愛が地球を救わないことは愛を止めていい理由にはならない

 ―――愛とは、一体なんでしょうね。
 ゆらゆら、幽鬼のごとく淡い女は真っ赤な紅を引いた口角を吊り上げて吐いた。ぞっとするほど、身が竦んでしまうほどに美しさが棘となる笑みを傾けて。
 さァな。ンなこと俺が知るかよ。
 煩わしいと。態度からも億劫な面を悪びれることなく男は紫煙をくゆらせた。加えている煙管の灰がジジジッと蚊が泣くような音でわずかに爆ぜる。
 隅で、聴取の内容を記録するために控えていた岡っ引きがはあっとため息を吐いた。



 事の始まりは遡ることいつになるだろうか。些細なことすぎて分からなくなったと、監察の男はぼやくだろう。それほどに男と女の始まりは霧のごとく有耶無耶であった。
やがてはその霧が晴れ、お互いの存在が遠くに思えたのはあゝ、確か八年ほどに前になるだろうか。
 あれは、一番隊隊長の沖田総悟の姉、沖田ミツバが江戸の地を訪れた時であった。彼女は昔から体が弱く、真選組の故郷で生活していたが、此度或る男と婚約するために喧騒が絶えぬ江戸の地へ足を運んだ。
 幸せになるのだと。愛する姉を思い思われた弟の望みを、愛した女を故郷に置き去りにした男の祈りを、彼らの願いを踏み躙るように神も仏も悲しみの海を好んだ。
 神も仏もいない。有るのは業火が舞う地獄のみ。忘れていたのか、此処はまだ地獄一丁目にすら辿り着いていないぞ! 川に咲くのは清らかでいじらしい花々ではない、血が燃えた曼珠沙華。地獄花の赤が切々と揺れている。
 愛した女の幸せを斬り殺した男の後姿を、明け方の彼方に見た女が「またでしたか」と呟いた声を此の時はまだ、誰も聞こえちゃいなかった。



 女の声がようやく聞こえるようになったのはややしてからで、しかも聞いたお人は男ではなかった。
 或る日。あれは、茹だるような夏来る前の梅雨時であったか。普段は思い思いに暴れさせた髪が雨でぐしょ濡れで、しんなりと元気をなくした銀の毛先から雫を垂らした男は渋々と嫌そうに告げる。

「新八と神楽がある組織に捕まった」

 銀色の男によると、二人が捕まった組織は異星産の麻薬をばら撒く天人が集う犯罪組織であるらしい。三人が事に関わったのはありふれた万事屋の仕事で、不運と不幸が重なり此処まで転がり落ちてしまったようだ。
 丁度、真選組がマークしていた危険地域にふらりと単身で乗り込もうとした銀色の男を寸前で止め、無理矢理話に聞いたところまでが憎々しい現状であった。
 局長はあちゃーと頭を抱え、一番隊隊長は捕まった少女の失態を鼻で笑う。顔を青ざめる監察の男の隣で、タバコを吹かしていた男は「事情は分かった。おめーはさっさっと帰れ」と言い放つ。

「はあ? あいつらが捕まったままのをテメーは何もせずに帰れだとぉ? ふざけンのはズレた味覚とセンスだけにしろよマヨネーズ野郎」
「あ゛あァン、マヨネーズ馬鹿にすんじゃねェよ。マヨネーズは万物に適用できる万能調味料だゴラッ。後、俺はセンス抜群だこのクソ天パが」
「クソはおめーの犬の餌みてーな飯のことだよ。あー、そっかそうですか。あんなゲテモノ食ってるせいで頭おかしくなったんだー。かわいそうに、自業自得だコノヤロー」
「うっせ、この銀色陰毛頭が。さっきからグダグダうるせェんだよ、斬るぞ」
「はいストープ! トシ、簡単に喧嘩を買うな。万事屋、早く助けに行きたいの分かるが一旦冷静になれ、いいな!」
「近藤さんっ!」「あーよ。こっちは元から冷静でしたけどー。そちらのV字くんが喧嘩吹っかけてきただけですけどー」
「おまっ、表出ろ!」
「出るわけねーだろ。バカのおめーと違って銀さんはデリケートなんだよ。雨ざーざーのお外なんて出たら風邪引くだろ」
「旦那、そのナリで言っちゃァ世話ねェですぜ」

 そんなこんな。二人の言い争いをなんとか止めたが結局、銀色の男が乗り込むのを止めることまではできなかった。
 かけられた手錠を解いて、待機中の隊士らの静止の手を振り払い先に乗り込んだ彼らの後を追うようにして、銀色の髪をなびかせながら乗り込んだ。木刀をひとつ手にしたまま。
 それからのことは割愛して事の顛末を簡略すると、皆無事に個々の目的は果たせたとなる。不意をついた作戦が功を成し負傷者も少ない結果で終わった真選組と、捕まった二人を無事に助け出すことができて万事屋も見事に大円団。
 しかし、この幕引きはまあ見て呉れだけを見ればの話となる。臭い物を塞いだ蓋を外してみると、黒幕たる天人は取り押さえた。だが、万事屋同様に渦中に巻き込まれていたらしい攘夷志士の桂小太郎率いる一派を逃したことは大きな失態であった。
 棚から牡丹餅を狙ったものであったが、常にあの腹立たしいロン毛と明後日な天然に手を焼いている、否、身を火薬で焦がしている真選組からすれば早く息の根を………お縄を頂戴したい限りである。しかも桂小太郎が起こしたであろう爆撃に乗じて、ことが片付けはしょっ引こうとしていた万事屋も眩ましたことがさらに油に火を注いだ。
 間を空けることがない舌打ちに不機嫌全開の空気。重い生理中の女子が放つダークが可愛らしい子猫ちゃんに思えるほど、近づいた瞬間に咬み殺すぞと殺気をびんびんに放ってる副長に後ろで控えていた隊士らの胃が上げる悲鳴が絶頂へ入る。
 誰か、助けてくれと言わんばかりの状況。
 これで、副長を蹴落とすことを生き甲斐にしているような一番隊隊長が来てみろ。みるみるうちに大炎上で我らの明日はない。祖国に忠義を誓ったが志半ばで息絶えるぞ!
 状況を打破できる誰かを待ち侘びる。そうだ、今副長の目が届かないところで鼻歌を交じらせながら得物の牙を研いでいるドS星王子はお呼びじゃない。誰かがその鼻歌のメロディーを耳にして「笑点だ」と口にした瞬間に、控えていた隊士の列からグフッと呻き声が。「あ?」
 鬼が振り向いた。誰かの、あるいは自身の喉が鳴る。鬼の背後はめらめらと真っ赤な血を思わせる地獄の業火が揺れていた。
 誠旗を掲げて人を天人を斬った我が半生、逝き先は目の前に迫り来る地獄であるか否か。さあ、迎えの鬼は目前だ。

「トーシー、新八くんから電話だ!」

 ああ、地獄の果てに見えるのは毛深き釈迦か。いや、ゴリラの化身だろう。毛深き野生動物か釈迦か仏かさておき、灼熱地獄を統べる鬼の意識は逸れた。小石をひとつ積み上げただけのことでも御の字だ。
 誰もがじんわりと緊張の糸を緩めた。

「近藤さん、いつの間に連絡交換なんてしてたんだ?」
「いやな、まあ………まあな! それより新八くんから電話だ。ほら、トシ」

 誤魔化した! 一同の心が通じ合った瞬間であった。そちらに関しても未熟な隊士らの顔にそうはっきりと浮かんでいる。しかし、上にも下にも問題児を抱えるフォローの申し子である副長は眉ひとつ動かすことなく、差し出された携帯を受け取り耳に当てた。
 まだまだ青臭い童(わっぱ)の慌てた声で忙しない言葉が並ぶ。ああ。おう。生返事よろしくな返しだが、彼の頭の中では此度の一件のあらましを整理している。
 どこを取っても、先程聞いた報告と重なる。真新しい情報はないものか。仕方がない。後から理由をでっち上げて直接、屯所までしょっ引くか。
 これからある諸々の面倒ごとに溜息が出る。しかし、それは溜息だけで止まった。こめかみをグリグリ抉るように押さえつけた後の一言により。

「奇妙な女がいたァ?」



 木を隠すなら森の中。本を隠すなら書棚の中。人を隠すなら群衆の中。ひとつを隠すのは簡単だ。多くの、例えば無限に広がる砂漠や広大な海にでも放り込めば済む話。
 故に、話し声を隠すなら――――有象無象とひしめき合う声の場所に限る。そして、秘め事をするなら変に身構えるよりも堂々とした佇まいであれば正解だ。
 案内された一室を去り、襖を静かに閉めた。ひんやりとした身が竦んでしまいそうな冷気が足の裏から伝わる。
 雅な音色と、笑い声。桃色の蠱惑な香りが漂い、眉をひそめた。人を色に溺れさせる魔性を嫌うからだろう。
 早くここから離れたい。嫌悪の思いがより足の歩みを早める。表の豪華な玄関ではなく、
 裏の華美な要素を取り払った勝手口を目指した。
 勝手口の番をしていたであろう男に気持ち程度の金を握らせて、襟を正して街へ出ようと背の低い門を越えた先にある女がいた。
 夜鷹かと思った。この街は色を売り買いする欲情に塗れた街だ。故に身を売る女が道端にいてもおかしくはない。だが、いくら同じ街であろうと立ち入っていい身分が限られる場所はある。それが今、女が佇むこの楼一帯であった。
 どの世界にも暗黙の了解たるものは存在する。煩わしいことこの上ないものであるが、抜き出た頭を少し捻ればしょうもないことでも十分に利用できる代物だ。人を蹴落とすなら信頼の糸を切れば終わる。
 ああ、と口角がつり上がった。後わずかであの男の足場を崩して、あの男が大切に築き上げた城も砂ごとく崩れるのだ。心が動かぬわけないだろう。「ああ、誰かと思ったら真選組の参謀殿じゃぁありませんか」
 最下層にいる女では出せない艶のある声が。それとなぜ、自分のことを。緊張と緊迫。遠くにある騒がしい絢爛の世界から切り離されたが、この張り詰めた空気が妙に不釣り合いであった。

「誰だ」

 と鋭い声で女の腹を斬る。すぐに腹を晒されるとは思ってはいない。しかし、

「ご安心を。わたしはあなた様の敵じゃあありません」
「それなら味方でもないのだろう」
「まぁあそうですねぇ。だって、わたしはあなた様の味方になれるほどの人間ではありませんから」
「……………」
「それにここにいた理由はあなた様じゃぁりませんよ。ある人を待ってましてね。そこにあなた様が現れただけです」

 虚ろな女の目。浮かぶ色は自分が最も嫌う感情の色である。頭によぎるのは捨てたいが、確かに自分の血肉となり上へ押し上げた屈辱の塊。
 不快感を煽る不燃物がせり上がる。「そうか」
 元から用はない。この場を去ればすぐに切れてしまうか細い蜘蛛の糸なのだ、これは。スッと、爬虫類と睨めっこしている気分だと揶揄された目をすがめる。
 女は笑っていた。ゆらゆらと幽鬼の如く、淡く。あるいは威嚇する獣の如く、にやりと不気味な白をチラチラと見せて。生き血のように真っ赤な紅を引いた唇に目を引いた。

「ただのお節介かと思われますが、おひとつよろしいですか」
「……………」
「ふふっ、あなた様死にますよ」

 優雅な貴婦人の微笑みとはこのような者だろう。と、思えるほどに女の笑みは極上の雅を含んでいた。しかし、吐いた言葉とあべこべだ。
 「どうしてだ」より鋭利な一撃を女な腹に。

「私があの方を愛したからです」

 人が狂ったように音色を上げる。狂気を背負い込んだ祭り囃子が遠くで聞こえた。花魁の誰かが身請けされたのだろう。その音色は人生は祭りのようだとうっとおしく告げる。
 一夜で騒いで、一朝で終わる。なんと人は、哀れで刹那なものか。そこに愛などと厄介なものがあるのだから人は病だ。
 さあ、空っぽな病に臥した生命よ。共に一夜を明かすことすら地獄の果てでと申すのか。

 真選組参謀、伊東鴨太郎。
 攘夷派、鬼兵隊と裏で繋がりを持ち己の野望を果たそうとしたが、鬼兵隊から手を切られその愚行の報いを受けたことにより左腕を失う。
 最期はケジメとし、真選組副長の決闘に敗れ息を引き取った。亡き骸は真選組が密葬した。
 ある鬼は語る。最期は笑っていたと。



 縁があった将軍、徳川茂茂の大規模な暗殺計画を阻止しかの人の平穏を願っていた矢先に届いた徳川茂茂の死。
 国葬の警備に回されていた時に起きた警察庁長官、松平片栗虎は新将軍の即位後に行われた改案により警察組織を一新したため厳粛対象にされた。それに伴い、彼の息がかかった真選組局長、近藤勲も処刑を命じ彼が率いる真選組解体も命じた。

 次々にあの方の大切なものが消えてゆく。身が擦り切れるよりも辛く苦しい、地獄の苦行。
 愛した女に、故郷を共に離れた仲間、互いの腹を明かした仲間、野良の狼に居場所を与えた人、背中を追いかけた人。そして、己の心に旗を掲げた居場所。
 さてはて、次は何を失うか。呪われた女と、こうも対面したのだから。
 あれからの時は長かった。待ちわびているようで、待ちわびてはいけないお人。あなたはつくづく真っ赤な業の責を与える地獄がお似合いだ。

 ある事件の重要参考人として任意同行で引っ張った女の取り調べ。岡っ引きとしてはまだまだ青臭い新参者だが、悪事を引きずり出すのは慣れていた。そのために、取り調べの重要な役を渡されたのだ。
 女はつらつらと聴いたことに関して吐いた。淀みない、清らかな川の流れのように躊躇いもない。嘘かと疑いながらも、取り調べは滞りなく進んだ。
 そこで、今までマトモすぎることばかり口にしていた女の口から奇妙なことが出た。

「私は呪われた女でして。私が愛した人は皆、不幸になっていくのです」

 と、なんだそれは。

「だから、あなたの今は私のせいなのです」
「っは、なんだそれは」
「私が、あなたのことを愛したからですよ。土方十四郎さん」

 なるほど、ここでようやく女の化けの皮が剥がれたわけか。

「ンなもん、関係ねェ。これは俺のものだ」
「そうでしょぉね。でも、私が愛したからその人々は不幸になりました」
「なら、過程としてそうだとしてもなぜ止めない」

 それを問うと、女はひくっと口角を吊り上げた。

「ではなぜ、やめる必要があるのしょぉか」

 女は続ける。

「私が愛することによって誰かが死ぬとしつも、どうして私が愛することやめないといけないの? それっておかしいじゃぁないですか」

 女は続ける。

「だって、愛に罪はないですから」

 爛れた笑みを女は浮かべた。にやりと、不気味なほどに白い歯と毒々しい赤をちろちろと見せながら。
 知らねェよ、ンなもん。鬼に愛を説くなど、馬の耳に念仏だろう。



 企画「バット」様 提出




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