(作中にしばしば物騒な言葉や表現が含まれます。後、これは書いた者の勝手ながらの解釈が書かれております。)
いつも見ていた。
いつも見ていた。
いつも、見ていた。
翼が折れた鳥の結末を。
翼を失った鳥の意思を。
翼を受け継がれた鳥の孤独を。
私はいつも見ていた。
自由に羽ばたくことが赦されない空の青さを。
あの日も、あの日の空も青かった。日の下がどんな地獄であろうとも変わらず空は青かった。
壁外調査に犠牲は付きものだ。必ず兵団の誰かが犠牲となり、親族に届けることを躊躇ったり最悪の場合(いや、親族からしたら幸いなのかも知れない)は届けられない結果となる。
調査兵団団長がエルヴィン・スミスに代わってからその犠牲となる数が減ったと年を食った大人は言う。でも、あくまで『減った』だけでなくなったわけじゃない。団長の手腕は確かにすごいもので圧巻するが、団長かて人間なんだと壁外調査で生きて帰ってきた際にいつも思っていた。
英雄だの人類最強だの祭り上げられているが、彼もまぎれのない人間であった。ただ彼は人より生き方を多く知っているだけだ。だから、巨人と対峙したときも死なずに生き延びている。ただそれだけ。
でも、人は弱いから。同じ人間である彼に翼を最期に手渡して、逝く。巨人によってもがれた翼をだ。そして彼は強いから血まみれの翼を受けとるのだ。
あの日も青い空を、彼は逝く者から受けとった赤く染まった翼で羽ばたいていた。
壁外調査が終わり、しばしの安息を与えられた兵士はつかの間の休息を過ごしていた。かくいう私も前回の壁外調査で負傷した身体の休めていたのだった。
「ハンジ分隊長はいったいどこに……」
痛み止めを貰いにハンジ分隊長にあてがわれたはずの部屋に行ったらいなかった。薬品棚の場所は知っているが素人の私が勝手に触って良いわけもなく、仕方なくあのマッド分隊長を捜索することに。
どうしてわざわざ負傷してる身体を引きずって探し歩いているのかと言えば、部屋で待っていたら帰ってくるか、と思っていたら私と同じで分隊長に用があって訪れた男性兵士が部屋の様子を見て「たぶんこの部屋の現状からしていつ帰ってくるか分からない。たぶん、探した方が早いね」と苦笑い付きで告げられたからだ。
俺も探してみるから見つけた時に言っておくよ、と分隊長を探し出そうとする男性兵士の目は手馴れた狩人そのものだった。苦労しているんだな、と名も知らない男性兵士に同情したのは言うまでもない。
民衆からしたら税金を意味もなく浪費するだけの兵団の与えられた拠点は広いだけが取り柄の古城であった。ちなみに町離れた孤城である。
城の主はだいぶに死に絶えていらっしゃるようで、廃墟同然の拠点がいるならこの城でも使ってろと我らが王が仰ったようで。ただの厄介払いだって、誰か言っていた声を聞いて確かにそうだとひっそりと頷いたのは私以外いたようだ。大袈裟に頷こうとしたのか舌を噛んで血をたらたらと出していた人もいたような。
ともかくも、この城は無駄に広い。庭とかも中庭に外庭? みたいな感じでいくつかある。あー、なんで金持ちはデカイのとか大きいのとか好きなんでしょうね! 以前帝都に召還された際に抱いた憤怒が込み上げてきた。いっこうに成果を出せない私たちも悪いは悪いが、とりあえず民衆は壁の中の中でぶくぶくと贅肉を肥やす貴豚共に文句はないのか。
まあ、どんなにこちらが言おうが意味なんてない。結局、この世界は権力社会だ。金と権力、後その醜い姿を隠せる仮面さえあれば上流階級で生きていける。
この世界は、食う者と食われる者に分かれている。ああ、なんて馬鹿げた世界だこと。
「でも、一番馬鹿げているのは私自身か」
死にたくないと思っている。
あの地獄に帰りたくないと思っている。
巨人と対峙したくないと思っている。
人類の繁栄など知ったことかと思っている。
死を見たくないと、思っている。
矛盾した思いを抱きながら私はそれでも壁外に行くのだ。その先が破滅であっても。死体すら残らない無であっても。
こんなことを考えているとふと、「彼ならどう思っているのだろう」と考える癖がついてしまった。彼――逝く者の血に濡れた翼を受けとる強い人はどんな思いで、あの自由ではない自由な大空で羽ばたくのだろうか。
こればかりは彼自身に訊かなければ分からないこと。予測や想像はできるがそれはあくまで私の中で導いた答えなだけで、真実ではない。だが、そんな馬鹿げたことをリヴァイ兵長直々に聞きにいくのも億劫で愚行だ。
「第一、そう易々と口を利ける立場じゃないないし。あー、分隊長どこだよ」
リヴァイ兵長よりも今優先すべきはハンジ分隊長だ。
早く見つけないと、辺りを見渡すと強い風が頬を撫でた。寒さとついでばかりに酒の匂いも連れてきたようで、アルコールの匂いに反応して私は振り向いた。確かこの先は…………「墓?」
木で作られた十字架を立てただけの簡素な墓がいくつも並んでいた。数は………分からない。数えきれないほどの十字架がずらっと立っているのだ。
そして、墓場に彼が立っていた。
「………………」
黙って、持っていた酒を十字架にかけていた。まるで手向けのように。
空となった瓶を手に彼は言葉を発することなく突っ立っていた。
本来なら挨拶をするべきだが、私は見て見ぬふりをして大人しくこの場を去ろうとした矢先に「おい、」低い声が辺りに響いた。
しまったー、と思いながら何食わぬ顔で「何でしょうか、リヴァイ兵長」と返すと彼は、
「酒、持ってるか?」
足りなくてな、と酒をご所望であったみたいだ。
「持ってない、です」
「そうか」
「あの、兵長は………いえ、何もありません。すみません、私はここで」
「なんだ」
さっさとこの場から離れようと思い、うっかり滑りそうな口を噤んで去ろうとするも有無を言わせない威圧的な声でこの場に引き留められる。訓練兵時代からの付き合いであるペトラはその威圧的な雰囲気も含めてすっかり彼に陶酔しているが、残念ながら私に分からないようだ。リヴァイ兵長が纏う雰囲気に当てられた瞬間、寿命を縮んだ気がした。
なんだ、と引き留められた私はまた「何もありません」で帰れないなあと頭を抱えた。もうここは正直にすべて吐いてしまえば楽だろうか。
すうっと息を吸うときに、ちらりと空が見えた。ずっと建物にいて、なおかつ人を探していてから頭上の景色など視界に入っていなかった。ああ、青い。清々しいほどの青。あの日と不変な色に空は覆われていた。
空を仰ぎながら、
「兵長は、どうして壁外に行くのですか?」
心に巣食う蟠りを吐いた。
アルコールを含んだ風がまた吹き抜けて、ずっと待っていた彼の答えが聞こえた。
「巨人共を殲滅するためだ」
ああ、やっぱりか。私を貫くように見る彼が告げた答えに納得した。
巨人の殲滅。調査兵団の意思で、リヴァイ兵長の意思で、なにより巨人によって亡き者となった兵士の意思である思いを彼は口にした。
人類最強の兵士は後ろを振り向かない。って、民衆や一般兵士は口々している。別にそれは嘘じゃない。リヴァイ兵長は絶対に後ろを振り向かない。前しか向いていない。巨人を見詰めて、血に染まった多くの翼で飛ぶのだ。多くの意思を抱いて、巨人を殺すために。
ちゃんと彼の意思はある。だが、いやだからこそ、私は思う。
羽ばたく孤独な鳥の終着点だけでもせめて、“誰か”のためじゃなくて“自分”のためだけであって欲しいと。
彼は歩むその路は自分自身で進んでいくが、そこには誰かが必ずいる。それが当たり前なんだ。でも、私はその当たり前な考えと対極な考えをもっている。
自分勝手に生きろ、なんて言える立場でも度胸もない。それはただの無責任だ。さらに真っ向からそう思っているわけじゃない。ただそうあって良いんじゃないか、と少し思っているだけだ。
今の大勢を殺してしまう結末になることは理解している。実際に過去と未来の板挟みに合った光景を何度も見ている、あの地獄で。
だから、私は思うだけだ。口になんか絶対に出さない。誰も知らずに死ぬまで私の中だけ思い続けるのだ。
―――その路は誰がために在るわけでもなく、貴方のために在るのです。だから、最後だけなら振り向いても大丈夫ですよって。
果たして、彼が振り向いたその日の空は青いままだろうか?
企画「花筏」