安らかで、健やかな寝息が聞こえる。そちらに視線を向けると、女子生徒が一人机に突っ伏した状態で寝ていた。
机の上は女子生徒の寝顔に他に開かれてる雑誌や封を切ったお菓子の袋や箱やらが。しまいには、彼女にブランケットを被しているがその上に張り紙が貼ってあった。『4時半過ぎたら起こしてやってください^ ^』
つまりは何でもし放題の散らかりようである。
「苗字さん、起きてください」
乱暴に起こすこともできたが、あまりそれは隣の教室ーーー三年の教室で音を立てたくないと思った赤葦は控えめな声を出す。健やかな寝息から察するにやはり、女子生徒は依然として起きる気配がない。完全に夢の世界へ旅立っている。
ダメだ、起きそうにない。教室の前の方にかかっている時計を確認すると、針は4時半過ぎを示している。赤葦自身も用があるが、どっちにしろ女子生徒を今起こすしかない。
この居眠りも受験の疲れかと察する。春高優勝すんぞぉー! バレーにしか専念してなさそうな同じ三年の木兎さんとは無縁の疲労だろうなと。
受験は大変だと思う。しかも今は勝負時だろう。だから今、寝ている彼女も大変な苦労をしている筈。でも、そこにある寝顔は安らかだった。すやすやと幸せそうな表情を浮かべる顔を眺めていると、こちらまで満たされる気持ちになりそうだ。
いつまでも寝顔を見ていたい。と言うよりか、女子生徒の顔を見ていたいと言うべきか。久しぶりにちゃんと顔を見れたと、赤葦は胸の辺りがじんわりと滲むように解けていく感覚を噛み締めていた。
今は受験生として日々頑張っているが、元は男子バレー部のマネジャーとして部を支えていた一人であった。夏のIHを期とし、引退。彼女が部に与えていた影響を感じながら、「先輩、ありがとうございました!」と後輩マネジャーに泣きつかれている彼女を見送ったのを今でもありありと目に浮かぶ。
あの時のことを思い出して、口がわずかに開いたが息を吐き出すだけで終わる。何をしているんだと。自身を叱咤する。早く起こして用を済ませようと、赤葦はまた控えめな音量で名前の名前を呼んだ。
…………………。
しかし、赤葦の思い実らず名前は目覚めない。ここで粘っていても仕方ないかと、諦めの色が赤葦の中で徐々に濃くなる。
わざわざ二年である赤葦が三年生の教室に赴いてまで名前に会いに来たのは、彼女がマネジャー時代に所持していた書類をもらうためであった。
本来なら同じクラスの木兎が受け取る手はずだったが、お互い放課後まで忘れていて部活の時にマネジャーが「そう言えば、木兎さん名前先輩から受け取りましたか」と訊いたことにより思い出した。なら、そのまま木兎が再度受け取りに行けばいい話だがタイミングが悪く監督から呼び出されしまい偶々近くにいた赤葦に白羽の矢が立ったワケだ。
赤葦頼むっ! と、頼む木兎を前に直接用があるマネジャーに頼まず、どうして俺にと思った赤葦。隣にいたマネジャーも「私が行きますよ」的な雰囲気だったが、なぜか途中で木兎側に回って「お願い、赤葦」と言われる始末。
木兎だけならまだしも、マネジャーにまで頼まれてしまった赤葦は仕方なく了承した。俺が出て行っても、別に練習に支障を来たすワケではないと割り切り。だが、いつまでもここで時間を潰されるのはさすがにいただけないだろう。もう一度読んでも起きなかったら、悪いが帰ろうと踏ん切りをつけた。
さてはて、といつまでも爆睡中の名前を眺めていたら彼女の机に散らかっていた雑誌のページが目に入る。「『彼から贈られるて羨ましいドッキリ ベスト10!!』………」
内容は女子中高生向けの雑誌らしいといえば聞こえがいいが、正直、彼女が好き好んで購読するとは驚くようなもの。赤葦が知る苗字名前との人間はあまり恋愛というものに興味がないように思っていたから。恋をするなら美味しいお菓子の類を、愛し合うならバレーの応援をしたいと言う風に、赤葦の目は彼女を映していたのだ。
故の、衝撃。
しばしの沈黙をようやく飲み込んだ赤葦は、先を急ぐと言わんばかりに慌てた様子で彼女の名を呼ぶ。苗字さん。控えめだった声はじりじりと迫る時間の焦りのせいか上擦る。すると、今まで反応がなかった彼女の肩がわずかに揺れた気が。
「お願いしますから、起きてください」
「………だれ?」
「赤葦です。木兎さんに渡す筈の物を取りに来ました」
「……………」
「ちょっと、寝ないでください」
起きたかと喜んだのは束の間。うーんと唸り声を上げる名前は再び寝ようとする。数ヶ月前に目にしていたキリリとしていた彼女から遠ざかった気怠げな態度で、とろんとした瞳は「よくも気持ち眠りを邪魔してくれたな」と言いたげだ。そのギャップに赤葦は困惑、せず反対に意地悪心が刺激された。
彼女が起こして欲しいであろう時刻はとうに過ぎている。しかも、赤葦には関係ない約束のためにここまで駆り出されたのに、何たる仕打ちだ。
ああだと誰も聞いていない言い訳を並べる赤葦。堪えようのない笑みが色濃くなる。
膝折って、頭の位置を彼女と合わせる。幸せなが寝顔から若干不機嫌そうな顔つきへ変わった彼女の机に投げされた手を取り、
「よそうと思っていたのですが、久しぶりに顔を見れて気持ちが止まりませんでした。起き抜けですみません、実はずっと前から好きです」
苗字さん。
わざとらしいほどに。発した自分すら明らかに含む色を変えた声色。本音がチラチラと見え隠れるせいか思いの他、嘘くさいほどに真摯な声が教室に響いた。
『起き抜けに』を省いてしまえば、名前の周りで散らかっている雑誌に載ってるのと重なる。そう、これはドッキリだ。
引退したとはいえども年下の、部活の後輩から告白されて目を白黒させる彼女の顔を思い浮かべたらもう笑顔が溢れてしまった。さあ、見せてくださいと。面白い漫画を読んでる時に感じる、ページを次に次にと急かす高揚感に溺れる。
静かな教室に赤葦の告白が溶けて、益々リアリティの影を落とす如く沈黙が生まれた。あ、これこっちも恥ずかしくなってくる。と、後悔がわずかに蠢いてきた。満足したらすぐにネタばらしをして早々に逃げようと、赤葦は予定を立てる。
「それは嬉しいね。でも、どうしてこのタイミング?」
しかし、名前の表情は赤葦が望んだものではなかった。寝ぼけていたであろう彼女の顔にはいつぞやに見た覚えのある笑みが。取った手を反対に握り返された。これは思っていた展開と違うじゃないか!
「………それは、さっきも言った通り苗字さんを見れたから思わず勢いに負けてですよ」
一瞬、破顔したがすぐに気を取り戻して恥ずかしい気持ちを告白する羞恥心だと繕う。もう何にでもなれと自分はヤキが回ったのか。
反対に握り返された手を両手で覆う。教室はふたりっきりで、秘め事をするような甘い蜜が垂れる。いや、これはもっとふざけているものだ。
とろんとまどろんでいた彼女の双眸は、先ほどの夢の世界をおぼろげに映すのではなくしっかりと赤葦を捉えていた。この両目も身に覚えがある。視察調査をしている時に見た「悪どい顔」だ。
負けず嫌いの自分がゆらりと火を灯した。
「今日、何月何日か知ってますか?」
「知ってるよ、それぐらい。何曜日かはちょっと自信ないけど」
「金曜日ですよ。ジェイソンです」
「それは13日の金曜日。えっと、今日は確か………12月5日だね」
知っていると、言っていたに関わらず完全な自信がなかったのかうようよと前の黒板に視線を這わせて日付を確認していた。その様子だと、おそらく名前は知らないだろうと赤葦はほくそ笑む。
出鼻は少々挫かれたが、ここから巻き返せば良い。終わり良ければ全て良し。最後に自分が笑えばいいのだから。
「12月5日って、俺の誕生日なんです」
「え、そうだったの。あー、今日かあ。ごめん、プレゼント用意してないや」
「構いませんよ、別に。苗字さん受験生ですし」
「お気遣いどーも。好きだって言ってくれたのに、何も用意ができてない女でごめんね。何か持ってたかな………あ、渡せそうなのないな。明日か明後日かにちゃんと渡すよ」
一応の抵抗かと、彼女はカバンを探ったが赤葦に渡せそうなの物がなかったようで日を改めると申し出た。来たっ。その言葉を赤葦は待っていたのだ。
結局、たぶん名前は赤葦の告白がドッキリだと思っているだろう。だからさっきから平然とした態度を崩さない。しかし、もし『それ』が嘘ではないとの信憑性はどこにもない筈。全ての答えを持つ赤葦すら『それ』が100パーセント嘘だと言い切れないところがある。
その実、この流れは本当にドッキリとして成立しているのか疑問でもあった。胸元のざわつきは嘘を吐くのとまた違ったリズムを刻んでいるから。
ことばを落とす声が、自然と震える。
「なら、名前さんをください」
俺、誕生日なので。両手で覆った彼女の手を胸元へ引き寄せた。ドクンッドクンッ。大きく、波打つような拍動に彼女はどうジャッジを下す? 嘘か真か。騙されるか信じるか。さあ、どっちだ。
皮膚越しに伝わっているだろう思いを感じた彼女は、
「むしろこんな女でよければ、どうぞ」
「苗字さん、」
「お願い何も言わないで………」
言葉を文字だけで受け取れば彼女は上手く騙されてくれたのだろう。おざなりな対応に満足して、赤葦はとりあえずこの場を去ってから後日改めて誕生日を祝ってもらえば事が丸く収まる。
しかし、名前の顔を見てしまった赤葦にはそうすることができなくなってしまった。
「顔真っ赤ですよ」
「言わないでって言ったのに! 大体赤葦だって顔赤いからね!! 絶対、私より真っ赤だから!」
「そんなことないです」
「そんなことある!」
息を飲んだ後、あああああ! と悲鳴を上げながら名前は机に顔を伏せる。悲鳴はくぐもり、顔は見えなくなった。でも、髪を掻き分けた先にある耳やうなじまでも茹だったタコのように真っ赤だ。
顔辺りが不自然に暑いなと思うが、それはこの教室が暑いからと言い訳を。あー、あーあー。なんらかの信号でも送っていそうな彼女に「あの」と呼びかける。
「苗字さん、これって」
この感情が果たしてどのような形をしているのか。くっきりとした物かハッキリもしていない。あやふやで、さっきした告白と同じ。本音と嘘がぐるぐる混ざり合って、黒と白が混ざって溶けて灰色になったようなものだ。
これはなんだろうか、一体。名前が定まらないけど、心臓はずっとうるさくて顔が熱い。
「だぁから、もう何も言わないでって! あー、こんなにこっぱずかしいもんなのかあ」
「知りませんよ。俺だって初めてですから」
「初めてあのデキって、赤葦怖いわー」
「それを言うなら苗字さんの返しもです。なんですか、あの小慣れた感じ」
「だって、ビックリしたけど嘘くさいなあって思ったし、『あ、この内容さっき見てた雑誌にあった』って思い出したからドッキリだって。だから、私も便乗しただけだし」
「悪ノリが過ぎますよ、あれは。俺だって、そこそこ恥ずかしかったですし」
「あー、計画だったら『なーんてうっそ☆』ってネタバレしたら、元から用意してたプレゼントあげる予定だったのに!」
「え、用意してたのですか」
「してたよ、だって好きな人の誕生日なんて忘れるワケないじゃん」
「えっ、」
「あっ、ちがっ違わないけど違うからっ!」
もしかしたら、今までのドッキリよりもサラッと吐き出された言葉のほうがドッキリではないのか。慌てる彼女に赤葦の心臓は益々うるさくなる。
結局、仕掛け人で、ターゲットであったワケで。勝敗も赤葦が抱く気持ちと同じようにあやふやに。でも、ひとつだけ分かった。
惚れたら負けなんだ、と。
「もー、私の負けでいいよ。赤葦、誕生日おめでとう! はい、プレゼント!!」
押しつけられたプレゼントを抱えて、赤葦は「俺も負けですよ」と笑った。
企画「あなたとおはなし」様 提出
20141205 HAPPY BIRTHDAY 赤葦京治