17時の鐘が鳴った。オレンジ色の屋根はより一層色を強めて焼けていく。稽古場に挨拶をして、碁盤の目のような道を真っ直ぐ進めば白地ののれんが下がった茶屋が見えてきた。

「珍しい、今日は私服だ」

入口付近にある紅い長椅子に腰掛けた彼は、置いていたお盆をどかし私の座るスペースを作ってくれた。修験の休息がてらお茶をしにくる彼と、お稽古の帰りにここの前を通る私が知り合いになるのはそう時間はかからなかった。お互い同じ見習いという立場。近い話題というのは距離を縮めやすくしてくれる。
注文を取りに来てくれたお姉さんに抹茶ラテを一つ頼む。彼のお盆には黒蜜がかかったきな粉餅がまだ残っていて、いつもなら同じのをと頼むのに今日ばかりは気分が乗らなかった。

「せや、来週のジム戦結果次第ではジムリーダに推薦されるかもって?」
「情報が早いなぁ」
「姐さん達が話しとったんよ。マツバはんは人気者だもの」

バトルはからっきしな私から見ても、マツバさんの実力は十分だった。それでなくても誰よりも修行を積んできたんだ。近い将来、この地に伝わる伝説にだって手が届くかもしれない。

「ほんま凄いなぁ、努力しとったもんね」
「どうしたの?」
「え?」
「今日はやけに無理して舞妓言葉を使うから」

彼の千里眼とやらは、本当に何もかも見通せるのだろうか。だとしたら私の心の中だけはどうか見通さないでほしい。いや、見通さなくてもきっと暴露ている。今の私は教えられた笑顔を作れていない。上達しない舞妓言葉はもう限界だった。

「実家にね、帰ることにしたの」

落とした目線に映るのは私一人の足元だ。今日はいつもの足袋に下駄じゃない。動きやすいスニーカー。髪の毛もまとめていないし息苦しい帯も閉めていない。見習い舞妓ではない、どこにでもいる普通の女の子で、それだけだ。
注文した抹茶ラテが運ばれてくる。ぽっかり浮かんだ葉っぱのラテアートに細長いスプーンを落とせば、白いクリームはたちまち渦巻いて沈んでいった。

「そう、遠いの?」
「シンオウの田舎」
「シンオウってどんな所なんだい?」
「寒いよ。寒くて、広くて、それでいて寂しい」

なんにもない。ただそれが嫌でお金を貯めて荷物まとめて出て行って、華やかできらきらしている彼女達に憧れてこの街へとやってきた。練習は大変で覚えることも沢山だったけれど楽しかったのも嘘じゃない。だけれども、いつまで経っても私には季節の花簪を刺すことは出来なかった。なんの花かも分からない、小さな小花を揺らすのが精一杯で、いつ散ってしまうのかびくびくしながら過ごしていたのも事実だ。
嫌っていたあの土地と、私は、一体何が違うというのだろうか。なんにもない。なんにも持っていないのだ。美しく着飾って、紅を刺して、使いなれない言葉を話しても、結局私は私だったんだ。

「あんまり驚いてないみたい」
「…なんとなく、見えていたから」
「そっかぁ」
「でも、寂しいよ」

前を向いたまま呟いた彼の横顔は、落日に照らされ色素の薄い睫毛はまるで輝いているようだ。こうして横で、高らかな彼の声を聞くのが好きだった。その時ばかりは私の中は満たされていたから。貴方と同じ夢を見れていたから。だけどももう私には目を瞑って昔を思い出すことしかできないんだ。

長いマフラーを巻き直して、お代を済ませた彼は私の方に手を差し出す仕草を見せたがそれはそのままポケットへとしまわれてしまった。

「僕には、行かないでもさようならも言えそうにないや」
「狡いお人」
「そっちこそ」

もう末期なの。




*Thanks request
舞妓見習いとジムリーダーになる前のマツバ
2014331
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