間章その2


一年前、デニーノ・フェルプスは、ある日本人の男に出会った。

彼は言った。


 貴方には、まだ
  チャンスがあります

 …なに 私はほんの
 手助けをするに
    過ぎません

 ――全て、

   貴方の力ですよ


デニーノは、その日本人を信じ、全ての行動を自らの意思で決めていった。そして、それらは全て上手くいった…。

しかし、全てが自分の力であると思うまでに、彼は奢ってはいなかった。それまで成功してきたこと全てに関わるあの日本人の男のお陰で、今の自分があると思っていたのだ。

―――それが腹立たしい。
そして――恐ろしい。

二度と関わるまいと、距離をとろうとすればする程に、今度はまた別種の恐怖が襲いかかる。
――果たして自分は、あの男なしにやっていけるのだろうか?

自信が無い。
悔しい。
どうして……組織のボスにまで登り詰めたと言うのに…ッ!

プライドを踏みにじられるような感触。……あの男…。






――折原臨也…!!



あの男こそが、彼のコンプレックス。
その男こそが、彼の弱み。
その男こそが、――彼の強み。




そしてそれら全ては、折原臨也の手の内であった。



  ・・・・・


池袋 オフィスビル
住居用に改築された10F

「―……ッあー!!疲れた!」
「当たり前の様に人ん家に入るなよ、アンタ」

警察との2、3日に渡る交渉を終えた臨也と静雄(付いていっただけ)は、くたくたになって自宅へと転がり込んだ。ただしそれはつい3日前に静雄の住居となった、事務所が入っているオフィスビルの、居住出来るよう改築された10階の部屋。
その間殆ど足を踏み入れなかったが、中にはそれなりに現代風な家具が揃っており、直ぐに生活が始められそうな雰囲気である。

しかしそんな感慨を抱く間もなく、静雄がドアを開くと、それらの提供主は部屋の間取りなど全て解りきっていると言わんばかりに足早に寝室へと向かい、やたら大きなベッドにダイブした。慌てて追い掛けると、スーツ姿のまま布団に埋もれる臨也の姿がそこにあり、静雄は腰に手を置いて溜め息を吐く。

……まぁ、これら全てを用意したのは目の前の雇用主である訳だし文句は言えないか、と諦めて、だがあまりにだらしないその体に少し釘を刺す。

「スーツ皺になっちまいますよ、早く起きろって」
「んー……シズちゃん〜」
うつ伏せのまま、腕を子供の様にばたつかせる臨也。これではまるで、自分がお世話役のようだ。

「あのなぁ…良い大人が何やってんだよ」
「……うーあー…だってあいつらウザかったんだもん、疲れた…」
「…はぁ」

ギシ、とベッドの端に腰かける。疲れたというのは嘘なんかでは無いのだ。きっと、現物をどうやって手に入れたか等で、妹たちに捜査の手が回らないよう切り抜ける為にずっと神経を尖らせていた筈なのだ。

静雄は部屋の外で待機していたから話の詳しい内容は知らないが、妙に臨也の表情が暗かったのを覚えている。いつもなら、お待たせと笑顔を見せるのだが、今回は違った。真剣に何かを考え込んでいるような、そんな表情だった。

……どうせ俺なんか聞いても分かんねえような難しい考え事なんだろうがよ…

そこまで考えた所で、はた、と気付く。
何だろう、今のは。
今の…拗ねたような言い草は。
臨也の力に、なりたいと…思っているのだろうか自分は。

――下を見ると、スーツであることもお構い無しに布団にしがみつく臨也の姿。

それに思わず手が伸び―――

「……っ」

途中ではたと止める。

何をやっているんだ。
今何をしようとした?

違う

――違う!


臨也は恩人なんだ。
上司で、自分が護るべき存在で、自分を必要としてくれて――


「…シズちゃん……?」

その声に、びくりと身体が強張った。目下の臨也は仰向けになり、きょとんとした顔でこちらを覗き込む。

「……どうしたの?」
「あ……」

何も言えずに目を逸らし、視線を泳がせる。……今は臨也と目を合わせたくなかった。自分も疲れているんだと思いたかった。


――髪を
   撫でようとした

   なんて



「………っいやー俺も正直疲れた、付いて回るのも楽じゃないっすよ」

そう言って、臨也の隣にどかっと背中から埋もれる。自分としては上手く気持ちを切り替えられたような気がして、何となくだが、先程までのもやっとした感覚を喉の奥に押し込んだ。

隣でくつくつと笑う気配がしてそちらに顔を向けると、臨也がこちらを見て笑っていた。

「ご苦労様」

静かな水面に水滴を一つ落としたように、心の中に波紋が広がった。


  ・・・・・


―――あれは全く愚かな男だ。


1年前。彼が手を差し伸べた、否、彼の服の裾を掴んだに過ぎないその気弱な欧米人の男。

自分が犯した重大なミスによって組織から処断されようとしていた所に、少しだけ知恵を入れてやった。ただそれだけだ。



  貴方の力ですよ、全て



そう吹聴して。
……あの性格だ。頭もそこそこにいいから、その言葉に酔う事は無いだろう。

だが、苦しんでいる筈だ。

今頃、俺の存在が邪魔で怖くて監視下に置きたくて堪らないだろう。

――全て分かっている。



動向を観察していたが、実に面白く無い。全てが自分の予想通りだった。

しかし、予想の範囲内であったが、流石にここまでおおっぴらな薬のやり取りというのは、些か楽観視出来ない。

――駒として捨て置いていたが、ここまで、か……


『愛する人間の動向を観察して楽しむ』

自分でも良い趣味だとは思えないが、止められない。その為の『情報屋(副業)』、その為の『探偵(看板)』。



そして今回、彼は

――"愛すべき人間"の日常を脅かす悪を懲らしめる、英雄になろうとしていた。


たまにはさ、良いことして…――もしあるとしたら、"天国"に行きたいじゃない?


しかし彼には一つ不安がある。それは、自分が殺されてしまうという可能性だった。

だから、

――その為に
  平和島静雄を雇った。


誰でも良かった。



…誰でも良い筈だった。


  ・・・・・


「…ご苦労様」
「……ああ」

そう言うと、彼はふ、と軽く笑って、金髪がふわりと揺れた。
今日は警察署に入るとあって、静雄は少し緊張気味だったようだ。どうやらちょっとした有名人である彼の姿におののいていたのは、向こうの方だった様だけれど。

肩の力が抜けたのか、目を閉じて安らかな表情で寝転がっている静雄。

……シズちゃんは、いつだって優しい

此方のどんな要求や、強行な手段に対しても、あれから文句一つ言ってこない。元々冷めやすいと言うのもあるのだろうけれど、自分以外の人間に同じ事をされたら激怒するだろうと自負している。

それ程の信頼を受けるとは、思ってはいなかったけれど。

――俺にだけ


そう、それでいい。
"俺だけ"の平和島静雄であればいい。


――そして俺を護れ…



静雄は、天井を見詰めている。スーツに包まれた長い手足を投げ出して。

きっと、只のボディーガードに対する感情じゃないとは自覚していた。

――傍に置きたい

身の安全確保の為とはいえ、波江の言う通りそれが過剰であることは分かっていた。

執着しているのだ、自分は。

平和島静雄という人間に。


「―……」

自分は何て愚かなんだろう。


思わず金髪に触れようとした手は、中途半端なところで下ろされた。


  ・・・・・

四日前


「あのバッグの持ち主って、君んとこの下っぱの下っぱ…ってとこかな?」
『……まあそうなるわね。会社に影響はまず無いでしょうから、関係無いけれど』
「相変わらずクールだねぇ波江は、……惚れ惚れするよ」
『貴方はバーテンさんに現を抜かしていたらどう?相手を間違えないで頂戴、吐き気がするわ』
「……ちっ」
『…あれで気付かない静雄さんの方が可笑しいわよ』
「意外にも波江、反応が普通なんだけど」
『同性愛だろうが何だろうが、他人の恋愛に興味ないだけの話よ』
「……おや、結構本気でシズちゃんに嫉妬してると思ってたんだけどなぁ?」
『…私が貴方を好きだって言いたいの?冗談じゃないわ』
「自分でも気付かないうちに、人を好きになることもあるんだよ――て、あ…切られちゃった」

機械的な連続音が響き始めた携帯電話の通話を切り、新宿の私邸で悠々とソファに寛ぐ青年――折原臨也。

背中越しに、早く帰りたそうな気配を感じて、思わず頬が弛んだ。

「…シズちゃん、そんなに急がなくてもさぁ」
「だってもう嫌じゃないっすか、関わりたくない」
「もうちょっとゆっくりしてかない?…二人で、さ」
「ッ…変な言い方すんなよ!」
「何で焦ってるの?」
「焦ってねぇ!」
「……ふぅん」

揶揄するようににやけると、相手は拗ねたようにそっぽを向いた。

あ、今のちょっと可愛いかも。



――……って、あー
何だ今の

男相手に可愛いって……


馬鹿みたいだ


だけど、気持ちだけは誤魔化せない。いつも傍に居てくれる静雄は、確かに臨也にとって特別な存在だった。


――ああそうか

 "好き" って、

   こういう事か


と。

ガラスを透過して惜しみ無く注がれるオレンジの光に照らされたその綺麗な金髪の男を見て、そう思った。




2010/12/25







……さて、どうしよう。


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