ある思想家の墜落 | ナノ


 恋が始まるには、ほんの少しの希望があれば十分です。
 ―――スタンダール



 病院からこの場所までは差ほど距離はなかった。フラフラとする足取りは確かな足跡を残す。最期の場までの行き道に。
 車の往来も人の往来も激しくて、誰も彼もセーラー服の少女の居場所であった公園など目に入れてなかったのを今にして初めて分かった。初めての地だったこそ俺は見つけられたのか、この公園を。あの時ふとひとつ前の駅に降りようとか考えなかったらこの結末はどうなっていたのかと考えることはしばしばあった。俺がいたからあの少女の最期はあそこまで延びたのだろうか、とかヒーロー気取りなことを思うときもあったが結局は人をいっさい信用していなかった彼女だから変わらないかと切なくなるほうが多い。
 幕閉じたセーラー服の少女の人生で朝比奈棗はどこまで影響を及ぼしたのだろうか。
 彼女を事切らした人間を怨む前にそんなことを思っていた。そりゃあ、あの少女をそこまで追い詰めたヤツを殺せるなら殺したって構わないとも思っている。だけど、初めて会った瞬間から彼女の後ろで死神がケタケタと笑っていた気がして、なんとなく「加浦杏は近々死ぬ」とどこで納得していたんだ。ああ、不謹慎な話だよなあ。

 人が死んだ場であるが人も車もあの夜と同じように盛んであった。道の端にひっそりと花が申し訳ない程度に添えてある以外は。

「………やっぱり、もういないか」

 もしかしたら、と願っていた。だが人の世にはびこる願いは常に浅はかで儚い。叶わないのが世の常識だ。
 期待するだけ無駄だったか。溜め息を吐き捨てると、こっちにおいでと手招く声が脳裏を駆ける。おいおい、ホラーゲームのテンプレかよ。テンプレにしてはやや演出が甘く、あいにくと道路の向こうなどに幽霊の1人も見えない。声かけるなら化けでも姿を見たかった。
 幽霊でも良いから最期にちゃんとお前に会いたいんだよ、俺は。
 相変わらず手招く声だけは呪いのように聴こえる。そっちに行ったらちゃんとお前に会えるのか? フラフラとする足取りは確かな足跡を残す。セーラー服の少女が終わりを辿るように。
 後1歩のところだ、急に聴こえる声が一瞬だけ変わったのは。


“棗さん、ありがとうございました”

 真っ暗な藍の帳に浮かぶ少女の笑顔が柔らかに見えた。


「棗ッッッ!!」 姦しいクラックションが耳につんざく。
 両肩に押さえつけられた痛みは広がり、ややしてから俺は2人がかりで歩道に引き戻されたのを理解した。しかも俺をこちらに引き戻したのは―――――同じ三つ子の椿と梓だった。義理の妹が顔を白くして俺を見ている。
 3人の呼吸が少し落ち着いたら椿が捲し立てるように俺を怒鳴った。

「お前何やってんだっ! 俺らが止めなかったら今死んでたぞ!」
「………」
「椿、落ち着いて。怒る気持ちも分かるけど、落ち着いて。………棗が倒れたって聞いて仕事すぐに終わらせて僕らも病院に行ったんだ。でも雅兄が目を離した隙に棗が消えてて、それで急いで探して、それで………」

 梓が興奮する椿を抑え、俺に今まであったことを伝え最期にチラッと道路のほうを見た。三つ子の兄が言いたいことは嫌でも伝わった。
 口を開こうかと思った矢先に突っかかることは止めた椿が先に口を開く。

「嫌な予感がしたんだよ、すっげぇ嫌な予感。俺ら三つ子だからか、棗の場所はすぐに分かった。そしたらよ、お前が……………俺ら3人とも心臓が冷えるってこんな感じかと実感したよ。後1歩遅かったらって考えると怖い」
「………悪かった」
「悪いどころの話じゃないよ。ねえ、棗。僕らは僕らの気持ちで止めてしまったけど、棗は止められて良かった? またこんなことしないよね?」
「梓………」

 梓の目付きが変わり、藍色の視線が俺を射抜く。『またこんなことしないよね』。言われた言葉に俺はすぐさま答えることができなかった。今は2人が止めてくれたから止まった、だけだ。だが今度はどうだろうか。1人だけで、周りには止めてくれる人間なんて誰もいない―――そう、ちょうどセーラー服の少女の最期と同じ状況となったら俺はどうなるのだろう。まったく予想がつかない。それほど俺の未来は危ういものだった。今にでも爆発しそうなダイナマイトを巻きつれられた感覚や、肩一歩だけ屋上で身を投げ出している感覚そのものだ。
 分からない、と答えそうになったときずっと近くで俺ら三つ子のやり取りを見ていた義理の妹の声がポーンと放たれた。

「棗さん、電話で私に聞いたこと覚えてますか?」

 電話で聞いたこと? パッと思い浮かぶことができず、首を傾げると絵麻は問いの答えを口にする。

「『昨日朝は雨が降り続けていたか』ですよ、棗さんが言ったのは」
「雨………」

 口で反芻した言葉にああと頷く。俺は確かに訊いたんだ、誰でも良いから教えてくれと縋る思いで。
 でも、今となったらその問いは無意味だ。あの朝の天気は雨じゃない。俺の耳はセーラー服の少女と同じように幻を追いかけていた。聴こえる筈のない雨音を永遠と聞いていたのだ。これが、現実を見なかった俺の憐れな真実。ドイツの作家が昔にこんなことを言っていた。
 ―――真実のない生というのはあり得ない。真実とは、たぶん生そのものだから。
 本当の意味はおそらく違うだろう。だが、今の俺からしたらこの言葉はどうしょうもないほど正鵠を射ていた。加浦杏の死を目の当たりにして、確実に彼女が俺の前に姿を現さないことなんて当たり前なんだ。でも俺は、その真実を歪ませた。そしてその罰と逃げた真実に今、追い詰められている。
 終わりなんだ、もう。絶望、しているのだと思う。俺の脳が勝手に見せる幻想に引き寄せられて死のうとするほどに。
 無理やり繋いでいた楔が砕けて、俺は知る。俺がいてお前がいないなんて、全部全部消えてしまえと呪った。抱えた愛しい想いは形を成す前に霧へとなってしまったのだ。

「お天気雨だったのです、あの朝は」
「 、」
「空が晴れていても雨がしばらくの間降り続けていました」

 ああ、そうなのか。

「棗?」
「………あれは、あいつなりの別れだったのか」

 梓の心配する声が聞こえ、俺は3人に聞こえない声で呟いた。「あんなので分かるわけないだろ」目蓋の裏に残る少女の嬉しそうな笑顔が淡く暖かかに色濃くなる。

「どうした? まだ具合悪いのか?」
「あ、雅臣さんに連絡しないとダメですね。私、連絡します」
「うん、お願い。椿、棗を支えて。ここは人の邪魔になるからどこかに移動しよう」
「そうだな。よし、棗動けるか?」

 人は弱い。もちろん、俺も例外ないその1人だ。でも、それでも人は生きていく。死ぬためじゃない。
 ほんの少しの希望を実らせ生きて、恋をするのだ。

「ああ、大丈夫だ」

 ゆっくりと遅い歩みだけど、ちゃんとお前が言った通りに生きてまたいつの日かお前に会いに行くよ。その時にもちゃんと杏って呼んで、頭を撫でてやるから。


  【 END 】





アナタは××マシタ
14へドウゾ




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