ささやかに逃避行

※本編エンディングまでのネタバレとキャラの捏造有り


 忘れられない人がいる。
 その人は顛末を知る人なら絶対に忘れたらいけない人だ。鎖と形を変えて纏わりついて離れない呪いのように。あるいは、頭上で流れる雲のように見守っているような優しい記憶のように。
 忘れられない人がいる。
 だからだろう。今日も手元にある金の懐中時計のネジを巻く。巻いて、巻いて、巻いて。適当なところで手を離した。

 カチ、コチ、カチ、コチ、カチ、コチ、カチ、コチ、

 さあ、今日も巻いては流れる時の幕の上がる。いや、幕は上がらないか。上がるわけが、ないからだ。

「そうなんだ。ミラがすっかりやる気になってさ、俺とダックを組んで打倒ヴィクトルを掲げるんだ」
「じゃあ、勝負はスープかい」
「いや、プリンになった」
「どうして?」
「エルが食べたいって。それでヴィクトルが『プリン対決なら受けて立とう』って言って聞かないんだ。まあ、ミラはヴィクトルに勝てればいいみたいだしそれで」
「へえ、でも楽しそうだしいいじゃないか。もし対決のプリンが余ったらくれないか?」
「食べたいのか?」
「君の話を聞いていたらね」
「今作ろうか? 材料さえ揃えばわりとすぐだけど」
「いや、余ったのでいいよ」
「そうか。じゃあ、多めに作って隠しておくよ」
「隠すのかい?」
「放置してたらミュゼとガイアスが全部平らげるからな。対策としてトマト味にしたら見つけた兄さんが寂しそうな目を向けてくるし」
「だから隠すのか」
「そっ」

 青年は笑う。
 それはそれは幸せそうに。今流れるこの時こそが幸せだと噛み締め、周囲にそれを伝えるほどに青年の笑顔は幸せに満ちていた。
 死体は踊らない。後悔は囁かない。悪夢は魅せない。キラキラとしたものだけが詰まった宝箱で青年は笑う。
 背景の、窓の外と同じ黄昏の色をした紅茶を啜った。ああ、陽が落ちるなとぼんやりと。

「他にはどんなことがあったんだい。聞かせておくれよ」

 幸福な青年の見えないところで金の懐中時計を巻く。巻いて、巻いて、巻いて。手を止めた。
 テーブルの上にある茶菓子や紅茶の色は違う。さっきは黄昏と同じ色だった紅茶は淡い桃色に変わり、カップもまろやかな丸ではなく花開いたような形に変わっていた。
 青年は笑っている。
 男の子は確か、カエルとカタツムリと子犬の尻尾できているはずなのに。不思議と青年は女の子と同じものでできているように思えた。お砂糖とスパイスと、素敵なものすべて。ほら、不思議と。

「そうだな。今日はな…………」

 青年は笑って、口を開いた。
 レイアが取材で見つけた雑貨屋商店街でエリーゼとティポと共にピンキストの名に恥じぬほどにピンクグッズを探し歩いた話。
 アルヴィンに息抜きしようぜと誘われて酒に溺れるほど飲んで、迎えにきたミラがすっかりミイラ取りになり二人して酒場で奇妙な寸劇を繰り広げた話。
 ガイアスが街に出て行ったきり帰ってこないとローエンと一緒に探しに行ったら、まさかのエルとルルがガイアスを見つけていた話。
 エレンピオスの裏都市伝説解明を掲げたレイアに半ば連れ去られた形で共に調査をしていたら、本当に危ない裏の事情に片足を突っ込んでしまいスパイ映画並みの逃走劇とアクションを体験した話。
 エルの要望でヴィクトルと編み物対決に白熱した結果、大量の編み物が残ってしまいビズリーにマフラーをプレゼントとしたら困惑した顔だったが最後には微笑みながら「ありがとう」と言われた話。
 久々にノヴァにユリウスの現状はどうだと根掘り葉掘り聞かれ、疲れた帰り道にどこかやつれたリドウに「お前のせっ………いや、悪い。ただの八つ当たりだ」と敵キャラのアイデンティティーが喪失していた話。
 仕事でアルヴィンとユリウスが一緒に動いた後の日にどうだったと聞いたら、遠い目で「おれにはむりだ。やっぱり、お前はすげーよ」となぜか肩を手を添えられた話。
 エルの母親、ラルとの茶会で「私ね、あなたのことはあの人の弟みたいに思えるの。だから、私のことはお姉さんって呼んでもいいのよ!」と期待を込めた目を向けられた話。
 ユリウスに料理を覚えさせるの会、第138回目でやっとユリウスが目玉焼きを覚えて兄弟二人深夜にはしゃいでいたら大家さんから怒られた話。
 どこか遠い頃の話で、金髪碧眼の女性と銀髪翠眼の女性が仲睦まじく花束を作り父親らしき壮年の男性と銀髪の少年に手渡していた話。
 誰もいない日、ヴィクトルが料理を作って二人でトマトソースパスタを食べていたらぽつりと何か言葉をもらしていた話。

「そうか。楽しかったかい?」
「ああ、楽しかったよ。色々あったけど」

 笑う青年の口から色々な、華やかだったり地味だったりでも幸せに満ちた話が出てくる。そして締めはいつも、

「他にはどんなことがあったんだい。聞かせておくれよ」

 と、青年の見えないところで金の懐中時計のネジを巻く。巻いて、巻いて、巻いて。「………ガー、ルド…………」巻いて、巻いて、巻いて。「ねぇ、…………きてよ。…ドガー…………もう、」巻いて、巻いて、
 真っ赤なラスベリージャムのクッキー。薔薇の風味を残したフィナンシェ。クリームたっぷりのチョコレートケーキ。色鮮やかなマカロン。ドライフルーツが入ったガナッシュ。キャラメルソースをふんだんにかけたパンケーキ。チョコチップと紅茶を練りこんだスコーン。シンプルなプレーンビスケット。まろやかなチョコレートがかかった生地に強くない生クリームのエクレア。
 テーブルの上にある菓子や紅茶はくるくると。まるで見えない妖精が踊るように変わっていく。ネジを巻いて、手を止める度に。テーブルの上の世界は変わる。
 変わらないのは、幸せに笑う青年だけ。
 「………………!」巻いて、巻いて、巻いて。この部屋にはいらないイレギュラーを捻り潰す。ネジを巻けばいい。ただそれだけで、青年は幸せに笑える。「一緒に…………ンの地に………エ、」巻いて、巻いて、巻いて。巻いて、巻いて、巻いて。
………………。ほら、静かになった。巻いていたネジから手を離す。当たり前のように。抗えない運命の如く、懐中時計の針は動き出した。

 カチ、コチ、カチ、コチ、カチ、コチ、カチ、コチ、

 落としていた視線を上げる。テーブルの上にはフワフワなシュークリームと、澄んだアイスブルーの液体が入ったティーカップが二つ。さらに上へ視線を向けた。青年は笑っている。でも、何かが違った。
 微弱な違和感を感じながら、笑う青年は口を開いた。「このシュークリーム、トマトは入ってないんだな」

「入ってないよ。普通のシュークリームだ」
「そうか」

 アイスブルーの液体に青年は視線を落とす。

「それは残念だな、兄さんの好物で俺の好物だったのに。でも、独り占めはよくないもんな。だって、約束したから」

 ジュードと、ミラにも。
 それが引き金だと気づいたときにはもう遅い。陽が沈んでいた黄昏があった窓の外は琥珀と赤紫の光が。
 ジュード・マティスとミラ・マクスウェル。
 二色の輝かしい光に目を細める。ああ、さすが世界を救った英雄だ。でも、ここは英雄のテリトリーではない。懐中時計のネジを巻けば、すぐにさようなら。さあ、ネジを巻いて、

「もう止めないか」

 青年の手が伸びて、ティーカップから離した手に触れた。その顔は幸福とはかけ離れていて、魔物すら真っ二つに断つ剣の刃先のように尖っている。
 懐中時計の針は自然に沿うように動くのを止めない。窓の外の二色の光は強さを増していた。もう息を吐く間も無く、ここまで届きそうだ。

「どんな意図があってこんなことをしてるのかは分からない。でも、もういいんだ。逃げ道はいらない」
「言うまでもないが、こっから先は茨の道だ。どう進もうが君は傷つくぞ」
「うん、だからもういいんだ。俺は決めたから。―――何があってもエルを守るって。これが俺の選択だ」

 そこには幸福とは違うが、不幸ともかけ離れた決心を固めた力強い面立ちがあった。
この顔をした青年を何度、見てきたことか。それは大精霊オリジンの審判を幾度も挑んだことを意味する。
 ああ、と目を閉じた。そして開いて前を見据える。真っ直ぐと、貫く槍のように精悍なエメラルドグリーンがそれを映した。
 君は、

「………出たければ、そこから出られる」
「やっぱり、か」

 指差した先は二色の光が待つ窓の外。そちらを見遣ったエメラルドグリーンは妙に納得した様子だった。
 なぜと、首を傾げる。青年はふっと口元を緩めて、

「だって、空は飛ぶものだろう」

 と、余計に意味が理解できないことを吐いた。追求するのもアレな気がしたので口をつぐむ。すると、柔らかな笑みを傾けられた。
 無言の間、青年は窓へ寄り窓枠に足をかける。言わずもがな、青年曰く「飛ぶ」つもりなのだろう。
 開いた窓から強い風が吹き抜ける。その後ろ姿はまるで自由の大空へ羽ばたく鳥のようであった。自由とは本当の自由しかない。縛るものはない。それ故に自由とは無法地帯とも呼ばれる。つまりは行き先が見えない魔窟。
それは鳥籠から飛び出した鳥の死体が数日後に見つけることを指す。
 君は、本当にそれでいいのか。

「なあ、逃げ道を………夢を見せてくれてありがとうな。ジュードやあっちのミラと遊べなったのは寂しいけど、楽しかったし」
「君は、幸せだったかい………?」

 エメラルドグリーンはあっからんけと笑った。

「ああ!」
「なら、それで構わないよ」
「そうか。じゃあな、」

 バイバイ!
 銀髪の青年は二色の光へ羽ばたき、―――――真っ暗な奈落へ落ちていく。
 青年は最後まで後悔はないと、笑っていた。


「……ドガー、ルドガー!」
「っうわああ!?」

 耳元で名を叫ばれ、飛び起きた。慌てて辺りを見渡すと、そこは昨晩休息を取った宿の一室でベッドの上だ。「ルドガー、お寝坊さん!」
 自分の名を呼んでいた声が聞こえる。ここは、うつつか。

「おはよう、ルドガー」
「最後まで寝てるなんて珍しいわね。いつもは無駄に早起きして、無駄に毎朝張り切ってるのに」
「ジュードにミラ! ほら、エルちゃんと起こせたし、すごいでしょー」

 よく知る少年と美女、そしてむふーっと胸を張る少女。
 ああ、ここは夢じゃない。ぼーとする頭はそんなことを思っていた。夢、って。

「どうしたの? もしかして体調悪いの?」
「いや、何もないよ。ただ」
「ただ?」
「夢を見たんだ、ただそれだけ」
「へえ、どんな夢?」
「忘れちゃった」
「なにそれー。まー、ユメだしショーガないかな。前にパパがユメはおぼえていたってショーガないっていってたし」
「そうかもな」

 少女の栗色の髪を撫でると、「エルは子供じゃないよ」と頬を膨らませる。苦笑いを浮かべて、ごめんと謝ったら「いーよ!」とあっさり。目の前の様子を眺めていた二人の顔には笑みが咲いていた。
 彼はベッドから下りた。もう優しい夢は終わりだと、決別を示す。ここから先は酷な選択を強いられる現実だ。
 彼、ルドガー・ウィル・クルスニクは今日も茨の道を歩む。世界を、いや約束を結んだ少女を守るために彼は両手に武器を取り、戦うのだ。
 手に取った選択が紡ぐ未来が、エメラルドグリーンが映す未来が血と涙であふれた苛酷な行く末であっても、彼は進むしかない。



 忘れられない人がいる。
 大精霊オリジンの審判を乗り越えた人々にとって忘れてはいけない人がいる。
 その人は世界を救いたかったわけではない。ただ一人の少女の未来を守りたかっただけであった。自分の全てを犠牲にしてでも、少女へと救いを捧げた。
 その結末へ至るまでその人は幾度も大切な人を失った。奪われ、時には自ら奪った。その人はたくさん苦しんだ。
 ―――ただ、幸せになりたかったんだ!
 血に濡れたその人はいつもそう叫び、絶望していた。だから、ある者がそっと夢へ連れて去った。ここが幸せだと、宝箱に閉じこめて。
 しかし、その人は宝箱から飛び出してしまった。光の向こうへ飛び、やがて奈落へ真っ逆さま。その人はずっと笑っていた。
 ―――俺は、やっと守れたんだ。
 今日もその人は奈落から守った未来を見上げる。笑って、笑って。笑ってくれるだけで、一等幸せだからと。
 きっとその人は大切な人から聴いて覚えた、歌詞がかすれて消えてしまった歌を口ずさんでいるのだろう。

 忘れられない人がいる。
 その人は私の未来を紡いだサイコ―のアイボーだ。



 企画「シークレット・ブルー」様 提出



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