静かなる氷解

 (現パロで銀八先生です。作中でほのかに銀妙な雰囲気を匂わせています。)


 終わらない冬を待っている。
 いちご牛乳の甘い匂いとヤニ臭い煙草の紫煙が染みついた教師は、確かにそう口にした。一語一句、聞き間違えたりなんかしない。関係ないかもだけど、英語のリスニングは結構良い点を叩き出せる自信だってある。鬼の副長こと、風紀の鬼たる生真面目な土方にだって英語の成績はウィナーだ。
 うん、やっぱりこの教師はそう言った。この死んだ魚の目でうがって世界を見渡す男にしてはえらくロマンチックなこと。

「先生、冬は終わりますよ」
「そんぐらい先生は知ってますう。現国教師馬鹿にすンな、クソガキ」
「やだなあ、馬鹿にしてませんよー。ただロマンチックな答えが返ってきたなあって思っただけです。あと、自意識過剰ですよ先生」

 自分が馬鹿だって思ってるから馬鹿だと思うのです。フッと、教室の後ろを占領する冷血硬派の高杉くんが浮かべるような笑みをあえて付け加えてみた。すると、ずいぶんと生きのいい反応が。「おまっ、そんな『ただぶっ壊すだけだ』病の高杉くんみたいな厨二になるぞっ!」んー、イマイチ違うけどまあいいや。めんどい。

「高杉みたいな厨二になるのは嫌なんで、大人しく止めまーす」
「おお、そうしとけ。厨二の世話は奴ひとりで十分だっつーの、面倒事増やすんじゃねェよ。先生だって年なの。もうね、最近の若い子にウィザードの話ししたって通じないの。ギリギリ、ビアンカの良さが分かる奴がいるぐらいなの。しかも前に、ハンターハンター読んでた生徒に『ハンターハンターも良いけど、幽遊白書も俺ァ結構好きなんだよ』ってぼやいてもたいていの子が微妙な顔つきすんの。ありゃァ、地味にショックだったわ」
「はい、来ましたー。ジェネレーションギャップ。中学生までいくともしかしたらジャンプのバスケット漫画はスラムダンクじゃなくて黒子のバスケになってますよ、たぶん」
「あー、スラムダンクの不動さは舐めたらいかんぞ。ありゃァ、バスケ少年のバイブルだぜ。それより、俺はNARUTOが数年後にはいない扱いになってそうでこえーよ。ワンピースと勝負できるのはブリーチしかねェって言われてみろ、俺泣く自信あるってばよ」
「ワンピースは分かりますが、ブリーチは数年後もある前提なんですね」
「いやァ、続いてるだろ。後、ギンタマンも今の展開であのゴリラ締める気がビンビン伝わってくるが………ひょっこり数年ぐれェ続いてまた十五周年でも『ははっ、十周年と同じでまたお祝いするの遅れましたね!』って編集部がすっとぼけるな」
「もうジャンプの百見さんですよ、それ。少年何十年目ですか? ん? 未だにジャンプを卒業できないマダオ教師」
「うっせ。先生の年齢はめんどーなババアと一緒で気軽に訊いた駄目です。これ、社会の常識だから。テストに出るぞー。あー、俺だって毎週毎週ジャンプ買うの止めようって思ってんだぜ。でもよ、長年習慣ってモンがあってだな」
「つまり、先生はもう年ってことでいいですね。ウチのじいちゃんもボケてんのに毎朝の日課は必ずするんですよ」
「てめーン家の老いぼれジジイと一緒にすんな。皺くちゃの皮がだるんだるんのブルドッグみてェな肌じゃないから。先生の肌はツヤツヤで、水も弾きますからね! 真矢みきさんだって『諦めないでぇ』って、応援してくれてるしィ」
「そのモノマネ、前にヅラがしてましたよ。微妙に似てるとこがすっげぇイラってきたので、覚えてます。あ、そう言えばヅラのやつが前に山崎に絡んでて………あれ、山崎がヅラに絡まってたっけ。いや、ヅラのヅラの毛が山崎のヤマザキパンのアンパンに入ってて、あれ? 何でしたっけえっと、………ああ、前に神楽ちゃんと行った店のスイパラの新作ケーキが美味しかったです!」
「やっべェよ、俺もう女子高生の話のぶっ飛びようについて行けねェよ。お前らのその飛躍で鳥人間コンテスト金賞取れるって。ドラマひとつできるからよ、いっぺん出場してみろって」
「失礼ですね。若いからテンポが速いだけですう。先生は年だからついて行けないだけ」
「そーかい。じゃあ、年は取りたくねェな。俺の授業とかお前らしたら、何? 亀の歩み ? そりゃァ、寝るわな。俺なら確実に寝る自信あるわ」
「そうですよ。だから、寝るのは仕方ないのです」
「あー、納得納得」
「え、マジで納得する感じなの? それはダメでしょ、先生」

 どんだけヤル気ないんだ、このドラドラ教師が。うんざりした気持ちが色眼鏡となり、その硝子越しの目で銀髪天パーの教師を見た。話をいったん区切ったつもりなのか、先生は準備室に置かれてある小さい冷蔵庫からいちご牛乳を取り出して啜っている。
 ずずずずずずずずずずっ。
 こいつ、500mlを一気飲みするつもりかよ。気怠げな目で態度なのに、肺活量だけは一丁前にしっかり働いてやがる。完全にブレイクタイムに入った先生を横目に、私もさっき売店で買ったコーヒー牛乳を啜る。普段は買わないけど、今は雪印のゆきこたんのイラストがプリントされていて推しメンのために購入した。
 高校の入学祝いに買ってもらった腕時計をチラッと見ると、ここに来てからずいぶんことを示している。本題に入らず、こうもダラダラと温まった国語準備室との名だけの私室でダベっていたとは。
 本題。まあ、私からしたら入ろうが入らまいがどっちでもいい内容に違いないけど。あの、窓の外を眺めているのかいないのかはっきりしない死んだ魚の目をした教師に呼ばれてここにいるのだから。それよりも、優先すべきことがある。私はそのため、制服に着替えて引き籠もっていた家から出て来たのだ。
 コーヒー牛乳の色が移った細いストローから口を離し、

「先生、冬は終わりますよ」

 柘榴よりも毒々しい赤が、緩慢とこちらに向いた。キューキュー。教室を温めるストーブが甲高い声で鳴く。

「その話はさっきで終わっただろ。何ですか、てめーもボケが始まった老いぼれになったか?」
「ボケてませんよ。ただ、どうして終わらない冬が欲しいのかなって思ったから」
「かったりィな、一々」
「昔から女は難しくて繊細なんです。だから、デリケートに扱わないと」
「てめーもそう言うか。ったく、女はどいつもこいつもそうなのか。難しいじゃねェで、めんどーなんだよ」

 ガシガシと爆発してる銀髪を掻いた。その頭に思い浮かべているだろう、先生曰く“めんどーな女”は誰か。私は知っている、と思う。
 ふぅぅ。煙草の煙を吐くように、細長い息を吐いた先生。息は無色透明だから目には見えなかった。でも、そうやって吐いたんだなって感じが伝わる。吐き捨てた後に、先生の息を吸い込む音が静謐な空気に膨らむ。

「『この杯を受けてくれ どうぞなみなみまで注いでおくれ
花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ』」
「井伏鱒二、ですね」
「おっ、知ってたか。さすが元受験生。コレな、俺が大学の時に入ってた飲みサーの追い出しコンパで毎年言う言葉なんだよ」
「へえ、風情なものですね」
「まあな。春夏秋冬、何かにつけて打ち下げだの打ち上げだので飲み会三昧のサークルだったけどな。で、噂ではそのサークルの立ち上げた奴が井伏鱒二がたいそう好きだったらしいからってワケ」
「ふぅん。やっぱり、大学生ってそんな感じなんですか」
「別に俺が大学生の姿じゃねェよ。ただの一生徒だっつーの」

 そう言うと、先生はどこか遠くを見ながら私じゃない女に語りかける。

「さよならだけが人生だから。今この出会いに、今この瞬間を大切にしましょうって話。まあ、一期一会とちげーねェわ」
「そうですね」
「ああ、そうなんだ。そうなんだよ。でもな、俺ァもう年のせいか『そうなんだ』って割り切るのも大変なんだよ」
「……………」
「若ェ頃は我武者羅に前だけ向いてンだろ。でも、大人になって歳食ったらそんな元気ねぇしなによりひとりとの時間が長くなる。だから、春が来るのが辛ェのかもな」

 肩を竦め、おどけるように先生は言った。空気に滲むように、教師の声は耳朶にとける。
 一瞬、一瞬を噛み締めなさい。その人との時間は永遠ではないから。だから、時を惜しむことは悪いことじゃない。むしろ、そうであるから大切にしなさいと説いているのだ。でも、その言葉を吐くだけなら簡単だ。月日のように。
 さんねんかん。たった六文字の中に、詰まった宝物は尊い。みんな、宝石みたいに一等キラキラした上品な輝きはない、ガラクタみたいにありふれたものだったけど。ごちゃごちゃで、がやがやで。でも、宝物なんだって振り返るとあたたかい気持ちでそう思える。だからこそ、この教師の言葉は胸に刺さる。
 彼は、教師との職業は、私が思うにピーターパンだ。
 ピーターパンは大人になった子供を殺して、ネバーランドを永遠の子供の楽園に。物語はそうだけど、現実は少し違う。本当に殺しはしない。ただ、ネバーランドから見送るのだ。さよならと、桜吹雪が輝かしい春に去ってしまう大人となった子を。
 前を向く子供だった大人の子は、気付けるのだろうか。見送るピーターパンの表情がどんな色をしているのかを。凍てつく長い冬が終わった先に取り残された彼は何を思う。
 もし、ここにいるのが彼女ならと考える。この、ピーターパンのような感傷に浸っていそうな教師の死んだ魚の目が映す女ならばと。気丈で、立派な一本刀のようにうつくしい女のことを考えた。
 彼女は、終わらない冬を望んでいる男に対してどのように言ってやるのかを。これは引き延ばしだ。春が来るまでの、冬のながい夢のようなもの。いわゆるビューティフルドリーマーってやつかも。
 でもどっちにしろ夢ならば、いつか覚めなければならない。

「『さよならだけが人生ならば また来る春はなんだろう』」

 ぱらぱらと。白魚の鱗が剥げるように、音もなく雪がとかす。
 花の蕾が芽吹くような。空気がはらはらと薄い膜を解かして、ようやくその先が見えてくる気がする。ああ、その面が見たかったんだ。

「そう返すって、ワケか」
「『書を捨てよ、街に出よう』の寺山修司ですよ。先生の場合は『ジャンプを捨てよ、春を呼ぼう』ですね」
「悪改変じゃねェか。だぁーかーらー、ジャンプはいつか卒業するって言ってんだろ」
「それって、どこぞのアニメスタッフの終わる終わる詐欺と一緒ですよー。何ですか、卒業するする詐欺ですか」
「ああン? 俺がするって言ったらすンだよっ! ぜってェしてやっからな、ジャンプ卒業」
「じゃあ、いつまでに?」
「………てめーらの卒業と、手と手を取り合ってワンツーフィニッシュですよコノヤロー」
「うわっ、開き直ったし」

 大人気ない。どこまでも大人気ない。そして意地汚いし、性根が腐ってやがる。まったく、こんな干物じみた人間性しかない人間の下で一年間よくやってこれたな、私たちZ組生徒。まあ、私はともかく他の面子が面子だからこのドラドラ教師と上手く調和が取れていたのだろう。
 ボケを無視できない性を背負った眼鏡こと志村弟とか、生真面目な土方とか。もしくは、長谷川さんや沖田やゴリやヅラに高杉とその愉快な仲間たちも。女子面も劣らないのが、Z組クオリティ。留学生の神楽ちゃんを筆頭にキャラが濃いのがごろごろと。たまに、キャサリン、きゅーちゃんに、「あ、妙ちゃんだ」
 先生と同じように窓の外を眺めていたら、見知ったポニーテールの女子生徒がぬくそうな格好で廊下を走っていた。その姿、凛とした佇まいは春に咲くあの花と重なる。あの花は散り際美しいと人は言ってしまうが、私は花は咲いてる間が一等美しいと思う。やわらかな世界で凛々しく咲き誇るその姿が好きだ。横目で、隣にいる教師の顔を見るとやっぱりと確信できた。
 三月の頭。卒業までほんの数日を残す日。受験生である三年生は自由登校で、私は速めに受験が終わったから卒業式の準備とかで学校に来ていた。そして、国公立志望の前期の結果発表はたぶんここ数日の間だ。正確には、今日だったかも知れない。

「急いでますねぇ。誰かにいち早くって感じですよ、あの様子は」

 私たちの視線に先いる彼女は廊下を走っている。どこか先を急いでいる様子。ああ、なんて。ニイっと口角を上げて、教師を笑ってやった。それを見た先生は「すっとぼけんなクソガキ。てめーはどこぞの集英社編集部か」と苦い顔をする。
 そう、私にはここに招かれた本題はどうでもい。大事なのはソコじゃない。私がいるのはただの時間稼ぎだ。彼女がここに来るまでの。クソガキとは酷いじゃないか。美しき友情だよ、先生。
 それじゃあ。と、クールな幕引きの準備を。

「先生、私もう行くわ。今から卒業式に出される紅白饅頭食べさせてもらえるんで」
「おいっ、てめっ!」
「あ、最後にひとつ」

 タダで帰るのも癪だから、そこらへんに放置されてたレロレロし過ぎると煙が出てしまう(らしい)レロレロキャンデーのストックをひとつ手に取って、教室の戸に手をかけた。小さな隙間からびゅるるると隙間風が身を縮こまる。ううっ、タイツ履いてきたらよかった。
 唇紫になってたら恰好つかないよなあ。どっちにしろ長居は無用だ。
 バッと振り返る。遅めのバレンタイン何が欲しいですかって聞いた答えがアレの教師の背後には、はらはらと降る雪はどこにもない。わずかな残り香のように、冬が停滞しているだけ。もうひと押しであっけなく崩れてしまいそうな世界だこと。

「先生言ったよね、『大人になったら春が来るのが辛い』って」

 春は出会いであると同時に、別れも連れてくる。初めまして、さようなら。なら、春は人生だと思う。
 この春に疼く感傷は、ネバーランドにいる者がよく知る痛み。しかし、怖れるな。この痛みを受けるのは、あんただけじゃない。さようならだけが人生ならば、人生なんていらなくなってしまうから。

「旅立ってしまう子供だって辛いんです。でも、みんな分かってるから笑っていようとする。めでたい門出の日ですよ。それに泣いて去るより、笑って去ったほうがかっこいいじゃないですか」

 さよならだけが人生ならば めぐりあう日はなんだろう
 冬を背負いこんだ教師にこの言葉は通じたか、分からない。元々この仕事は私の役割じゃないし。私ただの前座だ。氷も雪もすぐさま一瞬にしてとけるわけじゃない。ゆっくり、静かに移ろう季節を感じて自分も変えていくのだ。
 さあ、うつくしい花があんたのトコに来るぞ。終わらない冬を終わらせて、春へあんたを連れていくために。

「だから先生、卒業式の日はめいっぱい笑ってください」

 ニカッとめいっぱい笑ってやる。私、先生のその滅多に見れない笑顔好きなんです。だから、笑ってくださいな。一等なあの笑顔を見たいのです。私にだけ向けられなくていいから、ただ見たいだけだから。
 では、失礼します。振り返っていた意識も前に向けると、春が近づいているのが感じられる。こっから先は彼女の仕事だ。私はクールに去るよ。先生の反応を見る前に、私は急かすように国語準備室を後にした。
 さてはて、私たちの冬が終わった日にあの教師はまだああなのかは神のみぞ知る未来だ。果たして時が来ても、あの教師はまだ終わらない冬を待っているのか。


 参考 「勧酒」井伏鱒二
 「さよならだけが人生ならば」寺山修二
 企画「夜会」様 提出




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