さまよう屑の群れ

 夜が垂れてく前に。その男はそんな叙情めいたことを「はようせい」と急かされた後に付け加えた。何のことだと首を傾げたら、億劫そうに向けられた視線の先を辿り「嗚呼そうか」と時間差で理解する。
 不器用な癖に風情なもんだ、と浮いたことばは胸にしまって私はただ「こりゃあ、夜が垂れるみたいだねぇ」とわざとらしいほどの感嘆を上げた。

 納得しとる中悪いがのう、他の奴が来る前に交代や。
 はいはい、そんな急かさなくてもいいでしょ。

 夜へ移ろう夕刻。お頭様が亡くなる数日前のやり取り。それが、不器用でろくな死に方をしないであろう男との最後の応酬であった。


 あの男の最後のやり取りどうだったかと、不意に思い出した。
 お天道様がギンギラギンに光を放つ昼頃、私はショーウィンドウの前でガラスに映る自分の姿を確認した。よし大丈夫。最後の仕上げに襟元を正して皺を伸ばし、私はまた歩み出す。
 人の往来が盛んな表通りを歩いて数十分、すっかり人気がなくなって寂しい霊園に到着。ふうぅ。吐き出した息が秋口のまだ生ぬるいぐらいの空気に溶け込んだ。
 セミではなく、日が暮れればチラホラと鈴虫が鳴く季節には一丁前になったものだが、この暑さはまだまだ抜けそうにない。夏用の薄生地の着物で十分なぐらいだ。冬用の着物に衣替えするのはまだ当分先だろう。
 霊園の入り口に置いてあった手桶に水を溜め、ついでに顔も洗う。

「あー、生き返るわぁ」

 火照った頬の皮膚が冷たい水でしゃんとする。ひと通り涼んだ後に、ひしゃくも拝借してまた暑くて湿っぽい中を歩く。
 もうカレンダーだったら季節は暑苦しい夏じゃなくて秋なのに、額や背中と体のどこらかしこもじんわりと纏わりつくような汗が湧き出る。ええいっ鬱陶しい。悪態をつらつら流しながら、目的の墓の近くまで来ると目を張った。先客がひとり、いたのだ。「あんた、この墓に何の用だい」
 私の声に反応して、先客はこちらを向く。うねうねと爆発した銀髪の天然パーマで、黒のインナーの上から白地で裾に流れるような淡い青の波紋柄の着流しを粋に着崩してる男が。一瞬、こっちの関係者かと身構えたが、男が腰に携えているのは木刀だった。

「野暮用でな。馬鹿親子の面ァ、拝みに来ただけさ」
「馬鹿親子って、まさかあんた………」
「あ? つーか、てめーこそ誰だ?」

 墓に向ける、気怠げな死んだ魚のような赤目は柔らかな優しさを帯びてた。頭にこべりついたある人物を彷彿とさせる。一連の出来事が済んだ後から埃のようにわいた話を耳にして、直接会わないといけないと思ったら人物。
 お頭様が引き籠りのぼっちゃんを蔵から出すにために呼んだ歌舞伎町の万事屋の旦那。そして、気高き狛犬としての最期を見送った男。
 一度、その面を拝みたいと思っていたやつが目の前にいる。

「魔死呂威組の屋敷に勤めてた女中みたいな者だよ。まあ、今は違う所に勤めてるけどね」
「あんなキナ臭さ満載の屋敷によく勤めてたもんだ」
「お頭様に昔拾われてその縁でね」
「てめーもその口か。あのジジイ、とんだボランティア精神だな」

 肩を竦める男にジリジリと一歩、また一歩と近づく。やがて墓前まで距離を詰め、私は男に訊ねる。「あんたが、万事屋の旦那で坂田銀時さんだよね?」
 水が張った手桶を地面に置く。その衝撃で、ちゃっぷんと水面が大きく揺れた。しばらくしたら水面は凪いでいた。

「なんだお前、銀さんのファンですかコノヤロー。なんならサイン書いてやるよ。ちぃと前にサインの練習してたからバッチリだぜ」
「あながち間違いじゃないけど、サインはいらないよ。お会いしたかっただけだから」
「へえ、そりゃあ嬉しい。でも銀さん、ガツガツしてる子はタイプじゃないんだよねぇ」
「それは残念。次の恋が始まる予感してたのに」

 そもそも終わったと口にする恋すら始まっていたのか甚だ疑問のところ。硝子を砕くようにバラバラと屑が散ったところを直接目にすることができたら、手に取るように実感できるのに。
 自分がいた環境のためもあり、ほかの娘よりも傷んだ手のひらをぎゅっと握る。そこには何も見えなくて、何も感じられない。ただザラついた皮膚を持つ自分の手の感触があるだけ。涼んだ筈の手はすっかり外の暑さに当てられて、ぬるい体温が戻っていた。
 そう言えば、彼の手は気持ちのいい冷たさを宿していた。まるで青い火のような男だと、彼についてまた思い出す。屑みたいに散らばった記憶が約束でもして集まるみたいに。
 遠くに、夏が終わってしまう前に売り払ってしまおうと風鈴屋さんが大きな声で売り込みをしているのが聞こえた。
 去年も、その声に耳を傾けていたんだ。あの時、あの場で彼が言っていたことは思い出せる。でも、声は思い出せない。散り散りに砕けて消えてしまったのだろう、きっと。

「あのさ、万事屋の旦那。あいつの最後、どんなのだった?」

 今日だけなら思い出すことは許されるだろうか。日を重ねる度に砕けてしまった屑を寄せ集めて、今日だけ時を止めて。
 男は墓を見ながら、

「笑ってたぜ、眉間の皺なんて綺麗すっぱり取れた面でな」
「そう、か」
「満足か?」
「うん、ありがとう。ありがとう、ございます」
「礼には及ばねーよ。俺はただ馬鹿息子を親のとこに連れて行っただけだ」

 ぽんぽんと頭を優しく叩かれ、男は「用済んだし、俺ァ帰るわ。おめーも日ィ暮れる前に帰れよ」とふらりと墓前から去って行った。私は去って行った男の背中にちゃんと頭を下げる。ありがとうございます。いくら積み上げても足りないほどの感謝の思いを込めて。
 あーあ。せっかく、ここに来る前に身なりを整えたのに。顔はぐちゃぐちゃだ。でも、笑えていた。

「さあて、ちゃっちゃっとやりますか」

 墓に水をかけて、綺麗にする。最後の仕上げにと白菊と生前二人が好んで飲んでいた一升瓶を、供えてた。蝋に火を灯して、手を合わせる。黙祷を捧げ、ややしてから立ち上がった。
 屑は屑のままだった。散り散りになったのを寄せ集めようが、それが元に戻ることはない。死人が蘇らないように、砕けてしまった記憶は淡く霞む屑となりやがては溶けるように消え逝く。でも、それは仕方ないことだ。
 流れる月日は抗えない。私がこれからも生きていけば、あの世に逝った彼を残して私はどんどん成長して老いる。いつか結婚するのだろう、いつか子供を産むのだろう。いつか実りもしなかった初恋を初恋だと、違う誰か愛しながら笑う未来がいずれ来る。
 結局、止まれと願おうが目の前に映る空色が澄んだ青から突き抜ける赤へ移ろっていた。
夕陽が赤いのは、青よりも赤が遠くに届く色だからだと聞いたことがある。誰が言っていたのか。そいつが誰からか聞いた知識をサラッと口にしたのか。まだ屑が私の中で散らばっているを感じられるだけで満足だ。
 夜を迎えても、朝を迎えても。また明日が来ると思えるだけで、前に進める。

「また来年も来るよ。まだまだ私はそっちに逝かないからね。だからさ、この酒でも持ってお頭様と一緒にぼっちゃんに会いに行きな。ちゃんと仲直りさせてやんないと容赦しないよ」

 あんたが二人の間を持たないとね、狛犬さんと私は告げた、夜が垂れてく前に。


 企画「夜会」様 提出




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