シャアロック・ホオムズが訪れるには少し悲しみが足りない部屋

※ネタバレ注意




「私、たぶん近々殺されて死ぬと思うから」

 夕暮れの教室に立つ影は2人。1人は私で、もう1人は同期の幸運―――狛枝だった。告げた言葉を耳に入れて咀嚼するのに時間がかかっているのか、常にヘラヘラとして1周回った薄気味悪い顔は珍しく破顔している。こうして新鮮味に溢れ、薄気味悪い表情を浮かべていない彼の端整な顔を眺めると、ああ腐ってもイケメンだったなと思った。松田と同じようにあまり授業に出ない私は自然と同級生との関係が薄いが、目の前にいる狛枝凪斗が異常なことぐらいは知っている。
  入学して間もない頃から狛枝凪斗の噂は尽きない。最終的に聞いたのは確か『死神』だったか。囁かれる理由は狛枝凪斗の才能だった。
 大きな幸運を得るために支払われる大きな不運。狛枝凪斗は両親を亡くした身だが、莫大な遺産や数々の宝くじやらでそこらの資産家にも負けない財産を所持していた。しかし、金の代償は彼の両親だったり友人、あるいは己自身である。幸運に愛されたと言うより、やっかいな神に独占的な寵愛を受けているようだ。狛枝凪斗が愛するモノ、愛そうとしたモノ―――自己愛も許さないのだろう。
 いつだって希望ヶ峰が選ぶ幸運は枠にはまれない捻れたのばっかだな、と思っていると、狛枝は「ふうん」と自分の中で整理を着けたようだ。

「それは希望のためなんだろうね。すごいなあ、君が死んで新たな希望が生まれる。まるで神話みたいだ」
「神話、ね………」
「北欧神話の巨人ユミルや日本神話のイザナミ、死んで後を産み出すとしたら迦具土神も含まれるかな」
「どれも親族に殺される話ね」
「仕方ないよ、神話では子の成長は親殺しから始まるから。まあ、迦具土神は愛する妻を殺されて父であるイザナギに殺されたけど。でも、迦具土神の死体から新たな神が産まれたから結果オーライだと思うよ、ボクは」
「新たな希望のためなら………。どこを切り取っても最終的に貴方は“希望”に行き着くんだ」
「あはっ、今さらのことだよ。ボクみたいなゴミクズから希望を崇拝する信仰を奪ったら何が残るんだい」
「確かに、そうだったね」

 目を伏せて、狛枝から視線を外す。確かに神話の親殺しは新たなる神話の神々を産み出すのに必要不可欠な要素。ユングだって神話の親殺しは子の成長、ないしは親離れを象徴していると言っていた。
 でも、親殺しは神話ではひとつだけの意味ではない。親殺してしまったことにより、破滅をもたらすことだってある。ユミルが死んで流した血の洪水によって巨人は死に絶え、イザナミが死に黄泉津大神となり1日に千人の人を殺すと宣言した。そして彼の王も、

「でもオイディプスも、最後まで救いようがないよね」

 知らずに父親を殺め、知らずに母親と交じった。故にスフィンクスの問いかけは異伝では内容が代わり、昼が4本足で獣だとオイディプスをなじっている。
 口にした言葉が届き、私が考えていることをある程度は汲み取れたらしい狛枝が口許を歪ませた。うっそりと灰色の瞳を細める。

「君の死で希望が生まれず、代わりに破滅を呼ぶとしたら―――――絶望だね」
「……………」

 一瞬、目を張った。まさか希望崇拝の狛枝凪斗すらもその言葉を口にしながら、陶酔するように恍惚とした表情を浮かべるなんて。果たして彼自身、自分の心に起きた変化に気づいているのだろうか。
 絶望をアメのように振り撒く元凶。希望ヶ峰の肩書きに便乗するなら『超高校級の絶望』の正体は、私は知っていた。しかし、私は口をつぐむ。
 言ったところで、私のこれからも希望ヶ峰のこれからも、そして『超高校級の絶望』が与えたアメを口に含んでしまった彼らの未来が変わるわけがない。坂を転がる石ころは己の身を削りながら、やがては砕けてしまうしかないのだから。

「貴方も、その言葉を吐きながらそんな顔をするのね」
 
×××


 人が創造主に成り代わるのはおこがましく、罪深い冒涜だ。創造主、神は神話においてことごとく人が神の領域に登り詰めて立つことを許さない。裁きをと言わんばかりに断罪する。
 例を挙げるならば1番分かりやすいのは、やはり旧約聖書のバベルの塔か。人が天まで届く塔を作り上げようとするが神が塔を崩し、また神に近づくことしないように統一されていた言語すらも乱した。神とは、とその話を知って私は自問したのを覚えている。

 夕暮れの教室から研究室に戻ると、彼が本を読みながら座って待っていた。読書に集中しているのか、まだ私が帰ってきたのに気づいていない。
 そのまま、気づかれないままコーヒーでも淹れておこうと思っていたら、スッと彼の視線が没頭していた本から私に上がる。

「帰ってきてたのか。後、これ暇潰しに借りてた」
「別に構わないよ。コーヒー飲む?」
「いや、遠慮する」

 断った彼は再び、本の世界にのめり込む。夢中で何を読んでいるのかと気になり、手元にある本のタイトルを見た。「貴方ってそんな本を読むのね」

「普段は読まないけど、ここで読めそうな本って言ったらこれしかなった。お前こそ、自分の才能と相反するのじゃないのか」
「反しないよ。戒め、って言うべきか。まあ、置いて損がある訳じゃないから」

 才能とのワードを自分で言ったのに、自分で反応してわずかに顔を歪ませながら彼は「そうか」とあっさりと淡白に納得した風を装う。また自己嫌悪と、才能否定が彼の脳内で渦巻いているに違いない。

「でも、その本の結末は好きになれないの」

 閉じかけた話を抉じ開けた。

「最後かに怪物は博士を絶対に殺すと思ってたから」
「殺さず、殺されずに終わったな、確か」
「ええ、そう」

 そこで、私はコーヒーを啜る。甘くもなく苦くもなく。美味くもなく不味くもなく。無味なコーヒーと呼ばれる液体を体内に流し、私は彼を見た。

「フィクションならそうだけど、現実ならどうなるかな」

 神の領域に土足で上がり込む不届きな人はどのように断罪されるのか。
 私はね、きっと貴方じゃない貴方に殺されると思うのよ。博士と違って、貴方自身の手で。


 「リリトちゃんとギヨくん」から




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