馬鹿が引く風邪




「―――えぇ!?…」
「?」

先程から携帯電話で誰かと話していた様子の雇用主が、いきなり素頓狂な声を上げたことに驚いて、波江は作業を一旦停止して声がした方を見る。

すると、彼――折原臨也は、奥の部屋へ行ったかと思うと、コートを手に慌てて廊下に出、こちらに向かって「ちょっと出てくる」と言い放ちドアから飛び出していった。

――この間、実に五秒ほど。

波江は内心ポカンとして、臨也が飛び出ていった方を見詰めていたが、やがて中断していた作業を再開した。
おおよそ検討がつく。普段は嫌味な位に冷静沈着な彼を、あれほどまでに揺るがすことが出来る人間が、一人だけいる。

一瞬沸き起こった嫉妬のような感情を呑み込んで、矢霧波江はコーヒーを啜った。


  ・・・・・


「――シズちゃんっ!!」

バン、と開け放された自宅のドア。
平和島静雄はかなり驚いて、反射的に身体を起こす。

「臨也!?なんで」
「あぁ…もう…!!なんでってそれはこっちの台詞だよ!!」

ドカドカと入り込んできた臨也はあからさまに怒りを顔に浮かべて、早口に捲し立ててくる。静雄は訳が分からない。

「新羅から聞いたんだ、シズちゃん……風邪引いたんだって?」

―――新羅…後で殺す。

うっすらと白衣の旧友に殺意を抱きながら、静雄は身体を完全に起こして臨也に向き直った。

「何で連絡しなかったの」

臨也は、言葉に明らかに怒りを滲ませている。
静雄は、只でさえガンガンと痛む頭を押さえて、更に頭が痛くなるのを感じていた。

「……五月蝿えな…、別に手前とは関係無えだろうが」
「関係無くないだろ…?」

いつの間にか布団の傍に来ていた臨也が、語気を弱めて訴えかけるようにして反論してくる。常に見ないその姿に内心目を見張った。

「臨也……」
「俺たち付き合ってるんだから」

  ・・・・・

――やれやれ、やっと寝た。

目の前で、すうすうと静かな寝息を立てている静雄を見て、臨也は一息吐いた。

新羅から電話が掛かってきたのが一時間前のことだ。携帯越しにもはっきりと分かる程に興奮した口調で、"あの"静雄が風邪を引いたことを伝えてきた。
新羅は、自分たちの関係を知っている為に、わざわざ静雄のことを報告してきたのだ。

「……シズちゃんが風邪引くなんて…」

案外内側は弱いのかな?等と考え、まあ、確かに"内側"には弱いな、うん、と頷く。
さらさらとしたくせっ毛を弄りながら、額に自らの手を添えて体温を確かめてみると、やはり熱い。さっきから頬も上気して、布団から出ている腕もうっすらピンク色に染まっているように見える。

「……」

観察をしていると、急に寝ていた静雄が咳き込み始めた。臨也は焦ることなく台所へ向かうと、コップに水を注いで布団の傍へと戻る。

「はい、シズちゃん起きて……水」

頭を抱えて、自分の膝に乗せる。
睫毛が震えて、ゆっくりと瞼が上がった。

「……み、ず…?」

ぽつりと声を漏らした青年は、寄せられるコップに口をつけ、傾けられて流れ込む水を飲み始めた。
いつもとはまるっきり違う、庇護欲をそそるその様子に、臨也は自然と顔が綻ぶ。

(可愛いなあ……)

そんな事を考えていると、コップを傾け過ぎたらしくコップの端から水が溢れた。

「っ、つめた…!」
「わ、ごめんシズちゃん!ちょっと待って……」

タオルを取りに行こうと立ち上がった矢先――びいん、と身体が後ろに仰け反った。

振り向くと、ぼうっとした表情の静雄が腕を掴んでいて、びくともしない。

「え…?ちょっと、シズちゃ」
「―――離れるな」

その時、世界が止まった気がした。

シズちゃんが……"あの"シズちゃんが……

「…シズちゃん」
「いい、から…」

口端に水が溢れているまま。
尚も静雄は掴んだ手を離さない。

それに臨也は苦笑して、再び布団の傍に座り、「大丈夫だよ」と囁いた。

「離れないよ……傍についてるから」
「ずっと、か…?」

その言葉に、ビクリと肩が震える。

「……ああ、ずっと傍にいるよ」
「本当か」
「…信じてよ」

切なそうに眉を寄せる静雄に、臨也は内心焦る。

何故なら、
それは保障する事が出来ないから。

結局、付き合っているとは言っても、所詮同性だ。子供なんて出来やしないし、気持ちに飽きたら直ぐに捨てられると思っていた。
……そして、静雄にとってもそれは同じだと思っていた。


「……俺、不安…で」
「ん?」

「いつかお前が、突然居なくなるような……気が、して」

核心を突かれた――
そう感じた。
それと同時に、本当に辛そうな顔でぽつりぽつりと言葉を紡ぐ恋人に、とてつもなく愛しさが湧いてくる。

――きゅう、と、胸が苦しい。

きっと、目の前の男は何もかも解っているのだ。永遠なんて約束されない関係なのだと。どれだけの言葉で彩られようと、どれだけ身体を重ねようと、決して自分の不安は拭えないということを。

だが、それを普段は欠片一つ表に出さない。いや、出せない性分なのだ。

臨也は、目の前の男が急に哀れに思えてならなかった。

――だから、
臨也は優しい嘘を吐く。

「愛してるよ」

静雄は苦笑した。
その言葉の残酷さに、気付いているかのようだった。


  ・・・・・


翌朝、目が覚めると、自分が温かいものに包まれていることに気付いて顔をあげる。
臨也が、ジャケットを脱いだ出で立ちで頭に肘をついてこちらを見ていた。

「やあ、気分はどう?」

爽やかな、優しい声が鼓膜を震わせて、静雄はややあって頬が熱を帯びるのを感じる。

「……グロテスク」
「ぐ、グロっ……?何それちょっと!」
「つか……何やってんだよ、風邪移るぞ」

睨み上げると、臨也が目を閉じて何処か得意気に言い放つ。

「馬鹿と天才は紙一重って言うでしょ?馬鹿は風邪引かないって言うけどさ、……その理屈で、天才の俺は風邪引かないと思うんだよねえ」

実際引いた事無いし、とにやける臨也に対し、それってやっぱり馬鹿って事じゃねえのかと呆れる。

「……いい加減離れろよ」
「ええ?久しぶりにシズちゃんを満喫したいんだよ、俺は……って言うか、もう元気そうじゃない」
「………――ッ!!」

――しまった…!!

下半身の違和感に気付いた時にはもう遅かった。まさか……まさかこのタイミングでこれは……思春期かよ俺……。

「あっはは!……ねぇ、抜いてあげよっか?」
「―――ッいいからもうお前死んでくれ、つーか殺す!!」

心に、色々と深刻なダメージを受けた静雄だった。


  ・・・・・


「う〜…ジズぢゃん〜」

頭がかち割れそうな程の深刻な頭痛、全身の関節はギシギシと悲鳴を上げ、39℃以上の熱、喉が裂けそうなくらい酷い咳、そして痰―――。

「……インフルエンザじゃないわよ」

淡々と語る秘書に、臨也はかぶりを振った。
あー…なんかもう物理的に頭が痛い…。

「か…風邪って、ゲホッ!こんなに…苦しいものなの…?…」

マスク越しにゼイゼイと喋った。これだけで必死である。

「風邪でしょうけど……抗生物質が効かないんだから、仕方ないわよ。まあ……普通では無いわね、良い気味よ。」

ぴしゃりと言い放ち、薬と水を置いて寝室から出ていく波江。
一人ベッドに残された臨也は、改めて自分の恋人の底しれなさを痛感する。

実はこの状態になって三日目の今日、まだ容態は一行に良くならない。

…シズちゃんなんか、たった一日でケロっとしてたのにさ…。


やっぱり、シズちゃんなんかが引く風邪菌なんて……普通じゃないよ……。



――――

しかし、数時間後。
波江から連絡を貰った静雄が臨也を訪ねるのは、また別の話。



2010/12/03





はい……!
お待たせ致しました。
キリリク小説第3弾は、あやめさんリクエストのシズデレです!
え……どの辺…?と思われた方、生温くスルーして頂いて結構です…(泣)

私もシズデレは大好物なのですが、なかなかシチュが浮かばず、なんだかお約束のもにょもにょ…。
がっつり恋人にしても良かったんですけど、自分の趣向が出てしまいました………臨也、冷めてますね(苦笑)
ですが臨也主観の描写ですので、愛してるという言葉の真偽は皆様にお任せ致します……!

素敵なリクエスト、そして当サイトに足を運んで戴きありがとうございました!


テルル

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