”Play one's trump card.”





―――静雄は、紙を掴んで直ぐに事務所を出た。
住所を見る限り、走って直ぐに行けるような距離では無いことは明らかだった。

取り敢えず大通りのある所まで走り、そこでタクシーを拾った。

後部座席の中で、静雄は祈るように一度目を瞑った。そして、再び進行方向を見る。


『あの馬鹿、今頃死んでるかもしれない。』


「――っ…」

波江の不吉な言葉がリフレインする。一体なんのことだか、静雄にはさっぱりだった。しかし、少なくとも臨也が今、何らかの事件に巻き込まれている可能性が高いのだろうということくらいは、静雄の頭でも推察できた。――故に、気が気でならない。



『初めまして…平和島静雄、さん?』

『君の仕事は、ただ俺に付いてくるだけだから』


ここまで来て、何故か臨也と初めて会ったときのことを思い出す。
――臨也が、平和島静雄という人間を雇った理由…。


『ん〜何て言うかさ、もっと俺の近くに居て欲しいんだよねー』


――強引な引越し。馬鹿みたいに早い時間から、家に帰るまで、何処へ行こうとも、異常なほど片時も離れようとしなかったこと。

「……、」

静雄の頭の中で、何かが引っ掛かった。
しかしそれは、今まで何度か疑問に思っていたことだ。――何故あの時期に、自分を、ボディガードを雇ったのか、その真の目的は?

「……まさか…」

そして、静雄はギリィ、と歯噛みする。

――そういうことか…あの、大馬鹿野郎が…!






  ・・・・・


 同時刻 
 池袋 オフィスビル11F

「…あの馬鹿、話が違うじゃない。」

矢霧波江は、呆れたようにため息を吐きながら、作業を終えたのかパソコンの画面から目を離した。飲みかけのコーヒーは冷めてしまっている。手を伸ばしたところで諦めた。

席を立ち、ゆっくりと、人間観察が趣味の雇用主お気に入りのガラス張りの壁に向かう。分厚いガラスに自分の顔が写り――その瞬間、波江は困惑して背中を向けた。

(別に、…ただ…そう、馬鹿だと思っただけ……)

言い訳がましいのは、自覚していた。でも、言い訳せずにはいられないのだ。――矢霧波江は、折原臨也にこれ以上弱みを握られるわけにはいけないのだから。

その手には、受話器が握られている。

(まだ…もう少しだけ、待たないと……)

時計を見上げながら、波江は唾を飲み込んだ。
受話器を握る手が、震えている。心配なんか、していない。――するものか。

「…そう、これは確率論なんかじゃない。“絶対”なのよ。」

しかし、波江の瞳は揺れていた。




「……死なないで」




  ・・・・・



 同時刻 
 池袋 とあるビル

カンカンカンカンッ、と、鉄で出来ている朽ちかけた外階段を静雄は駆け上がる。

地図に描かれていたのは、今静雄が登っているビルまでのルートだった。この朽ちかけたビルの4階の一室に、臨也が居るらしい。間に合え、間に合え、と心の中で叫びながら、静雄は最後の段を登りきり、勢い良く目の前のドアを開け放った。



――そして目に飛び込んできたのは、




血溜まりに突っ伏している、臨也の身体だった。







「………………………あ、う……そ、だろ…?…」



ざわり、と。
体中に得体の知れない感情が蠢く。それに突き動かされるようにして、目の前の臨也に駆け寄った。

途中で何かを蹴り飛ばした。
何かにつまづきかけた。

それらの障害は、静雄の膂力の前では余りにも無力だった。
しかしその静雄の膂力でさえも――目の前の青年に対しては無力だった。


「い――…ざや…、…――臨也ぁッ!!!」


半ば倒れ込むようにして傍に膝と手を突いた。手が血に触れてぬちょりという嫌な感触がするが、静雄は気にしない。

そっと、顔を両手で挟んで横倒しになっていた顔を上に向かせる。

――生きている人間のそれでは無かった。
口からは血がゴボリと溢れており、目はうっすらと半開きになっている。

静雄の背中に、戦慄が走った。

「ぃ、ざ…や…?」

肩を掴んで引き寄せると、ぬるりと血でその体が滑った。見た目以上に重く感じる。――ということは、本当に目の前の人間は動いていないと言うことで。
見ると、脇腹と太ももにどす黒い血の穴が空いていた。
――紛れも無く銃創。










 あ、 
 
  あ あ






  俺の せいか



 俺が
    もっとちゃんと


  しっかり


していれば
       ?






静雄の思考は堕ちていく。



――護ると決めた。

なのに、結局自分は自分のことだけしか考えていなかった。
だから――肝心なところで臨也は、自分を頼れなかった。


あの時臨也を受け入れなければ、臨也の気持ちを跳ね除けていれば、臨也は盾として自分を使っていたかも知れない。そうすれば、臨也の気持ちに答えられなくても、一生ずっとそのままの距離の関係でも。

臨也を護れた。




遠くの方から、救急車のサイレンの音が聞こえて来た。




  ・・・・・



臨也が搬送されたのは、来良総合病院だった。気付けば、臨也は集中治療室に移動されていて、その部屋の前の廊下で、矢霧波江と二人、椅子に腰掛けている状況があった。

何も喋ろうとしない静雄に気もみしたのか、波江が静寂を破った。

「…お疲れ様。」

その一言だけ、波江は静雄を労わるような言葉を投げかける。
静雄は無反応だ。

「…?」

訝しげに横の男の表情を窺おうとするも、俯いていて、照明も暗いために、よく見えなかった。――このとき、波江の胸の奥で何かチカリと感情が沸き起こった。その名前は解らない、解らないが、何故だか苛々していた。不機嫌そうに、つまらないものでも見るかのような目付きで、波江は立ち上がったあと静雄の頭を見下ろす。

「――しっかりしなさい。落ち込んだところで、何にもならないでしょう?」

しかし、尚も反応は無かった。
波江はひとつ、溜め息を吐いて――次の瞬間、思いっきり静雄の胸倉を掴んで壁に叩きつけた。僅かに息を飲む音がしたが、抵抗はなかった。壁に背中から叩きつけられたにも関わらず、静雄の身体には力が入っていないかのようにくったりと手が投げ出されている。
しかし、その前髪の隙間からは、鋭い眼光が見え隠れしていた。

「…何するんですか。」
「貴方が腑抜けているようだから、目を醒ましてあげようと思っただけよ。」
「――チッ」

静雄がこちらの手を叩く前に、波江は手を放した。
中途半端に止まった自分の手の動きに苛立ちを覚えたのか、静雄がこちらを睨みつけた。

「アンタは…何でそんな平気そうなんだよ。」

ピクリ、と波江の眉が動く。



「何でそんな…平然としていられるんだよ。そんなアンタに俺の気持ちが解んのか?」



「――ふざけんじゃないわよ!!」

その言葉を聞いた瞬間、頭の奥で、抑えていた何かが爆発した。
病院の廊下に、自分の声が反響した。
静雄が目の前で、驚いたように目を丸くしている。

「貴方、いつまでそこでウジウジしてるつもりなのよ!!同じところで立ち止まってたって結局何にもならないじゃない!!この状況を何とかしたいと思うのならさっさと動きなさい!!」








  ・・・・・




「――…、」

折原臨也は、目を覚ました。
見知らぬ天井、ここは一体どこだろう――と思い返したところで、気づく。

(…ああ、そうか。そうだった。ここは、病院か…)

夢じゃなさそうだ。指に挟まれた脈を測る機材の感触がリアルだ。

(てことは――…俺、生きてる、のか…)

実感が涌かないが、どうやら自分はしぶとく生き延びたらしい。身体はまだ動かす気になれない。微妙に撃たれた箇所が痛んでいる。

しばらくぼうっと何も考えずにいたところで、臨也の思考に唐突に“何か”が割り込んでくる。

(…シ、ズ…ちゃん……)

眼球を動かすも、辺りに人の気配はない。機械音だけが、ピッピッと正確に何かを刻んでいた。

――完全に意識を失っていたはずだった。
でも、


(何でかな…シズちゃんが、居た、気が…)


(あ…ダメ、だ、また、眠―――)



再び、臨也の意識は闇の底に沈んだ。








  ・・・・・

 数時間後
 池袋 廃工場内

「――馬鹿野郎!!銃は使うなと言っただろう!?」
「す、すいませんボス!アイツ、かなりの腕でして、普通には――」
「余計な手間をかけさせやがって…日本は銃の使用に敏感なんだ!恐らく日本警察は血眼になって犯人の搜索にあたるだろうよ――」

ギリギリと歯ぎしりをしながら、デニーノは脂汗をかいていた。
数時間前にオリハラを処分したと部下から報告を受けたデニーノは、そうは言ったものの内心では「ざまあみろ」と嘲笑っていた。しかし、あれだけ一時も離れなかったボディガードから離れ単独で行動していたことに、デニーノは僅かな違和感を覚える。…自分の考えでは、オリハラは自分の家族であっても盾にすることを厭わない、何があっても自分の命だけは優先するような男だったはず。

(……だが単独でわざわざこちらに近づいて来るとはな…。あいつも意外と抜けているところがあるようだ。)

クククッ、と苦しい笑みをうかべながら、デニーノは部下に話しかける。

「おい、船はまだなのか?」
「はい、今夜には出航の手はずが整います。」
「――ッチ…おっせぇな……」
「我々が国際指名手配される前から、その空気を嗅ぎつけた“ネズミ”が、いち早く情報を密航関連の業者にタレコミしていたようで手間取りました。」

いらついて悪態をついたデニーノに、一番近い部下が耳打ちをしてきた。
――と、そこで、デニーノはあることに気付く。

「…待て、もしかしてその“ネズミ”ってのは…」
「いいえ、オリハラではありません。」
「――なんだと?」

デニーノは眉を顰める。
では一体どこの誰がそれに気づいたと言うのだろうか?
もし仮に、他の“同業者”が、デニーノたちの危険に勘づいていたとしても、そこまで広い範囲で密航業者たちとの間にパイプを持つ情報屋など知れている。そして、デニーノの知る範囲では、――オリハラ以上の奴はいない。

(…まさか……まだ敵がいやがるってのか…?)

ぞ、わ、と。

背中から大量の冷や汗が吹き出る。

そして―――





 ドガァァアアアン!!


という爆音のような音と共に、廃工場内に突如として大きな振動が襲いかかる。デニーノは驚いて車内にも関わらず座席から転げ落ちた。

大きな工場内には粉塵が舞い上がり、部下たちの困惑した声が大反響する。

「――っな、何だ!?爆撃か!?」

そんなことは有り得ないのだが、デニーノの思考は完全にパニックに陥っていたため何がなにやら解らなくなっていた。周囲を取り囲むようにして部下たちが集まってくる。その体を捻って、腰を抜かしたまま車内から引きずり出た。

そして、舞い上がる粉塵が晴れてきたところで、暗かった工場内に光が差し込んでくる。

一体どんな軍隊が待ち構えているのかと、定まらない呼吸を重ねてその奥に目を凝らした。


しかし、そこには。





――たった一人の人間が立っていた。




「な、な…なっなななんだ!!!?オリハラの差し金か!!!??」

咄嗟に取り出した拳銃を構えて、デニーノは腰を抜かしてへたりこんだまま叫ぶ。


恐らく、デニーノたちは己の目を疑っただろう。何故なら、
その男は、巨大な工場の鉄の扉を――両手で軽々と持ち上げていたからである。

その姿は、デニーノたちには最早人間として映らなかった。

怯える人間たちを前に、その“化け物”は、ブチリブチリと布を引き裂くような笑みを浮かべて、こう言った。




「クズ野郎どもが…――ぶっ殺してやる」





彼らは、気付かなかった。
白人である彼らには、日本人の顔などどれも同じように見えるからだ。
それは、“彼”がいつもの“バーテン服”では無かったからだ。


だから――気づくことが出来なかったのだ。

それが、平和島静雄という、化け物だと言うことに。




20110625



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