臨也編 放課後。 「……好きです」 一人の女子が、ある男子に向かって、顔を真っ赤にしながら自らの気持ちを打ち明けている。 相手は困ったように頭を掻いて、 ―――そして一言、「ごめん」とだけ呟いた。 何処か寂しげな表情で。 彼はその少女を拒否した。 少女はあからさまに傷付いた顔をして、溢れ出ているのであろう涙を必死に拭いながら少年の方を見向きもせず足早に去っていく。 残された少年は、ただ、ただ。 木枯らしの吹く体育館裏に独り、立ち尽くしていた。 ――その様子を遠くから眺めていた折原臨也は、腸が煮え繰り返る程の怒りを感じていた。 ここまで気が立つのは、初めてなのではないかというほどに。 「……」 やがて、立ち尽くしていた金髪の少年――平和島静雄は、ゆっくりとその場から離れていく。 臨也は目を細めてそれを見る。 「本当に女って生き物は…自分の都合しか考えないんだから」 残されていた少年の顔を思い出しながら、苦笑する。 「…まあ、俺もそうかもねえ」 折原臨也は、静雄を好きだ。 それは紛れもない真実であり、どうしようもない現実だった。 性別とか、そう言った垣根は臨也にとって意味を成さないものであったが、まず、何故自分が彼を好きになったのかという理由が明確でない。 いつの間にか そう、いつの間にか、だった。 いつの日からか、心の底から嫌悪していた筈の存在が、自分に一番近い存在となっていた。 顔を合わせる度に喧嘩をする仲だという事に変わりは無かったが、それが回数を重ねるごとに嫌悪よりも寧ろ、楽しいという気持ちの方が強くなっている事に気が付いたのだ。 静雄を見付ける度、少しちょっかいを出したくなる。 いや、だからと言って自分は奴を気に入ったとかそういう訳じゃない。からかって、反応を見て、楽しんでいるだけだと。そう思っていた。 しかし、それが只の好奇心とか、今まで自分が感じたことのある感覚とは微妙に様相が異なることを、徐々に自覚していく。 近くに居れば殴りかかられるので、遠くから眺める事しか出来ないが、いつしか。 新羅や黒バイクと話している時、僅かに見せる微笑みや、体育の授業で時々垣間見せる無邪気な表情に、心惹かれていく。 もっと見たい。色々な表情を。 一緒にいたい。触れたい。 そんな事を思ってしまう自分に、軽く嫌悪を覚える。だけど、それらはもう否定出来ないのだから。 「もういっそ…俺のものにしちゃいたいのになあ」 自分が出来ない事をあっさりと、『女』である事を利用してやってのけるくせして、拒否されれば、逃げる。全く持って不愉快極まりない行動だ。相手の――シズちゃんの気持ちなんか、ちっとも考えていないじゃないか。 だからこそ、臨也は歯痒かった。女に、嫉妬していた。 「……ちっ、苛々するなぁ…」 告白。だなんて、そんな。 静雄に関しては、殆どが上手くいかない。 「臨也、まだ教室に残ってるのかい?」 「…どうだっていいだろ」 いつの間にか新羅が、自分一人残されていた教室の入り口に立っていた。 「おやおや、いつもの朗弁活闥な君は何処へ行ったんだい?ささくれてるね」 「…もういいだろ、帰る」 荷物を手に教室を出れば、後ろで友人が肩を竦めた。 ・・・・・ 翌日、昼間のことだった。 「折原ァァァアア!!」 怒号が聴こえる。 足音が聴こえる。 後ろから、追い掛けてくる。 言葉にならない啖呵を切りながら集団で一人を攻めて来ているのは、臨也が昨日"けしかけた"不良たちだった。 ――この状況の経緯は昨日に遡る。 昨日、臨也は他校の不良グループの一人と接触した。そいつは、臨也と会うなり初対面でこう言い放つ。 『平和島静雄ってのは、どんな奴だ』 最も、これは自分の計画通りのことであった。臨也は驚きもせず、笑いながら静雄の情報を売り渡す。 ――そして昨日の夜。 何の関係も無いそのまた他校の高校生が、闇討ちのようなものに遭って全治1ヶ月の怪我を負ったというニュースが流れる。 そして、その時現行犯逮捕されたのは、今臨也を追い掛けている不良たちの仲間であり――昨日臨也が接触した人物とその取り巻きたちであった。 「待てや!ッらァ!!」 「金返しやがれッこの嘘つき野郎!!」 裏切り者!等と罵声が臨也を追う。しかし、臨也は裏切った訳ではない。ただ、"ついうっかりして"静雄の正確な場所を伝え損ねただけなのだ。売り渡した情報というのは、平和島静雄という男の特徴と、性格。それだけだった。 だから、襲われた男子生徒は外見上静雄に似ていた。 間違えたのはあくまでも向こう側。俺は知ったこっちゃない。 しかし、それを言って通じる相手とは到底思えない。 臨也は暫し考え――不良たちが角を曲がってくる直前で、細い路地に入り込んだ。 そして、そこで意外な人物と遭遇する。 「臨也!?」 「!……シズちゃん?」 金髪に長身のその人物は、荒い息で路地に入り込んできた臨也を見て目を丸くする。怒りよりも驚きの方が先に立ったようだった。 臨也は心臓が跳ね、何か言おうと口を開く―――が、それは新しく二人のいる路地に入り込んできた罵声と共に中断される。 「見付けたぞ!」 「おい、あれ仲間か!?」 「いいからやっちまえ!!」 チッと小さく舌打ちをして、臨也は静雄の腕を掴み走り出す。 え、とか、おい!とか、困惑した声がすぐ後ろから聴こえるが、それを無視して縦横無尽に池袋の街を駆け回る。 静雄にとっては理不尽な事だとは思うが、臨也は現在の自分達の状況に奇妙な連帯感を感じていた。 ――そうこうしていると、いつの間にか聴こえていた足音が遠ざかっており、暫し解放されたのだと気付く。 建物と建物の間に入り込むと、そこで掴んだままだった手を振り払われた。 「――ッ放せ!!」 こちらを睨む静雄。 それを何処か冷めた目で臨也は見詰め返した。昨日体育館裏で見せていた表情が嘘のように怒りと困惑とで打ち消されていた。 ……可愛くないなあ。 その原因は自分にあるというのに、棚に上げてそんな事を思う。 「……あれ、また何かやったんだろ手前」 「んーまあ……そうかもね」 「んだそれ。ハッキリしろ」 「シズちゃんには関係ない」 その刹那、静雄の表情が固まった気がしたが、直ぐ元に戻る。 「巻き込んどいてそれかよ」 「何?俺に興味ある?」 「別に……だけどよ、俺がこのまま一人で出てったとして"俺が"面倒な事になるだけだろうが。」 「…俺としてはシズちゃんが奴等を蹴散らしてくれて、ついでに暴行でしょっぴかれてくれる方が好都合だなあ…」 「…ふざけるな」 臨也の科白に、白々しいと舌打ちする様子の静雄。流石にあの場所に静雄が居たことは予想外だったが、臨也にとっては嬉しい想定外だった。 「二人きりだね」 「………あ?」 「いや?何でも――」 「居たぞ!!こっちだァ!」 臨也の言葉はそこでぶつんと途切れる。そして二人は瞬時に、声のした方向から反対に駆け出した。 しかし、駆け出した方向からも、ガラの悪い顔付きをした、不良たちの仲間と思われる高校生の集団が行く手を阻んでいた。 「逃げられると思うなよてめえ等ァ!あぁ!?」 細い路地の、両側の出口を遮られているこの正に危機的状況の中。臨也は至って冷静だった。 「あぁああ……クソ……ノミ蟲野郎…後でぶち殺す」 隣で静雄が、ごきりと首を鳴らした。 「俺は今日……最っっ高に胸糞悪いんだ、よ――ッ!!」 ――そしてやっと、少年たちは理解する。 たった今、自分たちの目の前にいる人物こそが 『本当の平和島静雄』であることを。 ・・・・・ 恐怖からくる悲鳴。 叫び声が、池袋のビルとビルの割りと広い隙間で渦巻いた。 それを離れた所で見ながら、臨也は暫し考え―――おもむろに携帯電話を取り出すと、とある番号を入力し、通話ボタンを押す。 すると、一番近くに"落ちてきた"不良がこちらを見上げて、問う。 「な、に…して……?」 そしてそれに、臨也はにこやかにいらへた。 「え、警察に通報だけど?」 それを聞いた不良は一瞬硬直し―――顔を更に真っ青にして「サツだ!おい!!サツが来るぞ!!」と大声で叫び声を上げた。 情けない声を出しながら次々と退散していく不良たち。残された静雄は、呆気に取られたようにそこに突っ立っている。 「ああ?…何だぁ急に」 「まぁ……ちょっとしたハッタリを、ね?」 実は通話ボタンを押した後、1コールもしないうちに切っていたのだ。 こちらを訝しげに見る静雄に、臨也はクスクスと笑いながらそう言った。 ・・・・・ 夕方 池袋 とある路地裏にて ビルの狭間から、閑散とした細い道に出たところ。 先程まで荒れ狂っていた静雄は、臨也が見たところ穏やかな佇まいでそこにいた。 「ぷ、シズちゃん一瞬ポカンとしてたよ。酷いアホ面」 「死ぬか?」 「…あはは、冗談冗談!…多分」 「多分て何だよ、おい」 「いだっ」 ごつん、と額を拳で小突かれる。本人にとっては軽気なのだろうが、臨也…普通の人間にとってみればそれは鈍い痛みをしっかりと残すものだった。 しかし、手加減をしてくれた、たったそれだけのことに何処か優しさというか、この男の本来の性質を垣間見たような気がして、臨也は内心嬉しかった。 ――ああ、きっと… こういうのを"愛しい"って言うんだろうね 自分が人間という生物そのものに抱いている"愛しさ"とはまた違った性質のものだった。 愛と言うには余りにも歪すぎるそれとは、全く異なる感情だった。 臨也がそれに気付いた時には、昨日からあんなに苛々してささくれ立っていたものが、不思議なほどすっかり収まってしまっていた。 ていうか、もう、どうでもいいや。 目の前で、明後日の方向を見て立っている静雄。さっさと帰ってしまうのかと思いきや、どうやらこれは期待してもいいらしい。 臨也は、くすりと笑みを溢して、ひとこと言う。 「俺のこと、殺さなくていいの?」 「…殺されてえのか?」 「いや…」 クス、と臨也が笑い、方向を変えて、二人は歩きだす。 少しずつ冷たくなっていく冬の外気が、肌をちくちくと刺している。 臨也は隣を歩く静雄を見上げて、それから視線をその手に落とす。ポケットに入れられたそれは、きっとあたたかいのだろう。 「……ね、手繋いでみる?」 「―はぁ?!何で……って、何突っ込んでんだてめぇ!!」 「シズちゃんのここ…凄くあったかい」 「気色悪ぃんだよ、その言い方!」 口ではそう言いつつも、次第に二人の距離は狭まっていった。 ああぁあうぜえと、頭を掻く少年も、空気を読まずにケラケラとその隣で笑う少年も、同様に夕焼けの空が包んでゆく。 冬も間近に迫る澄んだ空気を透過して、どこをとっても平等な赤に焼けた光が街を――全てを染め上げていた。 明日からはまた同じ日常が始まる。 だけどきっと、"彼ら"には。 また違った日常が幕を開けるのだろう。 歩みを止めると、呼応するように停止した相手が振り返る。 夕焼けか、それとも別の何かで赤く染まるその顔をしっかりと見据えて。 「シズちゃん、あのね……―――― fin. 2010/11/30 実は、まだ続き…というか、シズちゃん視点もございますので暫しお待ちを…… |