くだらなく過ごしても一生。
苦しんで過ごしても一生。苦しんで生き生きと暮らすべきだ。
―――志賀直哉
「知ってますか、ムーアのパラドックス」
朝、目が覚めてからずっと雨が降っていた。杏は雨が降る外の景色を眺めている。
後ろ姿だから俺は見えなかった、杏の顔は。
「外は雨を降っているが、私は雨が降っているとは信じない」
「それ、矛盾してるだろ」
「確かに矛盾してますね。でも、それってごく普通に日常的に起きている矛盾だって知ってます?」
「例えば」
「医者曰く私は癌を患っているが、私はそうだと思わないとかですよ。よくありますよね、自分が病気だと診断されたけど自分自身は病気だとおもっていないってこと」
「ああ、それはよくあるな」
「『“不条理”は排除されるべきであり、矛盾が排除されるのと同様に、“常識”によって実際に排除されている。なら、“常識”とは。“主張の論理”とは。』」
ざああああ。ざああああ。雨粒がアスファルトの地面に、コンクリートに、屋根に、傘に当たり弾ける。
「彼の人はこのパラドックスを提示したジョージ・エドワード・ムーアに『哲学という蜂の巣を突いた』と述べているのですよ」
ねえ、棗さんここから本題です。ゆっくりと杏の顔がこちらに向く。ざああああ。ざああああ。雨の音は変わらず響いている。
鈍色の空は、裂けていた。
「今、あなたにとって雨は降っていますか」
陽の光が裂け目から射し、外が光にあふれる。
まだ雨音は耳朶に触れていた。
「よく降っているな、雨」
杏は俺の返しに嬉しそうな笑みを浮かべる。
「それは、良かったです」
なんだそれ、とぼやいた。
翌朝、杏の姿は消えていた。