バンドエイドで隠してみる


 人間、物静かであり続けるとたまにだが無性に叫びたくなる。心の悲鳴じゃない。なんかこう、ぽろりと1粒のコンペイトウが落っこちてしまいそうな感覚。そう言えばコンペイトウと星はよく似ていると思う。実際の星じゃないとおくとおくの地球から見たチカチカ光る星とまろやかな色のコンペイトウ。小さい頃、お母さんから「これはお星さまの欠片なの。だからいっぱい食べたら名前のお腹の中でチカチカ光ってしまうよ」とたしなめられた記憶があった。お星さまの欠片。1粒口に含み舌で転がしたときに味わえる甘さ。あー、今コンペイトウが食べたくなってきた。
 3年間愛用してきた相棒――スクールバックからがさごそと色彩に富んだ粒々がいっぱい詰まった袋を取り出す。そこから1粒、口に放り投げるように含んだ。

「なにやってんだ」
「とーぶんほきゅー」

 なんだそれ、と唐突な教室の来訪者は怪訝な顔をする。黒尾も食べる? 彩り豊かなコンペイトウが詰まった袋を傾けた。「いる」3年間羽織続けた男バレのジャージの裾を揺らしながら黒尾が手を伸ばしてこっちに。
 ごつごとした骨ばった手のひら。見た瞬間、男の人の手だ。と、すぐに認識できてしまえる黒尾の手のひらがこっちに向いている。輪郭の荒削りな印象に反して白へちかい皮膚に包まれた繊細な指がある黒尾の手のひらが、息をひそめて春を待つ冬の教室にゆらりと揺れるように私の前で漂うに、見えた。その景色に、とある思い出がフラッシュバッシュで呼び起こされる。ずっと忘れていて錆びれた思い出だった。
 昔に父のボーナスで北海道に行った家族旅行をふと思い出す。夏前だけどGW後の頃だ。寒いとしか認識がなかった私は飛行機から降りて、晴れて北の大地に立ったとき少し失望した。寒くなかったのだ、夢の北海道は。日中、快晴。澄んだ青空がさらさらと流れていく、そんな感覚を与えた北海道の空の下は本州ほど湿気た暑さこそないが結局は暑かった。でも、朝と夜は違っていた。やはり北海道に来たのだと夜が更けた頃にようやく理解したのだ、幼い私は。ひとり興奮状態が冷めないまま眠りつき、朝を迎える。 日中は着ても長袖1枚が限界だったのが嘘のように肌寒かった。寒いと文句をこぼす姉の隣で私はただ彼方に広がる朝霧を目に焼きつけていた。―――そうだ、この朝霧の景色と似てるんだ。もうすぐそこしか見えないあやふやな情景。先なんて、見えないんだ。それは後ろを振り返っても切ないほど同じで、「おい」
 声が聞こえる方は遠く澄んでいた。陽の光がすき間からこぼれ射す。

「コンペイトウ、くれないのか」
「あーごめんごめん。少しまどろんでたや」
「さっきからおかしいぞ」
「なんでもないよ、たぶん」

 たぶんってなんだよ。そう口にした黒尾の手のひらにコンペイトウを10粒転がせる。今の私は太っ腹だ。「サンキュー」豪快に全部口に入れ、バリボリと噛み潰す音が聞こえた。

「もっと味わって食べなよ」
「研磨も同じこと言ってたな。あいつ、飴もそうだがアイスもちんたら食べてるから溶けてヤバくなるのに早く食べようとしない」
「あ、それ私もあった」
「やっぱりな。味わうのも良いがどうせ次の瞬間には忘れてるモノだろ。コンペイトウを食べた記憶はあるが味は? 甘さは? 結局中身は空なんだよ、記憶は」
「どうしてそんな悲しいこと、言うのさ」

 皮膚が裂けた、痛い感覚が刺激された。グサッとかザクッとか。切れ味がいい何かに切られた鋭い痛みじゃない。どうしょうもないにぶい痛みだった、それは。ああ、いたいなあ。
 バリボリ、バリボリボリッ。星屑が砕けた音が鼓膜を震わせた。

「お前が、いつまでもここに満足しているから」

 星の欠片なんかじゃない。口に広がる甘さは砂糖を溶かして固めただけの物質をなめているから。コンペイトウをいくつ食べようが夜にチカチカとお腹が光るわけでもない、ただ虫歯になってしまうだけ。
 甘い、とコンペイトウの糖に侵された部位を真っ赤な舌でなめたらそう思った。

「幸せ、なんだろうがこのまま生ぬるい湯水に浸かったままじゃ腐るぞ」
「腐らないよ。人が腐るのは死体になったとき」
「だから死体と同じなんだよ、今のお前は」
「なにそれ、よく分からない」

 朝霧の景色。ここは霧に包まれて見えないのに、遠くの黒尾がいる方は霧が晴れて澄んでいる。
 きっと曇った私の瞳は、とおくとおくを見据える黒尾の瞳を見る。私は、黒尾の瞳が時おり苦手だった。だって、彼の瞳は不安定な未来を見ているから。明日に目を向けているから。嫌だ。凍てつく冬の教室に私と黒尾しかいない。時刻は分からない。コンタクトをつけている筈なのに時計の針だけが見えないから。

「過去と現状維持はやわらかい世界だ。未来はいつも恐ろしい。天国から地獄なんて出来事ざらにある。だけど、お前は生きてんだよ」

 息を吸う音が掠れる。

「その心臓は現状維持のためだけに動いていない。明日を生きるために動いている。いい加減、そのことに理解しろ」

 黒尾の言葉に顔がうつむく。風船の中にでも顔をうずめてそのまま飛んでいきたい気持ちだ。黒尾から離れたい。そう思っているのに、足は体はいっこうに動こうとしない。いや、動けないでいた。
 でも、絞り出すように声だけは出した。

「………言われなくても、分かってるよ……そんなこと」
「分かってないからずっとこんなとこに閉じ籠ってんだろ」
「………」
「なにが嫌なんだ、そんなに。お前、推薦で大学決まってたとき喜んでたよな。なのに、どうして」
「黒尾は、ずっと前ばかり向いてるから分からないよきっと。ここが終わるのが怖いって感覚」
「そんなの俺にだって、」
「ないよ、黒尾には」

 断言できた。確かなものが私の中にはあったから。黒尾の瞳はいつも遠くの前を見据えてる。いつだって未来を見詰めているのだ。朝霧の中に包まれてしまった私とは、違う瞳だから。
 自嘲気味に笑うと、黒尾ははああと肺にたまった息を吐き出して、

 ―――私のおでこにデコピンを噛ました。「いたっ!」

 当てられた場所に触れると腫れとかはないけど、やっぱり痛い。加減したのか、この寝癖野郎。
 恨めしげに黒尾を睨むと、ヤツはスマホの画面をぐいっと突き出した。水色と白のボーダー柄のカバーに小さな星がいくつかついているキーホルダーのだ。

「これ、お前のとこに届いてるだろ」
「は?」
「メール」
「メール?」

 おのれ、いたいけな女子にデコピンを食らわしたにも関わらずのうのうと言ってのけた黒尾が突き出したスマホの画面を覗く。そこには………―――「環境が変わったらすぐに切れる縁だったか、俺たちの縁は」

 ―――卒業、お互いにおめでとう。違う大学だけど同じ地元なワケだしたまに会ったときはよろしくな。

 くろお、と短く言葉を吐き出すと彼は「おう」と返した。
 朝霧が晴れてゆく。まるで黒尾の瞳のようになっていく世界。あふれる涙で視界が滲むのに、世界は徐々にクリアになっていた。喉に数々のことばがぼこぼこと溢れだす。しだいにことばの波は喉から這い出ようとしていた。数々のことばを出してしまわないように急いで両手で口を塞ぐ。

「なにやってんだ」
「………」
「無視かオイ。って、お前……」

 ことばがついぽろりと出てしまわないように口を塞ぎ閉ざしていたら、黒尾がなにかに気がつきその黒々とした目を丸くしている。驚いている黒尾はホントに珍しいや。
 なんだなんだ、と黒尾を前にする私自身思いながら彼がブレザーのポケットやズボンのポケットを漁っているのを眺める。
 朝霧が完全に晴れるまで後わずかだ。がぽりっ。あっ、やばいあふれる。がぽりっ。喉はマグマのように沸々と噴火直前で、現在待機中いや我慢中。後ワンアクション入ってしまったら私はもうお仕舞いだ。そんなところまで私は詰まれていた。だから黒尾がなにもしないことを――「怪我してんぞ」………願っていたのに。

「ほら、バンドエイド」
「…………」
「まだ無視中かよ。ふうん、そっちがその気ならこっちは武力行使に移るだけだ」

 そう言って、口を塞いでいた左手を黒尾は無理矢理に剥がしたのだ。

「っ!?」
「紙で切った感じじゃねぇし、お前強く引っ掻いたな。たくっ、親からもらった大事な身体なんだし大切にしろよ」

 後お前、よく荒れた唇や親不孝とかは剥がす癖止めろよな。と、説教たらして剥がした左手の小指の根元にバンドエイドを貼る。妙に手馴れている感あるのはたぶん以前にバレーをしていた過去があるからだろう。さっさっとバンドエイドを私の指に貼り終わった黒尾は「よし、」とちょっと私の頭を小突いた。

「一々、痛いんだけど」
「嘘つけ、そんな感覚ないくせによ」
「へ?」

 ワケ分からないんだど、と顔を軽くしかめると黒尾が驚いたように「だってここは――――」



 ―――ピリリリリリリ!
 甲高い音を散らす目覚まし時計が床で鳴っていた、寝相が悪い私のことだ、たぶんまた床へ叩き落としてしまったのだろう。スイッチを切るまでカンカンと頭蓋まで鳴り響く音は止まらない。ん゛ーん゛ーと呻きながら手を伸ばして、スイッチを切る。
 ぬくい布団に閉じ籠って数分、本格的な二度寝を始めてしまう前にまどろむ身体を鞭打って身を起こした。

「………なんだかなあ」

 ぼおっとする頭で眠っている間に見ていた夢のことを思い出す。全体を見渡すのが不可能で、断片的にしか見えない朝霧のような。あー、寒いとベッドの近くに落ちていたパーカーを羽織って離れた場所にあったスマホを手に取る。こんな朝早くから電話が1本来ていた。
 かけ直す前に残されていた留守電を聞くことに。

『この留守電聞いてるってことはやっと起きたか、この寝坊助。よっぽど幸せな夢だったんだな』

 機械越しの声を聞いて、頭の朝霧はわずかにだが晴れていた。そのまま留守電を残した人間にコールをかける。プルルル、プルルルとコールが続きややしてからようやく繋がった。

『起きたか、やっと』
「うん起きた。それでね、夢見たんだ」
『楽しかったか?』
「夢自体は………どうだったかな。でもね、私高校生のときって幸せだったんだーって思い出した。ずっと高校生で居続けたかったんだなあって思ったよ」
『そうか』
「でもね、夢の中である人が『そのままだったら死体になるぞ』って言われたの。『お前の心臓は明日のためにある』だなんてキザなこと言うのよ、そいつ」
『本当にキザなヤツだな』
「そうそう、でも私そいつのことばにさ感動したんだ。ああ、そういうことかって納得できた」

 永遠もなんかない。当たり前のように永遠の幸せも永遠に続き時もない。でもさ、人と人は永遠じゃないけど永遠に似たことはできるって思える。
 高校卒業して大学に行ってしまったらそこで終わりだと思っていた縁も意外に繋がっていたのだ。しかも繋がった縁は方結びしたように確かなものへと変わった。
 左の小指の付け根にあるバンドエイドを見て、ゆるやかに笑う。

「あのとき、私はすっごく幸せだったんだーって覚えていたらいいだって分かったの。でもって、今も幸せなら問題ないってことなんだなあって。夢の人のお陰で」

 あんたのお陰で、とお礼を言わないのは最後にデコピンした報復だ。でもまあこのバンドエイドに免じて隠す程度にしますけど。

「ねえ黒尾、今からどっか食べに行かない?」

 一緒に、幸せをつくりに行きませんか?




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