赤い糸なんて結んだもん勝ち


 1匹のネコがずかずかと上がり込んできた。華奢な背中を丸めて、俺が貸した充電器をスマホに差し込んでずっと画面とにらめっこ。飯も食わず、風呂にも入ろうとしないその姿。
 それはまさしくネコさながらだった。

「おーい、いつなったら帰んだ」
「この充電が終わってから」

 キョロリ。アーモンドのネコ目をこちらに向けやしない、図々しいことだ。

×××

 カレシが浮気をして、そのことに対してブチ切れて喧嘩して、昼ドラでよくある実家に帰らせていただきます風に同棲していた家を出たのはもう1ヶ月ほど前となる。その間、カレシからの弁解や謝罪もなにもナシ。皆無と言っても当然だ。
 必要な物をまとめて鍵をダイニングテーブルに置いて、家を出た後に私がどうしようと心配したのがこれからの寝床についてじゃなく、ずっと手にしていたスマホの充電が切れそうなことだった。あとは、お金。
 カプセルホテルとかでも良かったけど、お金もったいないなと深夜の公園で赤ランプ直前のスマホの画面とにらめっこしていた。そして、同じサークルで同い年の黒尾鉄朗との男に拾われたのも1ヶ月ほど前となる。

 “ 黒尾のスマホって、どこ? ”
 “ au ”
 “ 充電器の差し口これ? ”
 “ これっていうか、機種同じだな ”
 “ まじかー。じゃあ、黒尾ちょっとお願いきいて欲しいかな ”
 “ なんだ? ”
 “ 充電器貸して ”

 充電器を貸してもらうがてら、黒尾の家へ上がり込む。そして、1ヶ月後も私はあいもかわらず黒尾の家に居ついていた。

「お前さ、いつになったら帰るの」
「テレビ見て、学校行って帰ってきて、晩ごはんとお風呂済ませて、寝たら」
「ソウデスカ」

 1ヶ月ほど前から続く、黒尾家食卓の朝の定例。意味もない応酬だけど、黒尾はどうしてか毎朝毎朝繰り返す。私がそのまま居つかないようにする抑止なのか、ただの道楽か。どちらか分からないけど、今は朝のこのやり取り以外に「帰れ」「出て行け」はもうなくなった。それは、1ヶ月の変化とも呼べる。
 ともかくも、人が美人を見飽きるに3日でこと足りると申すものだが、黒尾が私をノラネコと呼んでこの奇妙な同居生活に馴れるのは半月は有した。人の習慣を変えるのは少々と骨が折れる模様だ。
 朝の応酬を思い出し、溜め息をもらしながらも私の視線はスマホの画面―――不動産情報が載っているサイトを眺めている。
 このままなし崩しになるのか。それともどうにかしないといけないのか。普通なら後者が当然の選択だ。だって、そうしないといけない。だからこうして、黒尾がいないとこで新たな家を探しているワケだが。

「どっこも高ぃー」
「物価が高いのが東京だから仕方ない」
「面倒だなあ」

 ズギャー。シャー。物騒な効果音を鳴らしながらPSPを弄りながら見向きもしないで辛辣に現実を告げる少年。いや、年齢的に言えば少年はおかしく青年が正解だけど見た目と、諸々を考慮して勝手に少年と呼ばってもらっている。
 少年、孤爪くんは「面倒でもずっとクロの家に居つくのはさすがにダメじゃない?」とPSPから出る音に若干負けかけてるボリュームで正論を。ぐうの音も出まい。
返す言葉もなく、孤爪くんに向いていた意識をスマホに戻す。ピコン。気が抜けるような音がスマホから流れる。
 余談だが自他認めるスマホジャンキーの私が着メロとか初期設定にしていると、皆、話し合わせたかのように驚く。絶対、弄ってんだろ。いやはや、そんなこと言われましても面倒な設定なんぞ弄るの面倒じゃないですか。それに、私はLine中毒者じゃなくてアプリゲームジャンキーでさァ。クッキーババアなんて何十万のクッキーの山を作り上げたことか。お陰で、スマホの充電は毎日カツカツ。
 ってな風に、スマホがなくなったら生きていけない生涯。財政力身につけたらもう私、スマホと結婚するー。そんでATMを愛人にしたい。

「ねえ、見なくていいの?」
「ヤベッ、忘れた。えっと、誰から………げっ」
「バイト先?」

 違う。よくはないが、まだバイト先の先輩からお怒りのメッセージが届くのがマシだ。
送ってきた主は、浮気をした元カレシ。内容はうんたらこうたらとお前が必要なんだよチックで、復縁を迫るものだった。顔を歪めたまま、メッセージをひと通り読んで吐く。

「ふざけんじゃねーぞ」

×××

 ああ、イライラする。

「また充電器独占してよ。返せ、今すぐ返せ。俺のがライフピンチだから早く返せ」
「後、80パーになるまで待って」
「おい、それ1時間以上コースだろ。いくら寛容な黒尾さんでも怒りますよ」
「黒尾って寛容だっけ」
「駆け込み寺にされても追い出さず今まで置いてやった黒尾さんを寛容で慈悲深く真摯だと言わずして何にナリマスカ」
「後半、無駄のがジャラジャラついてるよ。今どき渋谷のJKでもそんなにストラップ付けないけど」
「………とりあえず返せ。そんでこれは没収です」
「あっ、ちょっと!」
「手が寂しいなら代わりに風呂でも洗ってこい」

 スマホごと充電器を取られ、取り返そうとするもミッションコンプリートならず。スマホ姫は悪の手先に囚われてしまった。仕方ないので、大人しく黒尾の言う通り風呂洗いへ。今は何か手にしていないと、イライラや鬱憤晴らさないとどうにかなりそうだ。
 あれから元カレシの復縁を迫る連絡がひっきりなし来る。しっかりとノーって、もう終わりましたからって拒絶の意思を示しめているに。あいつの頭はお飾りなのか、あいも変わらず送ってくる。ちぃったァ、こっちの気を考えろ。終いにはメッセージだけじゃなく、電話もかけてくるから充電の消費が早くなるしゲームは中断されるし最悪だ。
 あっちの家に充電器を忘れてしまい、あっちから謝罪あったりして私の機嫌が緩和されたときには回収しようと思っていた甘い考えが遅れながらに否定された。これじゃあ、諦めるしかない。明日にでもヨドバシに行って新しいのを買ってこよう。
 スポンジに天下の花王、バスマジックリンをくしゅくしゅと馴染ませながら財布に入っている中身を思い出す。
 さあて、洗いますか。と、腕をまくった瞬間に「なあ、」と脱衣場と隔てる磨りガラスの向こうから声が聞こえた。黒尾だ。お前、話しかける余裕があるなら晩飯作れや。

「なに」
「お前さァ、これからどうするワケ?」
「とりあえず、風呂洗って晩ご飯食べたいけど」
「あのな、そうじゃねぇんだよ。本気でどうするんだ、これから」
「……………」

 言葉が詰まった。どうするか、本心では何ひとつ決まっていないから。孤爪くんに言われた通り、いつまでも黒尾の善意に甘えてたらダメだってことぐらいは理解してる。早く、家を借りてここから出ないと。
 でも、頭じゃないところは「でも」とブレーキをかける。
どうしたいか、もうちょっと分かんない。この迷いを正当化したらダメだから、なおさら言葉が突っかかる。
 真っ白な頭に「何も決まってなさそうだな、その様子なら」と黒尾の声が滲む。「だったら、」

 ピンポーンと安っぽいインターフォンが響く。紡いでいた言葉を遮られた黒尾はそのまま続けないで、「ちょっと出てくる」と玄関に向かってしまった。
 ……………………。
 だったら、の続きに少しだけ期待してしまいそうになった自分にひどく嫌気がさした。違う、そうじゃないんだ。と、言い聞かせる。
 風呂洗わなきゃと、心を鎮めた気でいようとしている間に玄関先から黒尾の声が聞こえた。相手の声がしだいに大きくなっていて、かなり揉めているみたい。
どうしたんだろうと、一旦中止して恐る恐る玄関先を覗くとそこには黒尾と元カレシが口論していた。

「ここに名前がいるの知っているんだ。早く返してくれ」
「お言葉を返しますが、嫌です。実際に彼女は人の所有物でもないし、貴方とは別れたと聞いてます」
「あれは名前の癇癪みたいなものだ。まだゆっくりと話し合ってもいない。それに俺は別れたつもりはない」
「3股の浮気してバレて、別れる気がないとか最低ですね」
「部外者のお前には言われたくない。これは俺ら2人の問題だ、入ってくるな」

 2人の問題。そう言い切ったアイツの言葉に何かが切れた。
 な、に、が、2人の問題だァ。ふざけんな。1ヶ月も音沙汰なしで今さら抜け抜けと、オメーの面の厚さは相変わらずだな。こっちがもう付き合う気がないって散々言ってんのに自覚がないのか、このクソやろう。
 頭に溜まった鬱憤を今晴らさなければと思いつく限りの暴言を浴びせてやろうと、口を開くも声が言葉をなす前に私の気持ちは外に出た。

「2人の問題も何も、そんなわざわざ解決するする必要性もないモノを考えるほどこっちは暇じゃないんで」

 後ろに立っているから黒尾の表情は見えない。でも、声音はやけに明るい。不気味なほどに。
 前に孤爪くんが言っていたことを思い出す。『クロって、怒り方が2つあって普通に怒ってる分は良いけど、そうじゃないときは気をつけたほうがいいよ』あの忠告は今、生かされるのではないだろうか。
 ああと、息を吐く。そして、黒尾は締めの言葉を告げた。

「帰れ」

 不覚にも、いや、正直とっても嬉しかった。黒尾が言ってくれた言葉は。

×××

 事の結末を告げれば、私と黒尾は正真正銘の同棲生活を始めた。同居から同棲へ。居候から一応、カノジョにグレードアップなワケで。
 周りからしたらまず「え、一緒に住んでたの?」と初めっから知らないタイプと「え、まだだったの?」と察しのいいタイプの双極に分かれていた。他にも、周りの人たちは黒尾の苦労というのか我慢というべきか、よく耐えたよお前はと生温かい視線を送っていたりと。様々な反応を受け止め、あまり以前と変わらない日々を過ごしていた。
 そんなある日、あの晩ぶりに元カレシから連絡がきた。
 内容は今まであったことの謝罪と、彼の家に置いてきてしまった充電器をどうするかについて。私は少々、まあ10分ほど悩んで「いらない」と答えた。

「だって、2人でひとつの使うってロマンチックでしょ」

 赤い糸だって、2人を繋ぐのは1本の糸なんだから。ガラにもないこと口に出してちょっと恥ずかしかったので、この件は丸々黒尾には内緒だ。


 「亡霊」より
 企画「おそろい」様 提出




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