My sweetest honey. 時は、5月に遡る。 高校三年生になった臨也たちにとっては、いよいよ高校生活最後となる文化祭が近づいていた。気合の入れようは様々だったが、大半の生徒たちは、恐らく最後になるであろう羽目を外せる行事にこれまでになく意気込んでいた。 白熱する会議、もみくちゃになる教室内の意見、交錯する女子生徒側と男子生徒側の主張――しかし、そんな中。 異質とも言える空気と存在感を放っていたのが、いつもの三人と言うわけである。 折原臨也に言わせれば、 「興味は大いにあるよ!人間観察の絶好の機会だしね。だから俺が直接関わるなんて事はあまりしたくないんだよねー。あくまで俺は観察者だから。」 だろうし、 岸谷新羅に言わせれば、 「そりゃあ学校に来てここの生徒である限り、“生徒らしい”ことはきちんとするよ?だってセルティが…。やる気は出ないけどね、だってセルティが…」 だろうし、 平和島静雄に至っては、 「…俺、文化祭まともに出たことねえな。いつも教室で寝てっから…」 である。 しかし、三人が三人とも周りから敬遠されている種類の人間であったので、誰かが文句を言いに来たりといったことは一切無かった。そんなわけで、彼らは三人が三人ともそれぞれのクラスの話し合いに参加することも無く、ただ文化祭の準備だけが始まっていたのだった…。 流石の静雄も、放課後の準備を手伝わない訳にはいかなかった。持ち前の力でさまざまな材料を運んだり、高いところにあるものを取ったり、支えたり……役に立っているのか立っていないのかいまいち良く解らないところで、それでも出来るだけ一生懸命頑張っていた。 ――時々、荷物の運搬をしていると、廊下で臨也とすれ違う。 「や。」 軽く、臨也が手を上げて笑う。 しかし、静雄がそれに応えることは無い。 表面上ではあくまで“仲が悪い二人”を演じなければならなかったからだ。 そうしなければならない、という絶対の決まりなんて、ない。 静雄は視線をやや下に向けて、臨也の横を心持ちサッと通り過ぎた。 後ろで臨也がこっちを見ている気がしたけれど、振り返らなかった。 ・・・・・ 文化祭前日の放課後。 静雄たちB組の出し物では空いていた会議室を使う。いよいよ最後の仕上げを終えようとしているところだった。会議室内はカフェのような外観にすっかり変わっており、ぞろぞろと、別教室で着替えたのであろう様々な衣装に身を包んだ店員役のクラスメイトたちが、和気藹々と入ってきている。 静雄も暫くそれに気を取られていたが、そこで一つ、気が付いた。 (…俺って当日、何すりゃいいんだ?) 皆それぞれ、受付やウェイター、調理係といった様々な役に別れている…筈だ。 しかし、文化祭の出し物の話し合いですら何も聞いていなかった静雄は、それでもすっかり空気に巻かれて今日まで来てしまったという感じである。 まあ、いっか。と、特にそれ以上は考えずにいようとした静雄に、「へっ、平和島君!!」と、上擦った声が掛かった。 「……え?」 自分が呼ばれるとは思ってもいなかったので、ワンテンポ遅れて、壁に凭れたままの体で反応する。声のした方を見れば、何人かの――確か裁縫係だった女子生徒たちが緊張気味にこちらを見つめている。…それが怯えているようにも見えて、静雄はウンザリして顔を一瞬逸らしたが――室内が静寂に包まれ、クラス中の注目を浴びている事に何となく気付き、もう一度そちらの方を見る。 「何…」 「じっ、実は、平和島君に当日是非着てもらいたい衣装があって!」 そう言えば、彼女たちは後ろ手に何か隠しているように見える。 静雄は一瞬その意味を掴みかねた――が、突如として急速に嫌な予感が襲いかかってきた。 …とてつもなく、嫌な予感である。 そして、 「これ……なんだけど…サイズが合うかどうか確かめたいから、試着してくれませんか…?」 差し出された衣装。 ―――それは、ピンクのドレスだった。 ……、 …………、 ……………………。 「…………ぇ、着る、て…誰が?」 目を疑う、そんな次元は軽く通り越していた。 「平和島君に、ちゃんとサイズを合わせて作ったから!」 「きっと似合うよ!」 「似合う似合う!!」 ゴーンと大きな槌で打ち鳴らされたように頭が回って、視界が真っ白になった。 ――かくして、来神高校の文化祭は幕を開けるのであった…。 ・・・・・ (ふんふんふーん♪) 文化祭当日、折原臨也はいつになく上機嫌だった。 廊下をスキップで駆けるほどには上機嫌である。――何故なら、 (まさか…こーんな楽しいものが見られるなんて!) (シズちゃんの――ドレス姿!!) 本来ならば、静雄がドレス姿で文化祭に出ることはB組以外の誰にも秘密で、ビックリ企画だったらしい。 しかし、その企画を暗に提案したのも、静雄の体の様々なサイズを提供したのも臨也本人であり――自由時間が始まった瞬間に、臨也は自分の教室を飛び出て真っ先に隣の校舎へ向かっていた。静雄のクラスの出し物は臨也の教室の隣の校舎であるため、少しだけ距離がある。それさえももどかしく、臨也は自分にかかる声を全て無視してB組のコスプレ喫茶へ飛び込んだ。 「いらっしゃいませ!」 やけに元気の良い女子生徒の声が掛かる。それに満面の笑みで応えながら、既にチラホラと客の居る会議室内を見回す。しかし――静雄らしき人影は何処にも見えない。 「あのさ、」 最初に迎えに出た女子生徒にだけ聴こえるよう、耳打ちをする。 「シズちゃんは?」 すると、その女子生徒は全てを分かったように「ああ、」と頷くと、臨也にこっそり 「まだB組の教室。」 と教えてくれた。 ありがとう、と臨也は暗に会釈して、あくまで自然な所作に見えるよう心掛けつつ、しかし全速力でB組へとダッシュする。 あっという間に着いたB組の教室は、廊下側のカーテンは締め切られていて、中は見えない。 教室の前、 臨也は一つ、ケホンと咳払いをする。 そして、「入るよ」と言いながら一気に教室のドアを開けた。 目に入ったのは、淡いピンク色のドレス。 次に、白いアームカバー。 そして、ティアラ。 ――中に立っていたのは、たったひとりだった。 「あ、あ…あ…」 彼は、口をわなわなと震わせながら―――隅に寄せられていた教卓を片手で持ち上げた。 「なんななななんななんでッ!?」 「し、ずちゃ…」 臨也は、言葉が出なかった。 まさか――まさかこんなに… 「似合わない…なんて…」 思わずそう口に出してしまった刹那、顔の横スレスレを教卓が通過した。 ハッとそこで意識が正常に戻ると、今にも静雄がこちらに殴りかかろうとしているではないか。臨也は慌てて教室の反対側へと走り抜ける。 「待てこの――っ!?」 それを追いかけようとした静雄は、しかし勢い余って慣れないドレスの裾を踏んづけてしまい、派手に顔面から教室の床に“めりこんだ”。 流石の臨也もそれには驚いて、焦って静雄のそばに駆け寄る。 「だ、っ大丈夫?」 「――ぇよ…」 「えっ?」 よろ…と床に半分くらいめり込んでいた顔を浮かせながら、静雄が何かを言ったようだ。 思わず聞き返すと、静雄はそのまま何も言わずに上半身だけ起こして、床に座り込む。 表情は前髪に隠れて窺えないが、パニエのたっぷり効いたドレスのスカートを掴む手は、かすかに震えていた。 「シズちゃ…」 「――笑えよ!!」 「え」 顔を上げ、こちらに向かってそう言い放った静雄の目には涙が溜まっていた。 それを見て、臨也は目を疑った。 「シズちゃん?」 「笑えばいいだろ!何でだよ!何でどいつもこいつもこれを着せようとすんだよ!」 「シズちゃ、落ち着いて…」 「落ち着いてられるか馬鹿!この野郎…またくだらねえ事してくれやがって!!」 真っ赤になりながらそう言う静雄の語気には、相当の怒りが感じられた。 臨也は気圧されそうになりながらも、静雄に近づいていく。 きっと、誰も傷付けまいと怒りを溜めに溜め込んで、我慢したのだろう。 ドレスを作り上げた女子生徒たちの目の前で、ドレスを破ることなんて出来なかったのだ。彼一人で着付けが出来る筈は無い。きっと、何人かのクラスメイトが無理矢理彼に着せた筈である。 そんな事を考えると、臨也は自分のしたことを反省することは無いが、少しだけ後悔してしまう。 「……ごめん、セーラー服の方がよかっ」 「そういうことじゃねえだろうがあああああああっ!!」 そしてまた教卓が宙を飛び、今度こそ教室の後ろの壁に刺さった。 ああもう…と、静雄は目を擦りながら、すん、と鼻を啜っている。 わざととぼけたのが効いたのか、大分落ち着いたらしい。 頃合を見計らって、同じく静雄の隣で座り込んでいた臨也は口を開く。 「…ホントはね、凄く似合ってる。」 「……嬉しくねえよ。」 「ははっ、だろうね!」 「………んで、こんな…」 片膝を立て、そこに肘を付いて頭を抱える静雄の仕草は、仮に彼が女だとするならば、ガサツそのものだった。――そう、ドレスを着ている静雄の、見た目それ自体は本当に悪くはない。静雄は長身だが元々細身だし、顔も整っている。しかし、彼本来のこうした男らしい、滲み出る逞しいオーラが、ドレスとの相性をことごとく悪くしているのだった。 (惜しいなあ…可愛いのに。) ぽて、と、静雄の肩に頭をあずける。 「…おい、」 「ね…出なくていいよ、カフェなんて。」 そっぽを向いてそう言うと、 「…そんなの…アイツらに悪いだろ。」 と返ってくる。 臨也は頭を起こし――そして静雄の肩を掴んで床に押し付けた。 かなり強い力で引き倒したため、静雄は吃驚したような顔でこちらを見上げている。 「あ?」 「――…行かないで。」 自分でも笑えるくらい、真面目な声色だった。 どうやら、自分は本気らしい。――本気で、他の奴らに静雄のこの姿を見せたくないと思っている。 「でも…」 「シズちゃん嫌がってたでしょ」 「……そう、だけど」 「大丈夫だよ…俺がシズちゃんにこの格好をして欲しかっただけなんだから。だから別に誰に見てもらう必要も無い。俺の、俺だけの、今日限定のシズちゃんだ。」 ここまで言うと言い過ぎか?と不安になったけれど、どれも嘘じゃないので良しとした。 自己中だと言われればそれまでだが、臨也はそれで良いと思っていた。 人間たちは全て漏れなく等しい愛の対象に入るけれど、静雄だけは特別。 だから――そんな臨也もやはり人間であったから、特別な人に関することならなんだって利用するのだ。 (狡いね。人間って、どこまでも狡くなれる。) 「好き…だよ」 まだ何処か、ぎこちない愛の言葉。 白いレース越しに絡めた指は、弱々しくこちらの手の甲を握り返す。 「…こうしてると、女の子みたいだね、シズちゃん。」 ――そうして、高校生活最後の文化祭は幕を閉じた。 20111112 久しぶりの更新でした^^ ゆっくりですが、時々こうして更新しに来ます。 当サイトにお越し下さり、有難うございます。 来神の臨静の、プラトニックな感じが好きです。 日常編は来神時代の締めくくりですので、丁寧に書きたいなあと思いつつ、文才が付いて来ない今日このごろ。 テルル |