満開の桜の木の下で




俺が初めて平和島静雄を見たのは、高校の入学式の時だった。

エスカレーター式に、来神中学校、来神高校と進んだ俺は、特にこれといって何の感慨も無く高校生活というものを迎えていた。中学校よりも更に自由度が増したと言う点に於いては、些か浮わついていたのかも知れないが。

…まぁ、だからつまり、俺が式の後その桜の木の下に行ったのは本当に気まぐれで、普段なら目もくれないのだけれど、何故か行ってみたくなったんだ。
思えば、それはまるで運命みたいなものだったのかも知れない。

分からないが。


『……?』

門の裏に、堂々と咲き誇る満開の桜の下。そこに、金髪の男がひとり立っていた。周りには沢山の保護者や新一年生や在校生やらが蠢いていた筈なのに、何故かその男だけがそこにぽつんと浮き上がって見えた。

そして何故か、世界にはその人と俺しか居なくなったような――そんな錯覚が俺を襲った。

暫く立ち止まって見ていると、彼が振り返った。

『…っ』

心臓を掴まれたような感覚。
初めての感覚だった。
時が止まって――そう、その時の俺の状態を形容するならば、間違いなく誰かに“一目惚れ”をしたような状態だった。

恋慕だという気は無かったけれど、何となく、惹かれていた。

『一年生か…?』
『っ!』

それがまさか話し掛けてくるとは思っていなかった俺は、一瞬驚いた。教師だったのか……。しかし、そうは見えない風貌をしている。金髪に眼鏡。そして、整った顔立ちの男だった。

『―……あ、はい』

何も出てこず、取り敢えずいらへると、相手は軽く『そうか』と微笑んだ。その時、また俺の中を奇妙な感覚が渦巻いた。

『…ま、高校生活は楽しむのが一番だからよ…。精一杯頑張れよ。』
『…はい』

名札には「平和島」とあった。
会話よりも、相手の人物を測る事を優先する癖がある俺は、その時も例に漏れずまじまじと観察を始めていた。
――かなり身長あるな…180後半はありそうだ……

何処までも何処までも穏やかな態度で、見た目とは裏腹に温厚なのかもしれないと推測した時だった。


『………校内で―――未成年がタバコ吸ってんじゃねぇぇぇえええぇぇええええええ!!!』

という先程からは想像もつかない様な怒号と共に――

メキメキメキメキ

と、目の前にあった桜の木が
結構な大木が

――いきなりその金髪の教師の手によって引っこ抜かれ、あろうことか

投げ飛ばされた。


『ぐぎゃぁあぁぁあああっ!!』

俺は一瞬目の前の光景を信じられず呆然としていた。桜が投げ飛ばされた方向は人の少ない校舎の裏辺りで、――どう見積もってもここから50メートル以上は離れているその場所に――溜まっていた不良たちが、突然飛び込んできた桜におののいて逃げ出した。

『………。』

悲鳴を上げた、周囲に居た新入生や保護者たちは、目を疑うようなその光景に固まり、恐らく関わらない方が良いと判断したのか、無言でそそくさと帰り始めた。

だけど俺だけは違った。

『――…滅茶苦茶力持ちですね、平和島先生』

何故ならその教師は――何処か寂しい表情をしていたからだ。それは自分の行いを後悔している様にも、

自分自身を嫌っている人間が見せる特殊な表情のようにも見えた。

俺の言葉は耳に入らなかったのか、先生は、そのまま無言で自分が投げ飛ばした桜の方へ向かい、またそれを持ち上げて元生えていた場所に戻そうとしているようだった。


――ヤバイ…な

その頃から裏で色々やってた俺は、そんな怪物教師の存在に早くも脅威を感じていた。


  ・・・・・


学校生活が始まると、予想通り退屈な毎日が始まった。様々な人間を見られる、という点に於いては退屈どころか、寧ろ楽しませて貰ったけれど。

どうやら、あの平和島という教師は今年から来神に赴任してきたらしい。そして、その影響で来神高校――はたまた周辺一体の高校の不良たちの動きがめっきり落ち着いてしまった。

――俺はそんな状況が気に入らなくて、そろそろ邪魔臭いなと思い始めていた。

平和島静雄は、国語教師だった。


『…あ?折原は今日も休みなのか?』
『いや、学校には来てましたけど…』
『そうか、サボりか。』


俺はそいつの授業だけとことんボイコットした。学校では、俺はどうやら真面目な生徒という印象があったらしいから、直ぐに噂になった。

――六月になって、俺はとうとう担任に呼び出された。


『折原、お前国語だけ授業出てないよな。』
『はい』
『……このままじゃ日数足りなくなるぞ』
『はい、知ってます』

そして、担任は何を恐れているのか、口元に手を翳して急に声のトーンを落とした。

『―……どうしてだ?』

俺は考えるフリをして、そして気まずそうにこう言った。

『…平和島先生が嫌いなんです』


その時、丁度自分の横を平和島先生が通った。担任は、気まずそうに視線を逸らして、『そうか』とだけ言った。



……平和島静雄という教師は、他の教師からは恐れられている様だった。女子生徒からの支持は割りと高かったのだが、本人はさして気に留めていないらしく、昼休みにはいつも屋上のベンチに一人で腰掛け、空をぼんやりと見上げていた。

そんなあいつを、俺はいつも屋上の貯水タンクの横から見ていた。

――そしてそれに、どうやら前々から気付いていた様子の平和島静雄は、ある日突然こちらに話し掛けてきた。

『―…お前、俺の授業だけ来てねーんだってな』

こちらには背中しか見えていない。夏だったから、白いシャツの背中が見えているだけだ。それが俺に向かっての言葉だと認識するのに数秒かかって――『はい』と返した。

ややあって、先生が振り返った。

『……別に理由なんざどうでも良いけどよ。進級、危ねえぞ?』
『はい、知ってます。』
『知ってますって……』

困ったような顔をして、頭を掻く先生。俺は作り笑いをする。

『いやこのまま行くと…補習だぞ?』
『はい』
『…良いから授業出とけ』
『それは嫌です』
『あ?』

ぴしゃりと言い放つと、先生が固まってこちらを見た。俺には――先生の考えている事が手にとるように解っていた。


『―……俺が何をしていようと、先生には関係無いじゃありませんか?』

国語は毎日一時間ずつある。
そして珍しいことに、その全てが6限目か7限目となっている。

――俺は授業をサボって、実は裏で賭博を行っていた。
そして、それにこの平和島という教師は薄々感付いていたらしい。

『……いや、あるな』
『へえ、教師だからですか?道を踏み外した生徒を更正するっていう義務感ですか?』

はははっ

俺は軽く笑った。
――瞬間、


  ――ぶぉん



重く空を斬る音が耳元を掠めたかと思うと、真横の貯水タンクに、ベンチが突き刺さっていた。物凄い炸裂音が響き渡り、俺は背中に嫌なものを感じてその場から飛び降りた。

ベンチが突き刺さった亀裂から、綺麗なような濁ったような雨水が吹きしだいた。

『―……あっぶな。…先生、訴えますよ?』
『るせぇ性悪……教師が生徒を更正しようとして何が悪い、』

ごきりごきりと首を左右に捻って鳴らしながら近づいてくるそいつを、最早俺は人間だと思ってはいなかった。

『…やだなぁ先生……俺は馬鹿にはしましたけど、否定はしていませんよ?寧ろ逆に、感心してるんです』
『あん?』
『…見た目によらず今時珍しいお人好しですよね、平和島先生は。』

ぴくり。
先生の眉が上がる。

『見て見ぬ振り……とか、出来なさそうだ』

声に「邪魔をするな」という気持ちを暗に含ませて、俺は先生の目の前に立つ。

『折原…』
『ま、確かに先生の仰る事は全部筋が通ってますけどね…俺も流石に留年はしたくな

――あ、そうだ…! 』




――
後々、俺はこの時の自分の思い付きを後悔する事になる。今思い出しても癪だが、当時の俺は、これをとても良い案だと思い込んでいたらしい。



『先生がそこまで俺を思って下さるなら………俺の言う事を何でも聞いていただけますか?』
『……どういう…意味だ…?』

俺は、これから自分が言おうとしている言葉にほくそ笑んだ。



『俺が先生の授業をきちんと聞く代わりに、俺の言う事を何でも聞いてくれませんか?……ってことですよ、平和島先生。』

―――
……本当、反吐が出るよね。
まぁ、当時の俺はまだまだ青かったって事かな。あのシズちゃんが、大人しく俺の手駒に収まってくれる訳が無いのにさ。

沈黙が下りた。
タンクのシャワーが、俺と先生に降りかかっている。
どうやら、俺の言葉の意味を理解したらしい先生は、酷く戸惑っていた。――教師としての責任感と、人間としての良心とで、先生は迷っているらしい。

俺は、それを何処か遠くの方で眺めている気持ちだった。

初めて平和島静雄を見たとき、……あの、満開の桜の木の下での邂逅を、目の前の教師は殆ど記憶していないようだった。



あの時、俺は平和島静雄という教師の中に流れる温かさと、僅かな闇を見た。

そして、俺はたったそれだけで、平和島静雄の全てを解ったつもりでいた。




『――…っ…わかった…』


―――
でもさぁ…
――それに頷いたシズちゃんもシズちゃんだよねぇ…?



それからだ。
俺とシズちゃんの“関係”が始まったのは。

こんなにも――こんなにも不毛な、無味乾燥な始まり方だった。


……そうだな
今の俺には思い出せないんだ。初めてシズちゃんを見たとき、何を感じて、奴に対してどんな想いを抱いていたのか――。



最近、シズちゃんがよく訊いてくる事の一つに、「何で俺なんだ」っていうのがある。

今まで話した通り、それはたまたま国語が俺の“用事”と時間が被っていたからで、シズちゃんを奴隷同然にしたのも、下手に俺がやってる事を口外して貰わないようにする為であって、決してシズちゃんを“選んだ”訳ではないんだよね…。


でも

最近、シズちゃんに対する俺の執着が酷くなっているのは確かだ。…流石に一年続いたからかな…。俺にしては珍しく解らないんだ。

ほーんと…つくづく不快だよ…






20110227






以上シズちゃんと臨也の出会い話でした。臨也目線でしたので、次は静雄目線かなぁ…。

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