どんどんどんと乱暴に扉を叩かれる音で、三郎は眼を覚ました。 体が痛い。それもそのはず、三郎はリビングの床の上で半分以上裸のまま寝こけていた。目の前には全裸の雷蔵が同じように転がっている。これは眼を覚ましたら、雷蔵も体の痛みに眉をしかめるだろう。 あちゃあ、と思ったが、体を丸くしてすやすやと眠る雷蔵を見つめていると、なんとなくまあいいか、という気持ちになった。床の上で半裸のまま寝るなど潔癖な三郎にとってはとてもいい思いではないのだが、雷蔵が横にいるだけでそんな些細なことはどうでもよくなる。 後ろから一回、正常位で二回。普段は三郎に跨って腰を振る雷蔵が、三郎に撫でられたりしゃぶられたりする度に頬を真っ赤に染め、しゃくりあげながら恥ずかしい、いやだ、許して、と泣いた。その姿が本当に本当にかわいくて、止まらなくなったのだ。 性行為にそれまでは積極的でなかったし、どちらかというと攻められるのに弱いと思い込んでいたが、もしかしたら自分は加虐嗜好があるのかもしれない。 かわいくてかわいくて、いじめたくなる。 こっそり微笑んで雷蔵の髪を撫でていると、再びどんどんとドアが叩かれた。というかむしろ、先ほどより音が大きい。いまやどんがどんがと祭り太鼓でも叩いているようだ。 「っんだよ……」 この騒音にも雷蔵は全く眼を覚まさなかった。やはり夕べ相当無理をさせたらしい。 そういえば髪や体が濡れていたようだし、三日の間にも何かあったのかもしれない。 中途半端に絡まっていたジーンズを上げ、三郎が素肌にパーカーを羽織ってたたきに下りると、扉の向こうから聞き慣れた声が聞こえてきた。 『やっぱり出ない……っ。管理人さん呼んで来ようぜ!』 『ケータイも切れたままだよ』 『っ、俺行ってくるっ!』 『あ、ちょっと待って、鍵が……』 がちゃん、とドアノブが鳴って、三郎は慌てて扉を押さえた。そうだ、昨日あたふたと雷蔵を引き入れて、そのまま開けっ放しだった。不用心にもほどがある。 「ちょ、ちょっと待て!いる!生きてるから!」 『なっ!お前三郎か?!ふざけんなこら!開けろ!』 がんがんと叩かれる隙をついて、三郎は慌ててドアの鍵を閉めた。玄関からリビングまで遮るものが何もない。このままでは全裸の雷蔵が丸晒しだ。鍵が閉まっていると思い込んで油断していた。 「ちょっと待て!ちょっとでいいから!」 『おま……大丈夫なのか?本当に三郎か?』 「いやん、たった三日で私の声を忘れたの?冷たいっ!八左ヱ門の私に対する気持ちってそんなものだったのね!」 『こっの……っ!……もういいよ!待ってるから早くしろ!』 げんなりした声に、三郎はほっとして身を返した。リビングに駆け込み、寝転んだままの雷蔵を揺り起こす。 「雷蔵、らいぞう、」 「……ふ、ぅ、……ん…?」 「竹谷と尾浜が来た。寝室に行って好きな服を着てきな。あ、先に風呂……いやいいや、とにかく急いで」 「……三郎?」 「うん?」 「………」 雷蔵を抱き起こして眼を合わせると、雷蔵が少し眉を歪めた。体が痛かったのか、徐々に目尻に涙が溜まり、やがて雷蔵の丸い頬をぽろりと伝い落ちる。 「ら、雷蔵?」 「あ……、わかっ、た」 寝ぼけていたのか、ごしごしと目元を拭ってから雷蔵がふにゃりと笑った。そのままふらふらと寝室に消える。 一瞬その後を追いかけかけたが、ドアの向こうで待っている友人を思い出して、三郎は釈然としないまま玄関へ戻った。 昨夜。 フィギュアの詰まったダンボールと散らばった服を見て、三郎はすぐに雷蔵だと悟った。慌てて廊下に膝をつき、乱暴な手つきで濡れた服をかき分ける。自身の服が濡れるのも構わず雷蔵の姿を探していると、服の間からぽろり、自分と同じ顔のフィギュアが転がり出てきた。 「……っ雷蔵」 両手に抱えて名前を呼んでみたが、もちろん返事はなかった。 焦って雷蔵を抱えたままばたばたと室内に戻りかけて、足元のダンボールと洋服一式に足を止める。一分一秒が惜しくて、三郎はいらいらしながらとりあえずそれらを玄関に蹴り入れた。廊下に放置しては面倒なことになりかねない。 イエローの『雷蔵』も他のフィギュアも乱雑に足で動かし、それら全てをたたきに放置したまま、三郎はリビングに転がり込んだ。 「雷蔵」 初めに買ったときと違い、雷蔵の眼はぐったりと閉じられていた。固く絞った熱いタオルで雷蔵の体を拭き、髪を擦る。どこを触ってみても、手に馴染んだフィギュアの感触だった。これが人間になるなどとても信じられない。 「雷蔵、らいぞう……っ!」 しかし三郎は知っている。この体が熱く熱を持ち、すり寄ってくる感触を知っている。まどろみの中抱きしめた体がどれだけ暖かいか知っている。 雷蔵がフィギュアに戻っているこの状態ならば、燃えないゴミの袋に突っ込むことも、知らないどこかの誰かに押しつけることも可能だった。一週間前の自分なら躊躇なくそうしただろう。そうでなくても、精液さえ与えなければこれはただのフィギュアなのだ。 『三郎、行ってらっしゃい』 玄関まで三郎を見送りにきてくれたり、笑顔で三郎を迎えてくれたり、 『三郎お帰りなさい!今日てれびでね、』 台所でちょろちょろするなと叱ることも、そこらで盛るなと叫ぶことも、 『……三郎、さぶろう、ふふ、もう寝る……?』 あの暖かい腕に抱きしめられることも、二度とない。 「………らいぞう、」 いやだ。そんなのは耐えられない。 認めたくなかった。認められなかった。彼に、フィギュアに恋しているなんて。 三郎はカーペットに爪を立ててから、自らのジーンズのベルトをせわしなく外した。 今回のことではっきりした。自分は彼と離れられない。認めたくないなどと悠長なことは言っていられない。雷蔵が好きなんだ。 自覚すると開き直るのは早かった。雷蔵が予想していなかったかわいい反応をしたことも関係あるが、好きだと思って肌に触れると信じられないくらい愛しさが湧き上がった。 眼が覚めた雷蔵が雷蔵のままで良かった。 雷蔵の考えていることなど露ほども知らず、三郎はのん気に幸せを噛みしめていた。 「雷蔵の家に?」 「そ。遊びに来てるって言ったけど、雷蔵本当は家出してきたんだ」 「いえぅえ?」 「勘ちゃんおせんべいっぱいこぼしてるよ」 玄関に戻ったあと、たたきに放置していたダンボール箱を慌ててバスルームに隠して、それから三郎は竹谷と尾浜を中へ招き入れた。 心配したんだぞ、ばか、と拗ねた顔をする竹谷に軽く謝って、それから三郎は即興で考えた作り話を始めた。着替えてから出てきた雷蔵も心得たもので、三郎の隣りに座っておとなしくしている。 「雷蔵の父親が、まあなんというか、あまり褒められた人じゃなくてさ。雷蔵、家から逃げ出してきたんだ。それを俺が匿ってた」 「褒められた人じゃないって……まさか、暴力、とか?」 「まあ……、そのような、そんな感じ」 「服、裸族じゃなくて、着せてもらえなかったの?」 さすがに尾浜も煎餅をかじるのをやめて真剣な顔をしていた。 ちなみに尾浜がかじっている煎餅は、尾浜自身が持ってきたものだ。煎餅の他にもジュースやらチョコレートやらマヨネーズやらも入っていた。尾浜は三郎が部屋の中で行き倒れていると思っていたらしい。 「えと、うん、そう」 雷蔵は三郎に視線を投げてから、こくりと頷いた。 父、と名の付く相手を悪者に仕立て上げるのは相当いやだったようだが、雷蔵はきちんと三郎の意図を汲んでいた。思った通り、人のいい友人二人の顔が沈痛としたものになる。 「雷蔵が頼れる相手って俺くらいしかいないから。結局居場所バレちゃって、雷蔵の父さんが連れ戻しにきた。で、俺はそれを奪い返しに行ってたってわけ」 「そっか……それで雷蔵が帰ったって話したとき、三郎様子おかしかったのか……。って、せめて一言連絡するかケータイ電源入れておけよ!いきなり連絡取れなくなってびっくりしただろ!」 「こっちも色々忙しかったんだよ」 「雷蔵、もう大丈夫なの?お父さんまた来るんじゃない?」 「だから、それで忙しかったの」 「「それ?」」 「そんな奴がまともな仕事してるわけないだろ。まあ色々探ってちょちょいっとね」 動画も撮れるし便利だよなー、と言いながらデジカメを左右に振ると、竹谷と尾浜がああ、と納得した顔で頷いた。 二人があっさり信用してくれたのはとても助かるが、デジカメを出しただけでそれ以上のつっこみがなくなったのは若干複雑な気分だった。何を想像したか知らないが、二人の中で自分はそういうイメージなんだろう。日ごろの行いが悪いとはいえ大変遺憾である。 あくまでも、三郎本人は自分は真面目な一介の大学生のつもりなのだった。 「でも……良かったなぁ雷蔵。また何かあったら俺たちにも相談しろよ!なんでも力になるから」 にっかりと笑って竹谷が雷蔵の髪をくしゃくしゃと撫でた。雷蔵がはにかむように笑って、くすぐったそうに首をすくめる。ありがとう、と言った雷蔵に、竹谷がますます嬉しそうに笑った。 ちり、その様子を微笑ましく見ていたはずなのに、急に胸が焦げて三郎は眉をひそめた。ああ、これが俗に言う嫉妬か、とどこか他人事のように思う。 なるほど、己の中にもそういう感情があったのだ。ちりちりと胸を焦がしながらも、三郎は初めての感覚に少しわくわくしていた。なにしろ今まで恋というものをしたことがない。 初めての恋がフィギュア相手というのがなんとも複雑な気分だったが、三郎は上機嫌だった。 この感情は悪い気分じゃない。食事と睡眠が不足しているため少しハイになってはいるが、この気持ちはそれだけのせいじゃないだろう。 こっそりテーブルの下で雷蔵の手を握ると、雷蔵がぱっと三郎を見て、それから耳を染めてゆっくりと俯いた。かわいい。 自分からの性行為に関してはほとんど羞恥心がない雷蔵だったが、三郎からの接触にはことごとく初心な反応を返すことは昨夜の時点でよく分かっていた。 もっと、もっと雷蔵のそういうところが見たい。 「あれ、鉢屋ぁいま何時?」 「っと、9時ちょい前だな」 「っやべー!二時間も経ったか?!今からならまだ二コマ目間に合うよな?行こうぜ!」 「まじで……俺シャワー浴びてぇんだけど」 「お前無断で三日休んでおいてなにのん気なこと言ってんだ!」 「ここまできたら三日も四日も一緒だって。ちゃんと行くから」 飄々とした三郎に、竹谷がはぁー、とため息をついた。 「……わぁったよ。三郎、お前本当に顔色悪ぃぜ。飯食って、髭剃って、しゃんとして来い」 「はいはい。母ちゃんかお前は」 実際、竹谷の言う通り顔色が悪い自覚はあった。三日の間ちくわ二本と豆腐半丁しか口にしていないのだから、貧血を起こしていないのが奇跡だろう。よく三回もできたものである。命の危険に陥ると種の保全のために性欲が高まると言うが、それだろうか。なんだか思い出したら腹が減ってきて、三郎はきゅうと鳴った腹をさすった。 「じゃ、俺ら先に行ってるからな」 「ん。雷蔵はどうする?」 「え?どうするって……」 「一緒に行くか?大学」 どうせ今日は講義だけだし、一人増えてたって気づかれない。 恋人気分ほやほやで、三郎は雷蔵を傍らから離したくない気分だった。いいの?と不安そうな顔をした雷蔵に、もちろん、と笑って返す。きゅっと眉根を寄せて考えるような仕草をしたあと、雷蔵は三郎を上目で伺って、嬉しそうににっこりした。 11.6.30 ×
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