ジーザス・フリークに嫌われた男

 彼女の微笑みは崇高ではない。
 ああ、なぜ人は彼女を聖女と呼ぶのか。
 彼女は毒そのものだ。緩やかに、その甘さを浸食させて腐らせる。最期にはぐずぐずに膿んでしまったモノを奈落へ堕とす。
 なぜ人は、彼女のことを聖女だと讃美するのだろうか。理解不能だ。穢れた人間からすれば。
 そうだ。自分は汚れているのだ。だからこそ、嘘だって簡単に吐く。人を蹴落とす工作だって立て上げる。

「ほい、フルハウス」
「はあ!? マジかよ!」
「ワシの勝ちやな」

 人は汚れているからこそ嘘を吐くのだと、先人は誉れ高く言っていた。事実、その通りだと素直に納得している自分がちゃんといる。
 たかが高校の飲み物を賭けた勝負にイカサマだ。監視の目なんてあってないもので簡単に種を仕込める。しかし、簡単に仕込めるとしてもいきなりロイヤルストレートフラッシュでは疑われてしまう。何億分かの確率がいっかいの高校生に出せるワケがない話だから。

「今吉のことだからイカサマしてそーだな」
「してるワケないやろ。大勝負やないのにイカサマ使うのはさすがにアホくさいわ」
「大勝負ならイカサマするってことかよ!」
「そこで揚げ足とるなや。だからな。ワシはこんなしけた勝負で、イカサマ使うほどつまらん男ちゃうって話」
「っけ、そーかよ」
「まあ、今吉ならロイヤルストレートフラッシュ出してもおかしくはないちゃーないよな。なんせ、妖怪だし」
「酷いなあ、まったく。いっかいの高校生の運でそなすごいモン出せるワケないやろ。ビギナーラックもええとこや」
「いいやー、お前だったらギャンブラーにだってなれるって」
「分かる分かる。イカサマに嘘八丁ってな感じによろしくやってるわー」
「ンなワケないやろ。じゃあ、ワシちょっと出るやきい。飲みモンはせやなぁ………ブラックのホットでよろしゅう」

 ひらひらと躱すようにその場を去った。「つまらん男」だと、自分自身で嘲って。
 なんとなく始まった賭け事ポーカー。別に負けようがどうでも構わないと思っていた。懐具合だって悪くない。しかし、手が勝手に………いや、無意識にイカサマを仕込んだ。嘘を吐くことに慣れた手が。そして、その後もすらすらと嘘を吐いた。
 しかし、自分だけが異常だと思っていない。他の人間だって簡単に罪を犯している。人間との生き物は産まれながらにして罪を背負って生きているのだ。今さら「私は潔白だ!」とほざくのは愚者の極み。
 そして、真っさらでいようとするために罪を懺悔し形だけの許しを得る行為だって愚かだ。
故に、彼女は浄らかな聖女ではない。腐った屍の山に佇むただの人間だ。自分と同じように、原罪にまみれて穢れた人間で一人の女でしかない。


「俺は………、赦されるべきではないのです。だからっ」
「大丈夫ですよ、あなたは赦されましたから。今、私にちゃんと自分が悪かったのだと罪悪を語ってくれたじゃないですか」

 中庭の隅。人の目がつきにくい日陰に偽物の聖女が、涙を流して罪を語る咎人に寄り添っているのが見えた。そこは懺悔するシーンを描いた一種の宗教画のようだ。
 またや。罪を赦すと、咎人に寄り添う女を見つけて舌打ちした。
 またあの女は神の真似事をしている。人としての生を終えて、再生し神となった或る男の真似事だった、それは。懺悔することで罪を赦す。そして、悔い改めよと。今までの向きには神がいないから、神がいる方向に顔を向けなさいと告げる。「なんちゅー茶番や」
 記憶に古い彼女はそんなことを口にしていなかった。宗教など知らぬと、お盆もクリスマスもバレンタインも普通に楽しむよくいる現代の日本の子であった。しかし、女の母親が得体の知れない宗教にハマり娘に自身の信仰を強いた。そこから、あのような欺瞞に近いことを行うように。
 偽りの聖女が安心しなさいと神の尊い御言葉の如く、口にする。ややしてから彼女に縋っていた男子生徒は晴れ晴れとした顔つきで「ありがとう、ございます」と礼を言った。

「いいえ、礼には及びません。神のご加護があなたにあらんことを」

 そう、彼女は微笑む。それは救いを求める咎人からすれば、さぞかし慈愛に満ちた笑みだろう。決して穢されてはいけない。清廉潔白で、唯一にして無二である神に愛された微笑み。
 しかし、自分の目に映る彼女の微笑みは女がお綺麗にした作り笑いだ。聖女だと崇める女ではなく、穢れた人間からしたら何もすごくない平凡な女でしかないのだ。
 眺める絵の世界では聖女は、麗しいの微笑みで罪を懺悔した咎人を見送っている。その絵の世界では、自分との穢れた人間は傍観者でしかないのだろう。もう一度、嘲るように言ってやる。
 これは茶番だ。とんだ腐ったクソつまらん三文芝居や。金返せと、会場にいる観客は激怒もんやろ。だから、と紡ぐ。

「もしかして、今吉くん?」
「ああ、久しいな」
「うん、久しぶりだね。同じ学校にいるに会うことってあまり無いんだね」
「せやな」

 自分に対して傾けられるモノはさっきとなんら変わりない。しかし、自分の中にいる何かがざわついているのは確か。これはどうしようもないほどに阿呆だ。ああ、胸の奥が疼いて鬱陶しい。

「大丈夫?」
「ん、ワシは大丈夫やと思うけど」
「さっきの今吉くん、何だか苦しそうだったから。もし何か悩み事でもあるなら話聞くよ」
「いや、かまへんよ」

 やから、そのツラをこっちに向けんな。
 そこにあるのは偲ぶ尊さではない。一人の男が一人の女に抱く欲心だ。マグダラのマリアが教徒から罪の女だと言われた理由と同じだろう、自分が犯したとされる罪と。

「そっか。じゃあ、話したいことがあったら遠慮なく来てくれていいよ。ほら、口にするだけでも心が晴れやかになるからね」
「機会があったら頼むわ」
「うん、いつでも頼ってね」
「ああ、せやな」

 今吉翔一との男を人は食えないだの、妖怪のサトリだと複雑怪奇だと言葉を送る。しかし、当人からすれば他者に向けられる表情ひとつ同じであるだけで嫉妬を抱く、ただの一人の男でしかなかった。
 他者の懺悔に耳を傾ける聖女を崇められる場所から引き摺り下ろして、自分の元まで堕ちこいと願う。教徒から見れば誰のものではない、唯一にして無二である神の所有物であろう彼女を自分の女にするために。
 一人の男は聖女として綺麗に微笑むのではなく、一人の女として溢れるばかりの感情と共に微笑む顔を見たいと、思っている。


 企画「黄昏」様 提出



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