山の笑い声や話し声が廊下の先から聞こえてくる。宴会は上々といったところ、か。みどりも上手くやっているようで少し安堵しつつ廊下を渡る。
「うわ」
曲がり角でどんと強い衝撃に弾き飛ばされよろめく。力強い手が支えてくれてなんとか体制を整えるといつだったか睨みあげてきた大工がそこに居た。頬を走る橙に見覚えがあるから間違いない。もしかしてこいつが吉良さんに連れられてきた大工だろうか。礼を言いつつ顔を覗きこむ。
「旦那さん、大丈夫ですか?」
愛想笑いは十八番だ。にこりと笑うと目の前の彼の顔は驚愕のそれからだんだんと厳しくなっていく。おかしい、と思ったときには壁に押し付けられていた。手首が強く握られ痛みで指先が痺れる。
「不動はどこだ」
「・・・・・・なんのことでしょう」
にこりと笑って首を傾げる。目はぎらぎらと僕を睨みつけてきてもう一度「不動はどこだ」といった。
「お前が、不動をこんな世界に連れてきたんだな」
「人聞きの悪い。何のことだか」
「俺は知ってるんだ」
面倒くさくなって思わず自嘲気味に笑う。どうやらこの男は不動、つまりは「あき」の知り合いとでも言うらしい。差し詰め友人、それとも恋仲・・・いや、片恋か。それにしてもなんでこんな大工がそんな事を知っているのか不思議でたまらない。ここで働いている多くだってはつがここにあきを入れたとしか思っていないだろう。ま、それも僕が面倒を見てないから当たり前なんだけど。
「不動、だなんてここでは呼ばないことだね。その呼び方は僕しか知らないよ。ここではあきって呼ばれてる」
「・・・不動を返せ」
「無茶言わないでよ。今は出てるし」
道中の真っ最中だと思い出し可笑しくなって笑う。大工は眉を寄せた。
「会えないのか」
「・・・不動が好きなんだ?」
尋ねると目を見開く。ややあってその視線はゆらゆらと左右に揺れてどこか悲しそうな顔をする。それを見たらなんだか途端に会わせてやりたくなった。いつまでも一方的に根にもたれるのも好かない。正直なところあきがどんな反応をするのか見て見たいと言うのが本音だけど。あきはこいつを知っているか、覚えているか、それとも全く忘れているか・・・見物だな。ふと笑いそうになって咳払いをする。
「で、吉良さんに連れられてきた大工ってことで間違いない?」
「あ・・・ああ」
「じゃあ、会わせてあげるよ」
目が大きく見開かれて拘束の力が些か緩んだ。
「・・・本当、か」
「もちろん。ただ、今すぐこのきったない手、どけてくれるなら」
「・・・すまない。気が動転した」
ふと溜息をついた彼は手を離したがそれでもやはり睨んでくる。僕はとうとう肩をすくめるしかなかった。