水風船はじけた

「あっつい、」

 うらみをたっぷり込めた視線を燦々と輝く太陽にぶつける。

「夏だからな。あ、3つめ完成」

 私が吐いた恨み言をわざわざ拾った翔はさっきからスーパーで売っていた水風船を水で膨らませていた。いったい、なにをしているのやら。

「でも、暑い。あー、あついあつい!」
「うるせーな。そんなに言ってらもっと暑くなるだろ」
「あー、涼しい涼しい」
「言えばって良いってもんじゃねーよ、おい」

 ああ言えばこう言う。そんな非生産的な応酬。私と翔の会話いつもこんな調子だ。時々、翔の双子の弟の薫くんが入ったら中身が濃くはなるが………あいにくその要素をもっている薫くんはここにはいない。つまり、最初に戻るが意味なきやり取りのままだ。
 それにしても、暑いものだ。燦々と輝く太陽の強い陽射しを眺めていたら「直視で太陽見てたら目痛くなるぞ」と翔が帽子を投げた。

「ありがとう」
「どういたしまして」

 お礼を言った頃には翔はまた水風船を膨らましていた。
 どうして、彼はこんな日にわざわざ水風船を膨らましているのだろう。今日は、

「お前、宿題終わってんのか?」
「終わってますよ、3割は」
「終わってねーよ、それは! ったく、後々薫に泣きつくなよ。あいつ、医学に行くって言って猛勉強してんだから」
「分かってます分かってます。泣きつくのは明日会う学校の友達だから」
「おい、迷惑かけるのも大概にしろよ。てか、始業式に提出じゃないのか?」
「いや、最初の授業提出だよ。なに、忘れてたの?」

 ニヒルな笑みを浮かべながら、着々と水風船の数を増やしている(ちなみは現在2桁を越えた)翔の目の前を陣取る。
 水道に手をおいたら、石みたいなザラザラとした感触がした。あ、懐かしいな。ふと、小さい頃にこの公園で3人でいたときの記憶が頭をよぎる。
 それがなにか、走馬灯のようだと思ってしまった。

「なあ、顔近いんだけど」
「え、あっ、ごめん」

 若干気まずそうな色を見せる翔が顔を上げた瞬間、私はその近さにすこしビックリした。ほんの数センチぐらいの距離感だったから。
 わずかに顔をそらして、距離感が離れる。
 行動の一部始終を目に収めた翔はターコイズブルーの瞳で私を見詰めて、

「―――どうした、今日」

 と、訊いた。
 私は思わず息をのむ。だって、翔がよりによって今日それを訊くから。

「べつに、なんでもないよ。それよる翔こそ、どうして水風船? ずっと気になってたけど」
「俺のは最後の夏休みだろ? だから悔いが残らないようにやりたいことやってるだけだ。って、話そらすなよ」
「へえ、そうなんだ。それにしても、水風船って翔くんは身長と同じで子供ですねぇ」
「子供じゃねえ! それに俺はちっさくない!! ………お前が話したくないなら良いけどよ。でも、なんかあったらちゃんと誰かに言えよ」
「うん」

 そうやって、また翔は水風船の作業に戻る。そんなに作ってどうするのやら。
 しばらくの間私は黙々と水風船を膨らます翔の姿を眺め、青々とした蒼天を仰ぐ。うっわ、太陽がやっぱりまぶしいな。それに、浮かぶ白い雲が悠々と流れているのもさらにうらめしくなった。
 ポケットにあるケータイがすこし前からブーンブーンと震えていた。でも、私はずっとそれを無視して翔と話していた。翔と2人だけの時間にいたかった。

 ―――ジリリリリリリリィ。ジリリリリリィ。

 やっと地上に出てきて、しかも7日間しか生きれない蝉がけたましく鳴いていた。まるで、人の悲鳴のように。
 水が勢いよく流れている音。蝉のけたましい音。近所の家に掛けてある風鈴の音。車が走る音。人が生きている音。みんな生きている音。夏はこんなにも“生”を明確とする音が響いている。ああもう、うるさいな。
 耳を塞ぎたいと思うが、反対に塞ぎたくないと思ってしまう二律背反。
 ポケットからケータイを取りだし、時間を確認する。液晶画面が教える時間は、もう暮れ間近だった。

「名前!」

 と、明るい翔の声が聞こえた瞬間――――冷たい感触が顔にぶつかる。
 えっ、と声をもらす前にソレは弾けた。

「ちょっと翔! 水風船ぶつけないでよ!」
「よっしゃああ、さすが俺様だな。見事に命中!」

 してやったり顔の翔が水風船を抱えて、満足げに笑っていた。
 私は「しょーうー」と唸り声をあげる。 ケータイ壊れてないよね? たしか防水ケータイだったから大丈夫だと思うけど。

「せっかく水風船作ったんだぜ、誰かにぶつけないとつまらないだろ?」
「でも、突然ぶつけないでよ」
「サプライズだって、サプライズ」
「そんなサプライズはノーサンキュー」
「なんだよ、ノリわりーな」
「じゃあ、その水風船何個かちょーだい。それなら2人で遊べるでしょ。てか、私が翔の顔面めがけて投げたい」
「お前、それが本音だろ」
「だって、やられたままは嫌だもん」
「負けず嫌いだよな、お前って」
「おあいこでしょ」

「…………」 「…………」

 一瞬だけ2人共無言となって、その後いっせいに腹を抱えて笑いだした。しきりに笑い合った後はまた静寂が通り抜ける。
 翔の後ろの風景が、もうじき日が暮れる夕焼けと染まっていた。

「日も暮れてきたな」
「うん」
「夏休みも今日で終わりかー」
「うん」
「呆気ねーもんだったなあ」

 夕焼けをバックにまだいくつか残ってる水風船を抱えて翔が、笑う。

「なあ、さよならしようぜ」

 日が、暮れていく。

「楽しい最後の夏だったな! やりたいことやりきったしよ」

 空が、ふかい夜の藍にのまれてゆく。

「―――じゃあな、名前」


 水風船がはじけた。


 もう夜が暮れてしまった時刻、渇いた地面で弾けてわずかな水溜まりをつくった水風船の残骸を眺めながら私はケータイを耳に当てた。

「薫、翔の四十九日が終わったよ」
「うん、あいつ笑ってたから大丈夫だと思う」
「あはは、そう。薫にあんまり迷惑かけるなよって言われてさ、『あいつは医者になるのに忙しいんだ』って怒られた」
「あとね、何かあったら誰かに言えよって」
「ん? ああ、分かった。じゃあ、明日学校終わってからソッチに行くよ。うん、じゃあね」

 通話を切って、私は掻き立てられる衝動を必死に堪えて顔を手で覆った。
 やがて、やっと絞り出せた声で小さく呟いて笑みを顔に浮かべた。

「最後の夏なのに、どうして水風船なのよ。やっぱり子供なんだから、翔は」


 企画「最後の夏休み」



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