単刀直入に言おう。苗字名前は非生産的な恋を長年抱き続けている。馬鹿なほどに彼に恋い焦がれいるのだ。しかし、彼はそのことを知らない。
臆病者である故か道化師である故か、想いを口にしないからだ。絶対に。
×××
早乙女学園を卒業した私は得てして、早乙女プロダクションの事務員と母校の早乙女学園の教師との二つの席に腰を据えることができた。面倒くさがりな私の質を知っている人間取ったら驚きの就職先だが、いかせん現代は就職氷河期。
就職活動で日々会社を訪れて受けては落とされの生活を過ごすより、一時の快楽に身を投じるほうを選択したのだ。もし、魔法使いや神様仏様が顔を現し願いを叶えようっと夢見がちな展開になるならば、私は間違いなく「過去に戻してくれ」と縋りつくだろう。それほど、現在進行形で後悔していた。
「忙しい………」
書類が山積みとなっているデスクに頭を抱える。ああ、面倒だ。ひと思いに、この紙束に埋もれるデスクをダンッと八つ当たりをしてやりたくなるが…………そんなことをすれば、大惨事が起こってしまうからその衝動を抑える。
ギィッと、体重を背もたれに預ける。目尻を押さえ、うううっと唸る。
「おい、大丈夫か?」
「……っん。ああ、龍也か」
閉じていた眼を開けば、うなされている私の姿を見て心配げに眉を寄せる龍也の姿があった。
日向龍也。早乙女学園の喧嘩番長ことケンカの王子様だ。しかし、そのことを本人に言えば、恐ろしい剣幕で「そのことは言うな」って口止めされるのだ。まあ、私は龍也の年齢的に『王子様』が似合わないし何よりおもしろいから、からかいで時々言っているものだが。
「大丈夫。大丈夫。ちょっと疲れただけだから」
ひらひらと手を振り、「むしろ、龍也のほうが大丈夫?」と訊いた。
久しぶりに見る日向龍也の顔は、私から見たら酷くやつれている気がしたのだ。いや、表向きはやはり顔を売りとするアイドルらしく普段通りの健康体よろしくだが…………眼球の映す世界にいる日向龍也は少々やつれて見える。それは、気のせいではなく。
私に訊かれた後、龍也はあーっと頭を乱雑に掻きむしり、衝撃的な事実を落とした。
「やっぱり、バレたか。………睡眠時間一時間半は、案の定顔に出るかな」
「一時間半!? それ、私の学生時代の昼寝時間と同じぐらいだよ!!」
「お前、よく寝てたよな」
他人事であるように笑う龍也。あんたは早死にしたいのか。そう、思い過ぎてつい口に出してしまった。
「あんた、そんな生活続けてたら早死にするよ」
「まあ、100歳は不可能だな。そもそも、社長に会ってからは覚悟はしてたから良いんだよ」
っま、こんなに仕事量が膨大だったとは思ってもみてなかったけどな、と手にしていた紙束を眺めながら溜め息混じりで龍也は吐き出す。
ああ、なるほど。あの人(社長)の下につくとなるのは生涯、子々孫々に語り継がれる勢いで苦労話が積まれそうだ。確かに納得できて頷いてしまう。かれこれ、私も無茶ぶりをされた人間(被害者)の一人のようなもの。事務職やりながら教師業もやれっていったいどんな無茶ぶりだよって、入社当時はよく思っていたことだ。
ああ、そうだね。そう、同意すると「だろ。社長の下にいるって言うのは、こういうものだって割り切らないと死ぬぞ」と返ってきた。
「確かに死ぬねー。でも、睡眠時間は取らないともっと速く、人生若くして幕引きとなるよ」
「へいへい。ご忠告、しかと刻んで置くぜ」
「刻んで置くだけでじゃなくて、実際して欲しいんだけど」
「それだったら、この書類が片付いてからになるな」
「……あんたって、やっぱりマメだよねぇ」
「マメじゃねえよ。仕事だから、しょうがないだろ」
お前が働こうとしねえだけだ。………そんなことを言われたら、何も返せまい。
普段から、自称・省エネをモットーに生きる私からしたらその言葉はNGワードだ。だから、折れようじゃないか。苗字名前は日向龍也に負けた。両手を上げて、負けを清々しく認めた私に龍也は重い溜め息を吐く。
「お前のそういうところがな……」
「個性大事に。日本人は平均を求め過ぎだよ」
「お前も日本人だろ」
「そうでしたねー。私、仕事戻るから龍也は寝たら?」
「処理したいのがあるってつっだろ」
「ああ、そうでしたね。お気の毒に」
「お前なっ………もう、いい。一々突っかかるのが、馬鹿みたいだ」
「学んでくれて、ありがとう」
ふんぞり返った姿勢を戻して、デスクの上にある山積みの書類と向き合う。さあ、無理しない程度にやるかあ。
山積みの一番上にある紙を一枚めくる。みっちりと敷き詰められた黒い文字の羅列に………やっぱり、心が折れそうになった。挫折だ挫折。人生とは折れゆくものだ。
目尻を押さえ、うんうんと唸っていたら頭に小さな物が当たった感覚がした。なんだ? 頭からコロコロと転がり落ちて、紙に埋もれたデスクに転がったのは一つの飴玉だった。
降ってきた飴玉に首を傾げていたら、頭上から龍也の声がした。
「糖分摂取は大切だぜ」
彼はそう言い残し、仮眠室へと姿を消した。しかも、その手にはまだ紙束がある。きっと、寝る前に少しでも片付けようとするのだろう。……だから、それを無理と言うんだよ。龍也が消えていった仮眠室の扉を睨みつけ、感謝の言葉を述べる代わりに舌をべえっと出した。