花びらの雨が降る庭先で俺はその夜、確かに目にした。真っ白なハンカチを天高く掲げて揺らす彼女の姿を。それは一枚の絵のようで、少しだけ遠くに見える脱隊士の背中がその絵の雰囲気をさらに色濃くしているのだろう。 武士の象徴だと昔から言われている桜の花が散って風に煽られ舞う姿が去る脱隊士の姿と重なり、静寂の夜に消えていく花びらも彼のようだと思った。命散らすことはない。しかし、彼の魂は確実にこの花びらが雨降るように散ったに違いない。 でも、見送る彼女の背中は散る花を惜しむ哀愁を背負っていなかったと思う。ただ、ただ真っ直ぐと散った脱隊士の方を見詰めて、手にしている真っ白なハンカチを真っ暗闇の中で揺らしている。 真選組ソーセージをもぐもぐと咀嚼しながら、静かにその場面を自分の名の通り一歩退がったところで目撃していた。 それからその場面が、ずっと目に焼き付いて離れない。 繰り返し繰り返し、願いを込めながら思い出すのだろう。あゝ、これは虚しいことではないですからお気になさらず。 幸福の黄色いハンカチとの、不動の名作映画があったじゃないですか。一昔前なら金曜ロードショーとかでじゃんじゃん流れていてましたけど、今は昔過ぎるからか流すことがなくなって。だから、若い子はたいてい知らないんですよ。知っていても名前程度で、内容を知っている親からの話で聞きかじったぐらいの知識しかないだろうって思うんです。知っている人だけで、たまに思い出して「あれは良い映画だった」とかなんとか懐かしむような感じなんですよ、つまり。 でも、最近主演の男性俳優が亡くなったじゃないですか。ええ、そうですよ。俺もテレビ見てびっくりしましたね。だって、その『幸福の黄色いハンカチ』で共演していた人たちの何人かまだバリバリ現役でしたし。それで特集が組まれて、彼が主演を演じた有名作を三週間か一ヶ月に分けて放送してましたよね。 あ、そうそう言い忘れてたのですけど。さっきから得意げに語ってますけどね、俺実はちゃんと観たことがないんですよ。はい、その映画も含めあの俳優さんの作品。どうして微妙に主観が混じったことを語れるかって? そりゃあ副長のせいですよ。あの人、書類仕事で手がない時によく俺にテレビの録画頼んでくるんです。 今日なんて、風邪引いた局長の代わりに夜通しで出掛けるから金曜ロードショウのラピュタ撮れですよ。夜更かしが出来ない子供の代わりに撮ってあげる母親じゃないですか。しかも沖田隊長も深夜の再放送しているらしい落語撮れって言ってくるし。そのチャンネル、ウチじゃやってないですよ言おうものなら「鼻フックかジャムパンな」ですから。絶対それ以上のことしますよ、あのドS。一応断っておきますけど、俺の仕事はパシリじゃないですから。……………パシリじゃないですからっ! すみません、急に大声とか出して。ウチの副長は顔に似合って………で合ってるかな。あの人、常に瞳孔開いてるし人相悪いしマヨラーだし。でも、顔が良いからツラ目当てで女が言い寄ることはしょっちゅうですよ。まあ、結局は一食マヨネーズ一本のお陰で全員引きながら身も引きますけどね。ざまーみろですよ。そして、とりあえずイケメンは滅べばいいと思います。 ヤツらイケメンは良いとこ取りし放題ですから。あー、あいつら窃盗罪で捕まんないかなってたまに思います。イイトコ取り窃盗罪。それに俺って地味ですからなおさらですよ、盗難被害は。ええ、分かってますよ。もう周りから散々地味だ地味だ言われ続けていたら、自覚しますって。万事屋の旦那やチャイナさんなんて俺のこと「ジミー」って呼ぶんですよ。しかも、名前覚えられてないし。 とりあえず、世の中のイケメンの鼻骨を折りたいです。こう、ボキッて。鼻さえ潰せばどうにかなると俺、卿見た瞬間に確信しました。だって、あの人ベースはイケメンじゃないですか。でも、鼻が潰れてるツラ見てイケメンだとは思えないですって。俺は間違えてないって証明するために、炎のゴブレットだいぶ観ましたから。炎のゴブレットだけ買いましたよ。だから、どこであのネズミ野郎が何してたのか覚えましたね。 って、えらい方向に脱線してましたね。えっと、ですね。ああ、そうそう副長の話でしたね。ウチの副長は極道モノは勿論邦画が好きなんですよ。あの顔でこの前なんか、休みに一人でペドロ観てましたからね、あの人。ちなみに次の休みはドラえ◯ん観に行くみたいです。瞳孔開いてるし、あのツラした大の大人がドラえ◯んで号泣なんて周りの子供が違う意味で号泣コースだと思いませんか? ここで、お茶休憩と言わんばかりにずっと動かしていた口を止めて横手に置いてあった茶を啜る。その間、聞き役を押し付けてしまったなまえさんは少し悩んだ様子を見せて、 「えっと、つまり副長さんがドラえ◯んで感動するだろうってことで良いのでしょうか?」 「あー、すみません。余計な情報ばっかでしたね。しかも、着地点がどこ着いてんだって感じですし」 あの、ですね。と、言葉を繋げる。 「結局、言いたいことは昨晩にハンカチ振ってたじゃないですか。それって、最初に言った『幸福の黄色いハンカチ』のオマージュか何かですかってことです」 「………だいぶ脱線してますね」 「そうですね」 「でも、山崎さんのお話面白いですから聞いてて楽しかったですよ」 啜っていた茶がゴフッて吹きそうになった。驚いたさ。嬉しすぎてだけど。 普段から地味だの、画的にパッとしない華がないだの、つーか山崎っていたんですかィだの。最後のヤツは明らかに俺のこと知ってるだろ! と、優しくない世界で細々と生きていたが、やはり人は認めらるってことは純粋に嬉しい。 屯所で生活の助けをしてくれるおばちゃん連中の中に咲く花、慎まやかななまえさんの優しさに涙が出そう。たまさんの時と言い、俺は暖かな優しさに飢えているようだ。 「お世辞でも嬉しいです」 「お世辞じゃないですよ。えっと、話を戻しますが残念ながら作品のオマージュじゃないです」 「違うですか」 「ええ、内容は私も詳しく分からないので断言はできませんが恐らくは」 答えるなまえさんの顔に影がさす。どうしてですかと、と聞くことを憚れるような。薄っすらとした常闇を滲ませた笑みを彼女ははぐらかすように浮かべる。たぶん察しの悪い人間でも「あ、マズイな」と分かるほどのもの。これで分からないヤツは本当の阿呆だろう。 でも、俺は訊ねた。 「じゃあ、どうして振っていたのですか?」 俺の質問になまえさんはわずかな間をおいてから上を仰いだ。彼女にならうように俺も上を、空を見上げる。 昼時で晴れている空の色は清々しいほどの青。雲は俺が見える限りではない。澄んだ青がただ漠然と広がっていた。太陽が立派に輝いて、光を燦々と降らしている。「朝を、」 淡い彼女からはっきりとした声が和やかな昼下がりに響く。 「朝を呼んでいたのです」 「朝を、ですか?」 「ええ、朝を呼んでいました。白をゆらゆら揺らしてこっちだよって風に。だって、いつまでも夜明けの暗さのままだなんて哀しいじゃないですか。それにただ待つだけじゃ、もしかしたらいつまでも経っても朝は来ないかもしれませんし」 「だから、朝を呼んでいたと」 彼女は応えず、ただ哀しそうに微笑む。そしてそれは一瞬の、刹那が魅せた泡沫の夢のように呆気なく溶けたのだ。 ―――ケータイの初期設定のままであろう簡素なメロディーが流れたから。 「っ、」 「すみません、私のみたいです。失礼しますね」 不意に轟く雷のごとくなまえさんのケータイが鳴った。断りを入れてから彼女は身をズラして、小さな声で「はい」と電話を取る。 あまり聞き耳を堂々と立てるのは見栄えが悪い。 街の一角、どこにでもある茶屋だ。人通りが盛んな表通りに店を構えてるのもあるし、客や店員の目がある。俺は聞いていないですよアピールをしながら、まだ残っていた茶を啜る。ちなみにこの店のオススメはみたらし団子で、中々の美味らしい。万事屋の旦那に連れて行ったもらったのだと、以前会った時にチャイナさんと新八君が言っていた。まったく、あそこは最早立派な家族じゃないか。 今度暇な時に来て食べてみるのも良いな。屯所ではなぜか「俺=あんぱん」のイメージが定着してるみたいで、差し入れで瑞々しい果物などを貰った時はいつも省かれている。ちげーし。あんぱんそんなに好きじゃねーし、そんでミロも好きじゃねーよ。って、声を大にして叫びたいが誰も聞いちゃいないから俺の不幸は止まない。 故に自分で補給しないといけない現状に涙が流れそうだ。元々あんぱんは張り込みのお供であって、願掛けみたいな感じで食べ続けてるだけだし。俺の仕事は監査だから張り込みや潜入捜査が常だから四六時中あんぱん食べてるイメージ持たれてるだけだって。だから、違う物だって普通に普通の物食うから。 まあ、こんな風にもさもさとあんぱん食ってるから説得力なんて欠片もないけど。 パサパサの市販のパン生地を茶で流し、胃に収めていたら電話相手との話が終わったのだろう。彼女の声は止んでいて、安堵の息をひとつこぼしていた。捩った向きを戻して、なまえさんは微苦笑を浮かべる。 「呼び出されてしまって、出ないとならないみたいです。せっかく誘っていただいたのにすみません」 「仕方ないですよ、呼び出されてしまったのなら。俺もよく呼び出されてますし分かります。それに、喜んでもらえたのなら嬉しいですし」 「そう言っていただけるなら助かります。今日は素敵なお店を教えてくださってありがとうございます」 「そんなお構いなく。俺だってこの店は知り合いから教えてもらっただけですから。それにバカのクセして風邪拗らした局長の使いに手伝ってもらいましたし、お互い様ですって。俺こそお休みなのにお時間いただいて悪かったし」 「そうですか? 私は山崎さんと一緒に街を回れて楽しかったですよ。今日は誘っていただいてありがとうございます」 またまたこの人は嬉しいことを言ってくれる。 さっきの電話で呼び出しに会ったなまえさんは微笑みを傾けて礼を告げた後に身支度を。すると、ケータイを仕舞う際に何かあったのか「あっ」と声を上げた。 俺の方へ振り返る彼女の手にはペラっとした短冊のような物がある。はてと、首を傾げていたら「山崎さんは書類仕事とかされますか?」と唐突な質問だ。「ええ、まあ役職柄書類仕事は多いですね」 嘘じゃないし、本当のことだ。任務の報告書や攘夷浪士の情報や危ない機密情報などを書類に纏めることは多々ある。でも今、訊かれることだろうか。 頭に疑問符を浮かべていると、彼女は手にした短冊のような紙を俺に差し出した。よく見るとその紙の頭には紫の切れ布が括られているのに気づく。これは短冊じゃない。 「今日のお礼と言ったらなんですか、良ければ貰っていただけませんか」 押し花の栞だった、それは。 釣鐘形の青紫の花が綺麗に細い紙の中で花開いている。見るからに手作りだが、それでも綺麗な出来だろう。でも、この青紫の花は何だ。それが無性に気になった。 「あの、この花は何でしょうか」 「浜弁慶草です。確か北部に咲く花みたいですよ。前に近所の子供たちと一緒に作りまして、綺麗なのがたくさん出来たので」 「……………」 「………えっと、男の方に栞っておかしいですよね。すみません、今度違うものでお礼し」 「いや、違います! 綺麗だなあって、思いまして恥ずかしながら見惚れていました。なまえさんが良いのならありがたく頂戴します」 食い気味に否定し、おずおずと受け取る。そしたらなまえさんは嬉しそうに顔を綻ばした。良かった。安堵の息を肩で吐きながら出た言葉が重なった。 へっと言葉の元へ視線を上げる。同様に彼女も瞠目していて小さな放心状態だ。カチっと互いの視線が合わさり、妙な沈黙が生まれた後にこの流れのおかしさに二人とも堪え切れず、ぷっと笑いが溢れていた。 ややして、互いのツボが和らいだのか愉快な笑いは止んでいた。なまえさんははにかみながら「この押し花、浜弁慶草の栞は山崎さんにぴったりだと思っていたので受け取ってもらって本当に良かったです」と口を開く。何気ないさっぱりとした流れで俺は訊ねる。 どうしてですか、と。彼女はすっと眇めた目で栞を眺めて、 「浜弁慶草の花言葉は『不変』だからです」 「不変、ですか」 今度は鸚鵡返しのような重複じゃない。ゆっくりと咀嚼して、自分の中に溶け込ますのだ。 「花や植物にはそれぞれ言葉がついているのです。例えば桜には『精神の美』との言葉があります。他にも染井吉野や垂れ桜で言葉が変わったりしますよ」 「それで浜弁慶草は『不変』ですか」 「はい。その言葉を知った時に山崎さんにぴったりだって思いました」 不変。彼女から見た俺は、山崎退は『不変』なのか。自然と手渡された栞へ視線が落ちる。陽の光を浴びてチカチカ、透明のシールが反射していた。 「どうしてって顔ですね」 「あはは、そうですね。でも、分からなくもないですよ。なまえさんが言いたいことは。俺、ずっと変わってませんし」 「山崎さん、変わらないってことは私は素敵だと思います。昔話の浦島太郎だって竜宮城から帰ってきた矢先、全て変わってしまって彼は絶望しました。確かに人も街も国さえも『不変』を貫くことは不可能でしょう」 語る彼女の目は遠いどこかを見詰めている。直感的にそれがどこなのか分かった。でも、その目に宿る思いはどんな色をしているかは分からなかった。 「全てが『変わって』しまった世界だったら、もしかしたら自分がどこに立っているのか分からなくなってしまう。でも山崎さんだけが変わらないままだからたぶん、みなさんは道を、己が進むべき道を見失わないで済むと思うのです。っね、そう考えると『不変』も悪くないと思いませんか?」 「………思いますね」 「そう思っていただけて良かったです」 彼女はそう言って笑った。俺もつられて笑みがこぼれる。 哀しみや苛々が人に伝わり広がることがある。でも、反対に喜びだって伝染する。だからだろう。なまえさんやたまさんが周りから大切にされ、慕われているのは。 「栞、ありがとうございます。大切にしますね」 浜弁慶草の栞を撫でながら、俺は願う。どうかと、あの夜に花びらが散る桜吹雪の中で揺れていた純白に。 ![]() その日の夜、江戸を守る武装警察の拠点たる真選組屯所に襲撃未遂が起きた。 局長が体調を崩し、鬼の副長は寝込む局長の代わりに屯所を空けて留守に。しかも一番隊隊長は国を転覆させようと尊王攘夷を企てているのとの確かな情報を聞きつけたために地方へ向かって、江戸を離れている。そんな襲撃に打って付けな夜だった。 しかし、攘夷浪士の企みは失敗に終わったのだ。先に述べた通り、これは襲撃「未遂」。企みはすでに真選組の耳に届いており、局長を討たんとした攘夷浪士はやすやすと捕まったのが事の締めである。彼らは泳がされていたのも気づかず、鬼の副長と人斬りと怖れられている一番隊隊長がいる屯所を襲った。不発に終わると知らずに。 綺麗に罠にハマった彼らにどのような制裁が与えられたかは言わぬが花というもの。恐らくもなく地獄を見ていたとだけ、もらしておこう。 逃げられないように伸びた攘夷浪士らを縛っている最中、ある写真を拾った。それは家族写真だった。いや、正確には三人の兄妹しか映っていない写真だ。三人とも顔や雰囲気が似ている。楽しそうに笑っている写真を眺めているこっちまでも自然と笑えるような愛嬌のある兄妹。 あゝ、と途方に暮れた声をこぼす。その声は誰も聞こえちゃいない。例え聞こえていたしてもそれは、畳の上で事切れた浪士の男だけ。そう、この写真の中で笑顔が素敵な二人の妹を両手の花の如くに挟まれて、幸せを謳歌している好青年の男だけだ。 花が儚いように、白が清らかのように。願いとは淡い雪のように解けて水となり、やがては手からこぼれて落ちる。 あゝ、なんて虚しきことだと決して思わないでください。お気遣いは無用です悪しからず。 後書きに蛇足。完結したないしは完結したことにされた物事に後を付け加えるのは古今東西無粋な事と思われることが多い。事実と言って良いのか不安だが、俺もある種そう思う人種の一人だ。 ほら、よくあるスピンオフ。あの綺麗に完結した話に取って加え付けたような続編はあまり好ましくはない。大概が不発に終わるのがテンプレ。まあ、稀にちゃんと続編を含めて一つの物語に視野を入れて構成を練っている作品は後に名作として世に出されたりしてる。でも、それは才がある人が成し得る所業だ。凡人が天才の真似をしたところで「あれ不要だった」とかなんとか詰られる始末。凡人はとりあえず荒波を立てずに、ただただ凡庸な作品を産み続けて単に連載を維持することしか生き残る道はない。 ―――だからって、報告書を書かなくていい理由にはならないですね、まる 「あー、あー………だぁー!」 うがあああ! と、頭を掻き乱して筆と報告書を投げ出し畳の上へ転がる。……………。へんじがない、ただのしかばねのようだ。 「このままただのしかばねになりたい」 今日が締め切りなのに未だに報告書は真っ白のまま。煮詰まり、どん詰まり。散々締め切りを踏み倒しての今日だ。このまま一文字も書けないままだとマジで、副長によってただのしかばねに成りかねないぞ。それは嫌だ。でも、一向に筆は動かない。 あっ、なんだ。 何気なく投げ出した指先がツヤツヤした表面の紙に触れた。器用にそれを拾う。やはりそれは、あの日に貰った栞だった。 枯れていない釣鐘形の青紫の花が細い神の中でまだ美しくその花びらを開かせている。不変の言葉を抱いた花。そして、俺に似合うと言われた花だ。 あれから彼女の行方は分からない。関係者、いや真選組の情報を垂れ流した密偵と攘夷浪士の親族として捜索するも残念ながら見つからなかった。末の妹は田舎の親戚の家で実兄が攘夷に参加していた事も含め何も知らず、暮らしていたことだけが後に判明。兄を見捨てて行方を眩ましたのか、はたまた罪の意識に苛まれて自ら命を人知れず絶ったのか。今となれば神のみぞ知ることへお蔵入り。 ついでとばかりにもう一つだけ分かったことがあった。あの夜に見送られていたかもしれない脱退士が彼女に文を宛てていたのだ。内容は一言に感謝を述べていたのみ。暗号も何もない、ただわずかな近況報告と世話になりましたと感謝を綴られていた手紙だった。 その事実は俺があの晩を目撃して、脱退士を見送っていたのだと勘違いを考慮に入れていた理由を不服ながら裏付けるもの。脱退士が真選組の隊士であった頃に、俺は何度か二人が仲睦まじく談笑していたところを目にしていた。だから、彼女が攘夷浪士と繋がりがある情報が無ければ純粋にあの場面は二人の別れだと思っても仕方ないだろう。まあ、情報を耳に入れていたあの晩も俺はまず初めにそう思ってしまったけど。 霧が晴れるように、泡が溶けてしまったように消えた人。彼女が俺に残した全てが丸々嘘だったのか、その真実を知る術は分からない。でも、それに対して虚しさは感じなかった。 あゝ、苦しいですよ。 でも、それを虚しいことだとは思いません。だから、気遣いは無用です。 いつの日か「苦しくないか、虚しくないか」と訊かれた際の答えだ。これが俺が生きるために見出した答えだ。これが、俺なんだ。 ……………………。一室が沈黙に包まれる。襖は閉じているが、わずかな隙間から稽古のかけ声なり隊士らの日常のにぎわった声がここまで届く。それがより一層、この部屋の静けさを誇張しているようだった。 すっかり手持ち無沙汰となってしまい暇を持て余す。何気なく、散らばった真っ白の紙を適当にひらりと手に取る。寝転がった状態のまま、紙を拾った手を高く掲げてゆらゆらと純白を揺らす。 そう言えば屯所の庭に咲く桜の花は今夜で見納めだと、舞い散る花びらのように揺れる白をぼぉっと眺めながら思い出した。「また一年ぐらいは見れないだろうし、見たいなあ」 「なら、さっさっと報告書出せば見れるだろ」 ぼやきが、鋭い声で返された。その声は見なくても分かる。ああ、声と同じぐらい尖った視線が突き刺さる。 「ふ、副長………」 「今日までだって自覚あんのかてめー。いい加減にだねェと分かってるよなァ」 「分かってます分かってます」 「すぐに出せばいいものをダラダラしやがって。暇じゃねェんだぞ、俺は」 「あははは、すみません」 「口動かす前に手ェちゃんと動かせ」 「すみません」 完全にご立腹の副長は舌打ちをして、また口を開く。 「とりあえず間に合えばまァいい。ンで、おめーはさっきゆらゆら紙なんぞ振って何してたんだ?」 あからさまに不機嫌さと重ねて鋭さが増した胡乱な視線を俺にぶつける副長の問いを淡さに負けないはっきりとした声で、返した。 きっと春が終わる夜に繰り返し繰り返し思い出すのだろう、花びらの雨が降る庭先で。 「朝を、呼んでいたのですよ」 純白を揺らして朝を呼ぼう 企画「夜会」様 提出 20150206 HAPPY BIRTHDAY 山崎退 |