眠ればよかった

 春うららか。夢心地がよくてずっとそこに沈んでいたいと思ってしまうほどに気持ちいい。あー、ずっと寝ときたい。
 でも、俺は急に騒がしくなった周囲の音に驚き目を開いた。

「………」
「あ、起こしちゃった? ごめん」

 ぼうっと目蓋を開いた先に名前がいて、向こうから流暢な英語が耳に入ってくる。なんだ? と、訊ねたら「映画。ほら、この前……って2年か前の洋画」とうろ覚えな返しだった。
 名前の姿を通り過ぎてやっと念願のデカイのが買えたテレビ画面を見る。そう言えば、このデカイテレビを買って研磨や他のヤツにこれ見よがしに自慢し尽くしたことを思い出した。ややしてから違うヤツがもっと良いなにかを買って今は自慢することがなくなったことも。
 たぶん半年か前の記憶を懐かしみながら、しばらく映画を眺めて一言。「これ違うぞ」名前が観ていた映画は賞も取ってなく、2年以上前の作品だった。

「え、嘘」
「本当だ。タイトルは?」
「これ」

 ほら、やっぱり違う。タイトルを告げる代わりにレンタルのパッケージを手渡され、ラベルに印刷されていた文字の羅列を読むと確信した。
 2年どころか5年以上前の有名な恋愛映画だ。男の俺でも覚えていたぐらいの。
 全部教えてやると、初めは「嘘ー」と言っていたが今はもう「鉄は物知りだね」と緩んだ笑みを浮かべていた。「別に」息を吐く。もうすっかり目が冴えていて、周囲―――俺たちが暮らしている部屋を眺めていた。
 大学生になったときはまだ1人だけだったのが、大学2回生の秋には2人となっていた。そしてくるりくるりと時は廻り、大学生だった俺たちは学生身分から卒業して就職、今は社会人2年目を目前としている。
 この部屋に住み始めてから6年が過ぎようとしていて、家具や小物など雰囲気も移ろっていた。なんて言おうか、心地のよい柔らかさやあたたかさがあるよなって。まあ、今が春だからベランダや窓から射し込むやわい陽の光がよりいっそうそう感じさせるだけなのかも知れないが。
 でも、なにかと言葉を並べようとも、「居心地が良いのは確かだな」と言葉をもらす。

「あー、ねむいな」

 甘く、柔らかく、あたたかい空気を肺いっぱいに吸い込む。クリーム色とか重苦しくない淡いパステルカラーの家具や小物、カーペットが瞳に映る。2人で何回も悩み悩み買ったレモンイエローのソファーのふかふかした感覚に包まれる。そして、穏やかな寝息が耳を掠める。―――は?
 さっきから右肩に重みを感じていてもしやと視線をわずかにズラすと、映画を観ていたはずの名前が寝息を立てていた。休みだから毎朝慌ただしく仕込んでいる化粧がない顔は安らかに夢の世界に旅立っているのだろうか、これまでかとなるほどに緩んでいる。幸せなことだ。
 映画のハリウッドスターの声。平和的な外の騒がしさ。穏やかな寝息。鼓膜を震わすこれらの音を聞いて、俺はただ「平和だな」と口にする。
 実家から離れて6年。社会に出て2年。名前と出会って4年半。
 文字や言葉だけなら短く感じてしまうが、実際に感じた日数は長かった。バレーボールに燃えていた年数に比べたらまだ短いがでも、いつかはバレーボールに触れない日常が越してしまうのだろう。
 社会に身を埋めていたその時も、隣にこいつがいるのだろうか―――「ふああぁ」
 隣でぐうすか寝ているこいつのせいか、はたまた少しだけ『難しいこと』を考えていたせいか大きなあくびが出た。
 うすい膜を張った目に映る映画はロマンティックな恋愛を紡いでいた。ああ、眠い。ふと、右手に当たっている名前の左手が気になって俺は手を繋いでみた。にぎにぎ。にぎにぎ。強すぎない力で握り、隣で眠っている人間の反応をうかがう。様子を見る必要もなく、変わらずぐうすかモードだ。
 爆睡している。よくもこの短時間でと驚き半分呆れ半分の気持ちで、繋いでいる手を眺める。いや、左の薬指を見詰めていた。
 昨日の夜、名前には同僚と飲んでくると言って内緒で買いに行った“物”をハメたい指だ、その指は。
 すうっと繋いでいる手を持ち上げ、俺はまるで絵本の王子のように寝こける姫の左の薬指に口づけした。そして、絵本の王子が絶対に言わなさそうな言葉を口にした。

「これらも、一緒にいてくれ」

「はい、喜んで」
「……………お前、」

 シチュエーションもクソもない独りよがりだったはずのプロポーズに答えが返ってきた。応えた姫様はゆっくりと閉じていた瞼を開き「実は、ちょっと前から起きてて状況的にと場の空気的に狸寝入りしてました」と、舌を出して笑ったのだ。

「ごめんね、鉄。でも、プロポーズありがとう」
「本当はちゃんとしたところで伝えるつもりでしたけど」
「ごめんって」
「……絶対にやり直す。今日の夜、ちゃんとしたとこでちゃんと指輪持ってやってやる」
「うん、楽しみ待ってる」
「今夜、あの前に言ってたレストランの予約取ってるから8時に待ってろよ」

 待ち合わせしてからその後なにが起きるか分かっているのに名前は「え、あそこ取れたの? すごいね、鉄。あー、なに着ていこうかな」と言っている。それを聞いて、俺は睡魔に負けて寝ておけばこんな失態踏まずに済んだのによ、とボサボサで寝癖が強い黒髪を掻いた。



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