やわらかに侵食

 △▼△ scene・1 ▼△▼


 高尾、少し構わないか。と、講義が終わった後に呼び止められた。

「遅いのだよ」
「いやー、ごめんごめん。教授にさ、呼び止められちって」
「……危ういのか?」
「違うって! ただの頼まれ事!! 教授が明日から2週間ぐらい名古屋まで行くらしいからその間世話頼まれただけ」
「世話?」
「育ててる植物の世話」

 雑談はそれぐらいにして、俺は買う食券を何にしようか悩んだので話を打ち切った。

 △▼△ scene・2 ▼△▼


「よお」
「…………なに」

 警戒されないように満面の笑みを浮かべて、挨拶。でも返ってきたのは案の定か、警戒であった。

「寒いから家入れてほしいなぁ〜と」
「残念、今から帰ったら」
「蟹」
「…………明日の準備があるし冷蔵庫の処理しないとダメだから」
「それなら鍋でだいたいのはイケるんじゃね?」
「っ、」

 「蟹」とのワードに反応して、「鍋」でもう一押し。わずかしか開いていない戸のすき間からぷるぷると震える苗字を眺める。本人言ってしまったら絶対怒るから口が裂けても言えないけど、必死に耐えるその姿はなんだが愉快だった。あーしばらく見ててたい。が、詰めの言葉を告げる。ずっとこうやって外に居続けるのはさすがに寒い。
 警戒されないように、笑みを深める。ずっと彼女の視界から消える位置に置いてあった袋を掲げて、「日本酒」と一言。

「………………産地は」
「新潟。ついでに米もちょっともってきた。鍋の締めで雑炊しようぜ」

 もう、終わったな。チューハイなんてジュース。酒ならビールや芋焼酎、熱燗、日本酒だろ!な豪酒の苗字だから「新潟産の日本酒」は絶対に釣れる。加えて「新潟産の米」だ。やや間をおき、わずかにしか開いていなかった戸が開いた。

「鍋食べ終わったら追い出すから」

 おーけーおーけー。むしろ今の段階でそれ以上は望まないって。針ネズミ警戒モードの苗字の姿に笑いがこぼれた。種類が違う笑みを前に彼女の「高尾?」との声が冬の夜に響く。


 ぐつぐつと煮える音。だしの芳しい匂いに満たされていくのにまた腹の虫が鳴りそうだ。蟹の足の身を不馴れなおぼつかない手取りでとっていく苗字を眺めていたら、怪訝な目を返された。「なに」ずいぶん素っ気ない態度だが残念ながらこれが現状のテンプレ。

「いーや、なにも」
「そう。……ねえ、高尾。毎回こうやって色々持ってくるほうが自炊するより面倒じゃない?」

 面倒、の中にはまあ手間とか金とか以外に多忙である医学生の配慮となるだろう。寒い寒い玄関外でのつれない態度も彼女自身だが、今そのように心配する態度も彼女自身だった。
 苗字名前。俺と同じ大学の経済学部で同じ2回生。普段はお節介でどうしょうもないお人好し(本人は否定しているが)、でもまあ日本酒大好きな豪酒でついでにスルメやおつまみ大好きなどこぞの親父か!とつっこめそうな親父趣向。まあ、親父趣向に関しては後から知ったオトコとして「知りたくない情報」だったけど。後は…………俺限定なら涙が出ちゃうがガードが固いなっ!
 とにかくも苗字名前はそんな人間でオンナであった。それを十分承知だった俺はへらりと玄関先で蟹を持ってきた時と似たモノと同じのを浮かべ、

「っま、結果的にオーライだし大丈夫大丈夫」

 ふーん、と様々な言葉を含んだ適当な相槌が向こうから飛んできた。
 あ、蟹なくなったからご飯入れて蟹雑炊しねーと。数回と行き馴れた彼女の家のキッチンへ向かう。その際に2人で飲んでいるのに関わらず減っていくペースが明らかに速すぎる日本酒のとくとくとくっと注ぐ音が聞こえて苦笑い。

 △▼△ scene・after ▼△▼


 2週間ぐらいで帰ってくるはずが延びに延びて1ヶ月と。人伝に聞いた言葉に「えー、大丈夫っすよ」とからからと笑って了承。故に俺は引き続き、教授が育ててる植物の世話をすることに。まっ、面倒は面倒だけど実際やることは水やり程度だから問題ないけど。
 ところ変わって初めの4週間。後数日したら教授が帰ってきて、俺と植物の水をやるやられるの関係も終わる。そう思ってしまったら青みのある小ぶりな花に懐かしさが込み上げてきた。たった1ヶ月もない日々だったが情が自然にわくのだから、人間ってホント不思議。
 水をやって陽の当たる場所に置いて一息吐いたらタイミングを見計らったように緑間が研究室に入ってきた。

「ずいぶんマメによくやっているのだよ」
「え、なにその一言。ちょーと傷つくんだけど」
「どうしてだ? 俺はなにも傷つけるようなことなど言っていない。ただそうやってマメに世話する姿がお前には似合わないと少し思っただけなのだよ」
「その『少し』に俺の心がたいへん傷ついたワケ!」

 今改めて緑間の中での俺の評価がいかようなものか理解した。いや、痛感した。もぉー、ひどいぜ真ちゃん。と、わざとらしく泣き真似をするも当然のごとく緑間には効かない。ヤツは冷たく「俺は先に行くのだよ」と見捨てようとしている。真ちゃんの鬼! ちょっとふざけただけじゃん! はいはい準備しますよー。だからもう行かないで!!
 そこらへんに置いていたリュックサックを手に取る。数々の教材や筆記用具に必需品が入ったリュックは重たいのがテンプレ。やっぱし、重てぇ。
 急いで緑間に追いつこうと研究室を慌てて後にして廊下をゆったりとした歩調の緑間の隣に立つ。あーさむ、と寒さが染み込む廊下に文句を言う。「建物が古いから仕方ないのだよ」と緑間が返した。

「それでもさぁ、この寒さは異常だって!」
「第一高校のときと変わらないのだよ」
「あー、ボロかったよなぁ。っあ、そうだ」
「…………ながら歩きは品位に欠けるぞ」
「大丈夫、大丈夫。すぐに終わるから」

 スマホを取りだし、ささっとメール画面を開く。そうだそうだと忘れていた用事を手早く済ませる。
 相手先はまあ豪酒で親父趣向、しかも難攻不落な彼女。今日もそっち行くけどバイトで少し遅くなるって内容だ。このメールを受け取った彼女の反応が目に浮かび、まだまだ遠いなと小さく笑う。「送信っと」
 大袈裟な格好、わざわざスマホを掲げ送信ボタンをポチっと押した。そして、俺は思い出したかのように口を開く。

「なあ、緑間。さっき俺が『マメに世話する姿が似合わない』って言ったよな」
「ああ、言ったな」

 次の講義に間に合うか時間を確認する緑間に、俺は送信が完了されたスマホの画面を眺めながら言う。

「でも、俺って結構尽くすタイプなんだぜ」

 百夜通いなんてお手の物さ。


 企画「黄昏」



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