過ぎ去ったことは、忘れろ。
さういっても、無理かもしれぬが、
しかし人間は、何か一つ触れてはならぬ深い傷を背負って、それでも、堪えてそしらぬふりをして生きているのではないのか。
―――太宰治
人はふと瞬間で特に意味を持たない行動を仕出かす存在だ。いや、これは人間に限った話なわけではないが。
そう、例えば普段降りない駅を降りてみるとか。つい魔がさして。そんな言い訳しか通じないような不可解な行動。普段を見ている者なら「どうして」と問われることを俺はしていた。
したと言っても、通勤ラッシュに揉みくちゃにされる朝じゃなくて帰宅の夜だが。故に俺の意外性を唱える人間は誰一人いない。それもそれで詰まらないな、と思ったがすぐにそう思ってる自分が愉快犯になった気がして思うことを止めた。愉快犯とのワードはいい気分がしない。故にここで話を打ち切ろう。
いつもと違う駅――――家からの最寄り駅のひとつ手前の駅で降りた俺は日が沈みネオンがまばゆい見知らぬ東京の街を一先ず歩くことに。なにごともまず“知る”ことから始まるもの。初歩を欠いても良いことはない。
隣駅もそこそこ都会で21時を回っているがまだ人の賑わいがあった。でも、今日はまだ木曜日だから明日や明後日に比べたらマシなほうだろう。人が往来する休日の通りにくさは一級品だ。
路線を沿うように歩いていると、公園が見えた。滑り台に砂場、ブランコにベンチ。どこにでもあるありふれた公園。でも、どうしてか惹かれるようにその公園へ足は向かった。
まあ、ここで晩飯でも食うか。前もってコンビニで買っておいたビールとおにぎりが3個あることだ。
ふらふらと浮遊幽霊のごとく立ち寄る公園には珍しくホームレスの姿がなかった。近所の公園は端々に新聞紙を巻いて寝ているホームレスや、どこかの弁当屋のガサ入れでもしたらしいホームレスがいた気がする。都会だからって当然のように全ての公園にホームレスがいるわけではないか。
ジリジリと心細い街灯の明かりに群がる蛾を眺めて、ブランコに腰かける。2、3回軽く前後に漕ぎ、飽きる前に打ち切った。おにぎり食お。
ビール1本ぐらいで潰れるほど柔ではないことを自負しているので、ここで飲もうが帰れるのは分かっている。
ブルドックをカシュッと開ける。そのまま喉へビールを流し込む。あー、うまい。疲れた身にビールの苦みが染み渡る。
みゃああ。
一気飲みはできず、2回目を行こうとしたら器用に猫が俺の膝に乗った。本当に器用にだ。
野良だろうから汚いのは当たり前。でも、家にいる2匹のせいか不思議とスーツが汚れるなんて思いもしなかった。むしろビールを飲むのを一時中断して、喉をごろごろと鳴らしているところだ。人懐っこいのか気前よく野良猫は媚びてくれる。
「猫、好きなのですね。」
ああ、好きだよと返そうとしたが聞こえてきた声音がやけに若い女であったことに不信感を抱き、なにも返さず顔を上げるとやはり予感は的中した。ほら、悪い予感ほどよく当たるのは昔からなセオリーだから。仕方なくもないがな、そんな理由で。
目の前にいるのは、白と黒のセーラーを身に纏う少女であった。コスプレとかじゃないこと願って年はだいだい高校生ぐらいだろう。
都の条例で未成年の深夜の外出はアウトのはずだ。今から帰るのならまだ見逃して貰えそうだが、見るからにこのこのセーラーは帰る気配が見られない。もしここで警官が通りでもしたら俺、捕まりそうじゃないか。マズイ。その一言でこの状況が一気に真っ青だ。
「お前、見るからにまだ高校生だろ。こんな夜遅くに危ないぞ」
「大丈夫ですよ、毎晩のことなので」
「毎晩夜中徘徊してるのか」
「はい、ちなみにこの公園は私の城です。誰もいないので快適なのです」
「快適でも危ないことに変わりがない。補導されるぞ」
「あー、実は何回かありましたね。でも、その都度華麗に回避しましたよ! 私、頑張りました!」
「頑張るな」
「えー、良いじゃないですかー。スリルサスペンスですよ。名探偵の小学生にも負けません」
「いや、コナンと比べたら世界中のだいたいの事件は負けるな」
「すごいですよね、彼。体は小学生なのに身体能力のスペック高過ぎですよ」
あ、今完全に流れを持っていかれてる。そんな確信が過った。このままじゃあ2人でいるところを警官に見つかったらお仕舞いだ。はあ、と溜め息をこぼしもう一度帰れと告げようとしたら――――ぎゅるるる、と盛大な腹の虫によって邪魔された。
俺は、ビニール袋からおにぎり3つを取り出しセーラーの少女に差し出す。
「腹減ってるならとりあえず食べろ、話はその後だ」