"Can you touch me?"




「――そういえば、」

夕方。ガラス張りの事務所の中に淡いオレンジ色の色彩が映し出され、その赤く染まる空を立って眺めていた時だった。
後ろから凛とした声が響き、折原臨也はその秘書を振り返った。

「警察には何を話したの」

その質問に、臨也は苦笑して首を振る。

「全部さ」

秘書は不機嫌そうに目を細めた。それに再び口端を吊り上げ、言葉を紡ぐ。

「…不満かい?全部だよ、薬の出所から卸売業者に至るまでの情報"全部"。余す事なくね。」
「……それで警察は」
「…まあ、普通に考えて直ぐには動けないでしょ。外国のマフィア絡みだし。…とは言っても、今まで闇に包まれていた組織のトップが明らかになったんだ。ICPO(国際警察組織)が直に動くさ」
「……貴方一人の証言をまるまる信じたっていうの?」
「波江、俺は探偵だ。警察にも過去に何度か恩を売ってる」

そこで言葉を切ると、波江はこめかみを押さえながらこちらに近付く。コツコツと床で響くヒールの音が、まるで何かを責めているように感じる。

「貴方……自殺行為よ?正気?そんなの直ぐに貴方が裏切ったと相手に知れるわ」
強い眼差し。
その奥に密かに揺らめく不安と焦りを読み取って、臨也は一瞬呆ける。

しかし、それは直ぐに笑いへと変わった。

「―っく、ははは!波江、俺が死ぬのは本望なんじゃないのかい?」
「……っ」

珍しく狼狽え、何かを言いかけた波江の顎を掴んで引き寄せる。

「俺は君をいつでも好きな時に犯罪者に仕立てあげられるだけの証拠を握ってるんだよ?」

その瞬間、悔しそうに下唇を噛み締め――そうね、と呟いた。臨也は暫く目を閉じてそれを聴き、瞼を上げると共に波江を解放する。

「俺は――そう…いつだって何だって、"したいようにする"んだよ。探偵にしろ情報屋にしろ、その為に"そうなった"から続けているだけだ。」

波江はその台詞を苦々しく受け止める。

夕焼けをバックに語る美しい青年は、その顔に影を落として語り続ける。淡々と。

「――波江、この世にはさぁ、どうしようもない悪人"寄り"と、どうしようもない善人"寄り"の二種類が存在している…。果たして俺や君は、どちら側"寄り"の人間なんだろうね…?完全な悪人も善人も存在しない…なんて事は言わないが、世界中に散らばっている人間の大半はそのどちらも中途半端に含んだ人種、って事だ…。」

コツ、とヒールが鳴る。
その音で波江は自分が目の前の男から後退っているのだと気付く。それ程までに臨也はいつもと何ら変わり無くそこに立っていて、ただ、見えない圧力のようなものが働いているのだと感じた。

「俺は……そうだな。間違いなく悪人寄りだが、完全なる悪人じゃないって事さ。……分かるかい波江?」
「……自分にも良心がある、って言いたいのかしら」


苦虫を潰したような顔で、言い放つ。それを見て満足そうに微笑んだ彼は、近くの回転イスを引き寄せて座り、ゆったりと足を組んだ。

「……ま、たまには人間に恩を売っておいて損は無いと思うんだよ。その為に渡った橋だ……渡りきってみせるさ。」
「…だから平和島静雄が必要なのね」
「…………俺も死にたく無いからねぇ」

波江がその名前を出した途端、臨也の表情が曇る。

「……悪い事しちゃったなぁ、って…思うけどね、シズちゃんには」

僅かに瞳を揺らして、やがて目蓋を閉じる。片側から鮮やかな色に照らされて闇に溶け込むその姿は、まるで一つの絵画のように儚げで、美しい。

「波江……いつもありがとう」


目が合う。時が止まった、と感じた。
まさか――まさか、有り得ない。この男に限って、素直に、何の毒もなく『ありがとう』などと。

嫌な予感が急速に形をもって、すぐそこまで迫ってきていた。


「……急に人間らしいこと言うのね、驚いたわ」
「お褒め戴き光栄だよ」

そう言った彼の表情は、何処までも柔らかく――安らかだった。

  ・・・・・

 夜
 都内某所 高級ホテル

「……何だと!?国際指名手配…!?」
「はい、つい数時間前に…警察も我々の居場所を突き止めています」
「ッ……クソ!!」

最早一刻の猶予も無い。早くこの場所を離れなければ…!

デニーノはソファから立ち上がり、一瞬空になりそうだった頭を奮い起こした。
額に脂汗が伝う。

…あの男か…
……あいつしかいない…!
全てを知るあの日本人…

「オリハラ……」

恐れていた事態が起こってしまった。だから――だから早く殺しておけば良かったのだ!!何と愚かな真似を……自分は…ッ!

「――ボス、今は取り敢えずここを離れましょう。直ぐに来ます」

部下に連れられ、デニーノはそのホテルを後にした。頭の中はパニックで混沌としていたが、一人だけはっきりと思い浮かべる男があった。

――折原臨也

とんでもない男だ…。
顔と、隠すつもりの無いような名前をこちらにさらけ出しておいて裏切ると…誰が思うだろうか。みすみす殺せと言っている様なものだ!

「……フフ」

自嘲気味に乾いた笑いが漏れる。

――いいだろう。
――ならば望み通り殺してやる!

あの取引の後、あまりにも簡単にその日本人の名前と住所は割り出せた。
それからの動向は監視させているが、どうやらボディーガードを一人雇っていた様で、うかつには手を出せないでいる。
だが、話によればそのボディーガードもプロでは無いようで、身長はあるが細身の一般人らしい。

だが、あの男が雇う男だ、油断は禁物。それで手出しはさせないでおいたがこちらはプロだ。
…迷う余地はもう無かった。


「――……おいブルータス」
「何でしょうか、ボス」
「オリハラを殺れ、出来るだけ銃は使うな」
「――はい」

ブルータスと呼ばれたその男は、底の暗い瞳を湾曲させてそれに頷き、携帯電話で何か指示を出し始める。

――車内でデニーノは、不気味な薄笑いを浮かべていた。


  ・・・・・

翌日
池袋 オフィスビル10F

ピンポーン

インターホンの音に目が覚めて、静雄はゆっくりと身を起こした。時計を見ると、――まだ朝の4時32分。静雄は焦らずに、再び布団を被った。

ピンポーン
ピンポーン

「………何なんだよ…」

誰の仕業か分かっていたので出る必要も無いと無視していたが、しつこくインターホンが鳴らされ寝ようにも寝られない。
頭を掻きながら再度起き上がって、ベッドを降りてスリッパを履き、廊下を歩いて玄関へと向かう。

インターホンはいつの間にか止んでおり、そして静雄は確認する事なくドアを開いた。

「おはようシズちゃん!」
「………やっぱり」

予想通り、ドアを開くとそこには艶やかな黒髪の青年がにこやかに佇んでいた。静雄は溜め息を吐くと、ドアを支えて中に入るよう促す。

引越しが完了してから四日後となる今日。実はその間、毎日臨也がこうして早朝に部屋を訪ねてきていた。そして、特に何をするという訳でもなく、ただ一緒に朝食を摂って出勤するのである。

一見して意味の無いように思えるそれらの行動だが、静雄は別段嫌だとは思わなかった。合鍵を持っているのだろうから、勝手に上がればいいのに、とは思っていたが。

「今起きたみたいな顔だねぇ」

クスクスとからかうように笑う臨也に、ついむっとする。

「…てめーが来んのが早えんだよ」
「あはは!まあねー、っていうかさ、最近敬語抜けてきたよね?」
「……敬う気が薄れてきたしな」
「最初から敬語なんて使わなくて良かったんだよ?同い年なんだから」
「!?」
「…何、その顔」

『同い年』という単語に、廊下を歩いていた身体がびしりと固まった。その表情を見て臨也が訝しげな顔をする。

静雄は改めて目の前の青年の全体を見た。同い年、と言うことは23歳。いや、それにしても若く見える。23歳というのも十分若いが、それ以上に、折原臨也という男の端正な顔立ちと全体的に華奢で細いラインが、下手したら十代後半や、まだ二十歳かそこらを思わせるような雰囲気を醸し出していた。

「……綺麗だよな、お前」

つい口を突いて出た言葉に、はっと口を押さえる。

――ななな何言ってんだ俺は!!

顔が爆発したみたいに熱く火照った。臨也の顔を見る事が出来ずにそのまま無かったことにしようと歩みを進める。
――しかし、そんな淡い希望は無惨にも当人によって打ち砕かれてしまう。「――やだなぁシズちゃん、口説いてるの?」

揶揄するような口調に、振り向かざるともその表情は容易に想像がつく。

「っそ、そんなんじゃねえ!」
「じゃあ何かな?俺の身体に対する率直な感想だと受け取っても良いのかな?」
「か、から…だ……って、違ぇよ!!勘違いすんな!!」
「おやおや……朝から元気だねぇシズちゃんは。」

――ああまたこれだ、この……手の平の上で転がされてる感じ。

折原臨也の癖…というか習性というか、静雄はいつもこうして弄られて遊ばれてしまう。真面目に反応を返すのが更に相手の嗜虐心を擽っているのだが、当の本人はそれに全く気が付いていない。

しかし、今朝……最近の静雄にとって、臨也とのこのようなやり取りは寧ろ、彼に安心感を与えるものだった。
臨也の、ふとした時に見せる陰った表情。それに悪い胸騒ぎがして止まないここ最近の状況からすれば、このような他愛もないやり取りというのは、どうしようもない"日常"というものを静雄に感じさせた。

それに――

臨也とのこういうやり取りを、最近楽しいと感じるようになっていた。キレる回数も格段に減り、力の使い方も大分上手くなったと思う。

……臨也に雇われて約2ヶ月間のうちに、ここまで平和島静雄は穏やかに成長したのだ。

あれだけ荒んでいた日々が、まるで嘘のようだった。


――居場所を見つけた。


「あ、シズちゃん。羽島幽平が出てるよ」

ちゃっかりソファに座ってテレビをつけた彼が、そう言いながら手招きをしてくる。

――臨也も、自分と似たような人間だと最近思い始めている。彼も、常人とは一線を画した所に腰を据え、一人で生きている人間だ。

静雄は、その常人ならざる怪力故に人と普通に接する事が出来ずに、限られた付き合いしか持たない人間である。

それで良いと思っていた。
――臨也と出逢うまでは。


彼には本当に感謝している。
願わくば――これからも、この関係を続けていきたい……と。
この関係を壊したくない、と。


――もう二度と、自分の力で人との大切な繋がりを、絶ってしまいたくない。

それは、悲痛な程の願いだった。



「――シズちゃんって、羽島幽平が出てるといっつもチェックしてるよね?」
「ああ」
「結構好きなんだね。男なのに、あ…ホm」
「違ぇよ!……あいつ、俺の弟だからな」
「ええ!?」
「……わざとらしいんだよ。履歴書見て知ってんだろ」
「知らない知らない!」
「嘘だろ?」
「嘘だよ?」
「……はぁ」





2010/12/25





ほのぼの……ああっ!
ほのぼのが好きすぎてついつい間延びした…!!

次回からええと、色々急展開(予定)!!


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