間章その1



――ピンポーン

早朝、もちろん出勤前。
洗面所で歯を磨いていた静雄は、自宅の呼び鈴が鳴ったような気がして一瞬動きを止めるも、急いで口をすすぎ玄関へ赴いた。

――誰だ?こんな朝早くに

仕事で平日は普段家に居ることの少ない静雄に気を使った回覧板にしては、些か過剰すぎる訪問時刻の早さに首を傾げながらドアを少しだけ開くと。

「やぁ、おはよう」

そこには、なんと静雄の雇用主が爽やかな笑顔で立っていた。目の前の光景が信じられずに呆然としていれば、相手はそんな静雄の事など気にも留めずにずかずかと部屋に上がり込んでくる。

「え、ちょっ!何勝手に上がって……!!」

いまいち状況が把握出来ないスウェット姿の静雄は、取り敢えずきょろきょろと部屋を物色している彼を引き留めようと手を伸ばした。
すると彼はその指の先で振り返り、こちらに向かって真剣な表情でこう言い放つ。

「よし、引っ越そう」

―――………は?

余りにも真顔で、まるで考えて考え抜いた末の結論のように言われ、更に静雄は混乱する。

「あ、あの……さっきから何なんすか折原さん…良く分かんねーけど」
「折原さんじゃなくて、『臨也』で良いから。ん?とどのつまりはシズちゃんに新しい住まいを用意してあげようと思ってね」
「はあ?!」

突拍子の無いその言葉に静雄は絶句した。もしかしたらこれは夢なのでは……と心配になるが、いや、現実だ。

――っていうかそもそも出だしがおかしい。何で朝の6時に社長が来るんだよこんなとこに。

「よし、そうと決まれば引越し引越し!」

リズミカルに手を叩きながら「ほら早く着替えて」と促してくる臨也。

「ややや、ちょ、ちょっと!」
「なに?」
「いや……何ってそりゃこっちの台詞だろ!朝早くにいきなり上がり込んで来て引越しって一体何なんすか!?」
「ん〜何て言うかさ、もっと俺の近くに居て欲しいんだよねー」
「……は?」

一瞬どきりとして臨也を見詰めると、相手はニコリと笑った。

「え、何?もしかして照れた?」
「……っ、ち…っがいますよ!」
「ふぅん、そう。ま、どうでも良いけどさ、家賃とかその面では心配しなくていいからとにかくもっと事務所の近場に引越して欲しいんだよ。あ、それか新宿の俺の家とか?」
「……寧ろ遠ざかってません?」
「だけど一緒に帰れる」
「…そういう問題じゃ」
「どういう問題?男同士なんだし別にいいじゃない」
「そりゃそうっすけど……、でもとにかく引越しとか必要無えから!」

静雄がその突然の申し出をきっぱりと断ると、ふぅん、と相手は心底冷めたような雰囲気で玄関へと戻っていく。
その様子に安堵した静雄だったが、玄関で靴を履き始めた臨也が突然「あ、そうそう」と思い出したような口調で言った。


「因みにここの水道と電気とガス、明日から使えないようにしちゃったんだ、ごめんね!」




さ い あ く だ 。

……結局引越させるつもりだったんだあの野郎。

急遽引越しせざるを得なくなった静雄は、あの後玄関でニコニコしている臨也の前で慌ただしく私服に着替え、服やら日用品やらを纏め始めた。
元々家具といえば冷蔵庫とテレビ位しか無かったので荷物を纏めるのにそう時間はかからなかった。

「そろそろいいかな」と臨也が呟いたかと思えば、その携帯で呼び出された何処かの業者が直ぐに部屋にやって来て、何やら臨也の指示を受けながらテレビと冷蔵庫を持って行った。

――何でこんな時間に!?

そう思ったが、あまり良い予感がしないのでそこは敢えて突っ込まない事にする。

「あれ、運んでくれるんすか?」

単純に疑問を口にすると、臨也が、ふっと笑った。

「いや?廃棄処分」
「嘘だろ!?」
「嘘じゃないよ。もう君の新居には新しいものが揃えてあるから必要無いんだよねー」

もう言葉が出なかった。
怒りを通り越……えはしなかったが、ほとほとその勝手さに呆れ返ってしまう。
我が侭……と言ってしまえばそうなのだろう。しかし、臨也のそれには嫌味を感じさせない何かがあった。

――もうここまで来るといっそ清々しいよな……

諦めの雰囲気に包まれて、静雄は結構な間世話になったアパートの一室を離れていったのだった。


  ・・・・・

池袋 オフィスビル11F
臨也の探偵事務所


洋服などの荷物を段ボールに纏めたあとは業者に全て任せていいとの事で、静雄はその言葉を信じることにして結局いつも通りの時刻に事務所へ臨也と一緒に出勤した。
そこには当然の如く臨也の秘書――矢霧波江の姿もあった。
彼女は静雄には目もくれず臨也の方を睨みつける。


「遅かったじゃない…」
「いやあ、ごめんごめん!」
「謝って無いでしょう?今日は"貴方の用事"でいつもより早く来たっていうのに……」
「そんな事無いって…本当に悪かったよ…今朝はちょっと、引越しで…」
「引越し?」

訝しげに静雄の方を見る波江に、一瞬遅れて静雄が口を開く。

「あーえと…折は……臨也さんが今朝いきなり来て、『今すぐ近くに引っ越せ』って…それでさっき荷物やらを色々と」
「だから臨也でいいって…」

しどろもどろに説明すると、隣で臨也が呟いた。一方で波江は啜っていたコーヒーから口を離し、やや驚いたように「本気なの?」と臨也に訊ねる。
彼は得意気に口角を上げて微笑む。

「勿論!…因みにシズちゃんの家は…

――ここの下だよ」

「「はぁ?!」」

その言葉に静雄と波江が同時に聞き返した。それに対して心底不思議そうな顔の臨也は、「何か問題ある?」といった顔でこちらを見比べる。

――ました

ましたって……あの真下か!?

どうやら、実はまだ聞かされていなかった静雄の新居とは、事務所の一つ下の階らしい。それはまた、臨也にしては単純過ぎる程に職場から近い場所だった。
……まさかそんな所になるとは思っていなかったので、頭が痛くなってくる。

「……ねえちょっと…」

途方に暮れていると、コツ、と波江が静雄に詰め寄って耳打ちをしてきた。

(……まさか貴方たち、"そういうの"じゃないわよね?)

「……?」

何を言われたのか一瞬分からずに首を傾げていると、臨也が二人の間に割り込んでくる。

「えー、何々?内緒話?」
「……最近貴方の平和島さんに対する執着が酷いって話よ」

そう言う話だったのか?と疑問符を頭に浮かべる静雄。それに、執着が酷いとはどう言うことだろうか。
訳の分からない静雄と対照的に、臨也は全て合点のいったような顔で「ああ!」と手を打つ。

「波江はシズちゃんに嫉妬してるんだね?」
「…どう考えたらそうなるのよ」
「あー……俺何か悪い事しました?」
「……だから違うって」

頭を抱えて、はぁ、と溜め息を吐く波江と、ケラケラと笑う臨也。完全に置いてきぼりになった静雄は段々複雑な気持ちになってくる。

そうこうしていると、波江が飲み終えたコーヒーカップを事務所にある流し台に置き、自身のデスクにあったノートパソコンを開いて臨也に見るよう促した。

「貴方に頼まれてたものよ」
「……ああ、仕事が早いねえ君は。本当…頼りになるよ」

波江の肩に肘を預けるようにして、提示されたパソコンの画面を見た臨也は、心底愉しそうな笑みを浮かべて優秀な秘書を誉め称えた。
しかしそれに照れも喜びもしない秘書は、うざったそうにその腕を振り払い、黙々と何か他の作業に取りかかり始める。

そんな中で、一部始終をただぼうっと眺めていた静雄に気付いた臨也が、ニコリと笑いかけてきた。

それにどきりと心臓が跳ねる。

「悪いね、シズちゃん」
「え、な、にが…?」

相変わらず柔らかい微笑みを湛えたままで、臨也がこちらに近付いてくる。

「今朝の引越しの事だよ……やっぱり、自分でも強引過ぎたかなって…」

喋りながら、口調とともに表情が申し訳なさそうに暗くなる。しかし静雄には何となく、これは"演技"だと解っていた。

解っているからこそ――少し寂しくも感じる。

「……いや、いいっすよそれはもう」
「そう?」

なら良かったと頬を綻ばせる臨也を見ても、静雄の心は更に寂莫とした想いに包まれるだけだった。



――臨也に雇われてからこれまで、彼は録な目に遭っていなかった。

好き勝手に呼び出され、連れ回され、死体を見ることもあったし、昨日などは違法薬物を目の当たりにして、今朝に至っては本人の知らない所で勝手に居住地を替えさせられてしまったのだ。

――だがそれらの臨也の行動は、つまり、彼がそれだけ青年を"必要としている"という事に他ならない。

自分を何故そこまでして……いや、自分でなくとも、だ。何故そこまでしてボディーガードが必要なのだろう?
臨也がどうして今更ボディーガードを欲しがったのかについて、実は本人からあまり聞かされていない。『そろそろボディーガードをつけようと思って』位だ。

だから初め、どうせ直ぐに解雇されてしまうだろうと高をくくっていたのだが。
いざ蓋を開けてみると、それは少し様相を変える。

――今まで周りを傷付けてばかりだった彼が、初めて人を護る為に力を振るえと言われ、そしてそれを実現する為に働くことが出来たのだ。
臨也に雇われるまでは、本当に毎日が辛かった様な気がする――しかしそれは今となっては過去の話だった。

少なくとも今は、

誰かに必要とされている


自分の"力"を

自分の大嫌いな"力"を
必要としてくれている

ただそれだけが嬉しかった。


そんな臨也を、ある意味彼は信じかけているのかもしれなかった。

………

「シズちゃん?」
「!」

止まっていた静雄の頭が、臨也の声によって現実に引き戻される。

目の前には、いつの間に着替えたのか、いつもの黒いコートとは違ってフォーマルなスーツに身を包んだ――探偵としての姿の臨也が訝しげにこちらを覗き込んで立っている。

「あとちょっとしたら警察行くよ」
「……あ、昨日のやつですか?」
「ん、そうそう。さっき波江が調べてたのは昨日のクスリについてなんだよ……。まぁ、それはただ単に俺の好奇心もあったんだけど……それで"確認がとれた"からね…」
「?…何のかくに」
「そんな事より!シズちゃんもほら、早く着替えて着替えて―――」







雇われる以前の臨也を静雄は知らない。

――静雄はまだ、臨也の『裏の顔』をも知らない。

ただ純粋に、"変わった奴"として。"自分を必要としてくれる人間"として。



これがどういう感情なのか、人とあまり接してこなかった青年には理解し得なかった。

臨也が笑う度、不安になる。
一方で、
笑いかけられると、
心が浮き立つ。


それは確かに、これから起こる事件の予兆と――

彼に対する好意に他ならなかったのだが。


青年の単純な思考は、後者の可能性にまでは至らなかった。

しかし。


何か漠然とした不安が、ここ数日間じわじわと彼を蝕んでいる。

その不安は、臨也の放ったちょっとした一言にその大きさを膨らませていくのだ。


(良く分かんねぇ……分かんねぇけど、嫌な予感がする)






そしてその不安は、突如牙を剥いて彼の日常を襲う事となる――

それはまた、あとの話。




2010/12/14








波江さんと臨也の関係は崩したくなくて原作仕込み&勝手に解釈です。
静雄と臨也は、原作とは違う出会い方をしていますので、大分関係が変わってますが…。

臨也さんが何を企んでるのか私にも解りません(ぇ



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