消え行く間際に

「ねえ、海行かない?」

 振り向いた彼女ね顔が、きっと笑っていたと思う。



 季節外れの海岸は当然の如くに人気もない淋しさが潮風と共に吹いていた。
 名前は海岸に着いた早々、ハイソックスとスニーカーを脱ぎ捨てる。両手を広げ、海へと走り出した。

「つめったー。和成、冷たいよ!!」
「そりゃー、真冬の海だからな。冷たいに決まってるって」
「それもそうか。和成、えいっ」
「うおっ、お前………水かけんなよ」
「悔しかったここまでおいでー」

 水をかけられ、一瞬怯んでいた間に名前はもっと海の遠くに行こうとしているのが見えた。 俺はすぐさま彼女を追いかけて、手を掴んで足を止めさした。
 まさか本当にここまで来ると思ってなかったのか、目を開いて驚いたそぶりを名前見せている。「和成……?」と首も傾げていた。

「あんた、制服の裾も靴下も靴もそのままで来てどうしたの?」
「え、………あー、着衣水泳?」
「なにそれ。とりあえず、もう手遅れだけど一回浜辺に戻って脱いだりしよ。手遅れだけど」
「二回言うな。明日も学校あるんだよなあ、最悪」
「どんまいどんまい」

 名前は可笑しそう笑い、俺は帰った時のお袋の反応とお怒りを想像して顔を青ざめたりさせる。
 元々、浜辺からそう遠くないところにいたので、ややしてから俺ら二人は浜辺の砂を踏みしめていた。名前は「熱くなーい」と浜辺の上をはしゃぎながらステップを踏んでいる。対して俺は、水気を含んでずっしりと重くなった学ランのズボンを絞ったりびちゃびちゃに濡れた靴下を脱いだりしていた。
 ようやく、大方の作業も終わって俺は仕上げと言わんばかりにズボンの裾を捲り上げる。そして、はしゃぎ疲れたのかはたまた飽きたのか、腰を落として水平線の彼方を見詰める名前の隣に俺も腰を落とした。

「水平線って、宇宙みたいに遠く感じるけど案外近いものって知ってる?」
「確か、4qぐらいだったか」
「うん。正確に言ったら、1mの高さなら3.6qだけどね」
「3.6q………本当に案外近いよな。部活のロードワークのほうが距離あるってーの。5qなんてざらで、この前なんて8qだっからな」
「すごっ!? やっぱり、男の子は体力有り余ってんだね〜」
「いやいや、さすがに8qで『己の限界を突き進め』コースは死ぬぜ!」
「『己の限界を突き進め』コース?」
「主将命名の鬼畜外道な地獄ロードワークコース」
「それはそれは………お疲れ様でした」

 それからも、浜辺で二人俺の部活の話や学校、ついでに緑間の普段の奇行の日々などを語り尽くした。名前は相槌を打ったり、「それはなに?」と質問したりしてずっと話を聞いてくれていた。
 二人の間には、さざ波の慎ましい波音や潮風が吹く音が流れている。まるで、時間を切りってこの一瞬だけ孤立してしまったような感覚だ。

「っで、ラッキーアイテムが大き過ぎて移動に時間食ったって話」
「ちょこちょこ前から和成に聞いてたけど、やっぱり緑間くんって変人だよね」
「まあな。でも、悔しいぐらいにバスケに誠実でストイックなんだよ。だから、ウチのエース様はすごいだぜ」
「良かったね、和成。緑間くんと出会えて」
「良かったかはどうかは分かんねーけど、運命とは感じているのだよ。…………なーんってな☆」
「………ごめん、和成。それはちょっとないかも。それにその語尾も……」
「おい、冗談だから! あと、語尾は俺がオリジナルじゃねーから。み、ど、り、ま、のっ!」
「でも、妙に決め顔だったのもな………」
「ああ! 話変えようぜ、話。ほら、昔お前ん家と俺ん家で一緒に海行ったよな。覚えてるか?」

 これ以上あらぬ誤解と好感度的なものを下げられたくなかったから、俺は記憶の片隅に引っ掛かっていた懐かしい昔の記憶を引き出した。
 俺と名前は家が迎えだったことと産まれた月が同じだったこともあって、幼少期から何かと交流がある。今俺が引き合いに出した海も、その一つだ。
 幼稚園に小学校、中学校と同じだった名前もそうだがお互い“腐れ縁な幼馴染み”となっていたが、さすがに高校は離れ離れに。秀徳に行った俺と違う都内の高校に行った彼女。ずるずる続いた腐れ縁もついに潰えたか、と彼女から志望校を聞いた際は思ったが、入学した後の今の今も細々と切れずに続いている。
 そして、俺の想いも消えることもなく小さな揺らめきを持ってしながらも燃えていた。

「えっと、小4の夏休みかに行った海だよね。覚えてる覚えてる。確か、和成あの時電車の乗り換えで一人どっか行っちゃっておばさんにこっぴどく怒られたよねー」
「お前、まだそんなの覚えんのかよ。まあ、良いさ。俺もなんなら一つ覚えがあるぜ」
「ほお、何かね和成君」
「俺が『遠泳だー』って、結構遠くまで泳いで行った時にお前が大泣きしてたこととか」

 小学校のプールで水泳の腕を磨いた(と思っていた)小4の俺は幼いがらも結構遠くまで泳いだことがある。準備体操もして、いざ行こうとした際に名前が今にも泣き出しそうな顔で「和成、遠くはあぶないよ。近くでいっしょに泳ごうよ」と止めてきたが、あの時の俺は遠泳で頭が一杯で名前の手を振り切って遠くまで泳いで浜辺に帰ってきたら名前がわんわんと大泣きしていたのだ。
 両家の親も、原因不明で泣き出したために驚いて俺も当時から『泣く』行為に程遠い彼女が泣いていたことに驚いていた。そして、名前はと言うと、帰ってきた俺の姿を見て「よかったー」とまた泣き出す。故に、泣いた原因が俺じゃないのかと疑ったお袋からゲンコツ一発食らい、「名前ちゃんが泣き止むまで一緒に遊べ」と言い渡されたのだ。

「ああ、そんなこともあったね」
「あったね、じゃねーよ。最終的に被害食らったの俺だからな。って、あの時どーして大泣きしたんだ? それに、やけに俺が遠くに行くのに反対してたしよ。まあ、覚えてなかった構わないけどよ」
「ごめんごめんって。うーん、朧気だけど覚えてるは覚えてるよ。―――和成が、あのまま遠くに行って消えてしまいそうで怖かったからかな」

 彼女は、そう言って遠く―――水平線の彼方を見詰める。

「水平線の彼方に行ってしまって、もう帰ってこないんだって思ったの。まあ、ちゃんと帰ってきたしなにもなかったんだけどね」
「お前にしては、偉くメルヘンなこと考えてたんだな」
「うん、まあね。ほら、お年頃の女の子のわけだったし。―――でも、和成も怖かったから遠くに行こうとした私の手を掴んだでしょ?」
「へ?」
「小さかった和成のようにもう、帰ってこないかも知れないって思ったから」

 彼女は、そう言って腰を浮かして真冬の海へと歩み出す。

「“ 水平線の彼方に行ってしまったら、もうここには帰ってこれない ”」

 一歩、また一歩と彼女の身体は海に溶けて混ざり合って―――最後には消えてしまいそうで。

「名前、行くな!」

 すぐさま彼女を追いかけて海に入っていった瞬間、海水の冷たさに身を震わした。なぜか、先ほどよりも急激に冷たさは増している。しかし、身を凍らしながらも俺は必死で彼女を追った。
 やっと、また手を掴むことができた俺は再び「行くな」と発する。

「ダメだよ、和成」
「じゃあ、俺も連れて行けよ」
「それもダメだよ、和成」
「どう、してだよっ」
「和成はここにいて良い人間で、私はあっちに行かないといけない人間だから。こっちの和成を連れてあっちには行けない。それに、和成だって分かってるでしょ。もう、変えられないんだって。だから、海に来させてくれた」

 彼女は、ただそう静かに笑う。

「…………俺、お前に言いたいことあんだよ」
「うん」
「でもよ、今は本当にバスケに専念したくて。三年の先輩に優勝トロフィー渡したいし、それに緑間と同じ赤司がいる強豪校の洛山倒したいし」
「うん」
「だから、WC終わってから言おうって決めて願掛けみたいな感じにしてたんだよ」
「うん」
「なのに、お前がいなくなったら言えねーよ………!」

 ずっと一緒にいたから気づかなかった存在。学校が離れてやっと気づいた存在。
 別に会おうと思ったら会えるが、どうしてか恋しく思ってつい彼女の影を探してしまう。どこにいる。なにをしている。呆けてしまう時は彼女のことを気にしていたのが多い。
 それがどのような感情なのか、どこから来るのか生憎と鈍感じゃない俺は気づいていた。でも、気づいた時は目先の事―――バスケを俺は取っていたんだ。
 だから落ち着いてから、せめてWCが終わってからと思いながら想いに蓋を閉じた。

「和成、私ね」

 止めてくれ、と耳を塞ぎたい。だが、俺自身の手がそれを許してはくれなかった。

「―――和成のこと、好きだったんだ」
「――――」
「だから、和成と一緒に行けない。和成には戻ってほしいから」
「そう、かよ」
「うん、そう」
「………分かった」
「ありがとう。ばいばい、和成」

 彼女は、泣きそうな笑みを浮かべる。
 一滴の雫が頬を伝うのを見た俺はそっと彼女が流した雫を掬う。そして、

「俺も、名前のことが好きだったぜ」

 潤みだして霞み消え行く世界の最後に、俺らは結ばれた。



゜。




 目を覚ますと、そこは白い見知らぬ天井。

「高尾、大丈夫かっ!?」
「真ちゃん……ここは………?」
「会場の医務室なのだよ。ったく、貴様。心配かけさせるのも、大概にしろ」
「…………」

 ああ、確か俺。会場内で、階段から踏み外して落ちそうになっていた子供を庇ったんだったような。頭を打ったからか、あまりよく思い出せず前後の記憶が曖昧となっていた。
 寝てた。そして、永訣を果たしてきた。その二つだけは、曖昧な記憶の中でこべりついている。
 でも、誰と永訣を果たしたのかは分からない。

「救急車に連絡してあるから、もうじきに来るのだよ。………高尾お前、どこか痛むのか?」
「へ、別に対して痛くねーよ」
「ならどうして、泣いているのだよ」
「え、嘘。俺泣いてる?」
「ああ」

 真ちゃんが言った通り、俺は涙をぽろぽろと流していた。

「何にせよ、万が一があった厄介だ。今日は試合がないからちゃんと病院に行って診て貰うのだよ。―――お前が抜けた面子で、後に控える洛山を相手にするのは骨が折れる」
「真ちゃん……」
「と、とにかく、大人しく救急車が来るまで寝ているのだよ!」
「正直じゃないねー、真ちゃん」
「五月蝿いのだよ。俺は、監督らに話してくる」

 顔真っ赤にして正直じゃないんだから、真ちゃん。でも、本当に仲間として認めてもらっているのは単純に嬉しい。
 ニッシシ、と笑っていたら、真ちゃんが立ち上がって医務室から出ていこうとしたから「なあ、真ちゃん」と俺は呼び止めた。

「洛山に勝って、誠凜にも勝って、優勝すんのは俺ら秀徳だよな!」

 俺、頑張るよ。なあ、――――
 遠く、海の果てで君が笑っていた。


 企画「僕の知らない世界で」  第15回 優しい君は泡になる




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