Don't leave me,please. 「――兄さん、」 ぺちぺちと、軽く頬を叩かれて目が覚めた。うっすらと瞼を開けると、目の前に端正な顔が迫っていて一気に意識が覚醒する。 「――かす…か…?」 名前を呼ぶと、無表情の幽が僅かに頷いた。――頷いて、こちらの額に冷たくひんやりとした手を当ててくる。 ――気持ちいい…な… 寝起きでぼんやりとした思考から、抜け出せない。先程までは学校の保健室で寝ていたが、そのあと自力で家に帰ったと記憶している。つまり、今自分がいるのは家で、自分のベッドの中…と言うことだ。 暫くこのたゆたうような心地に身を委ねていようと、再び目を閉じようとした。 その時、 「――…起きたの、シズちゃん?」 どくり 心臓が跳ねる。 ベッドに横になったまま、頭だけを声のした方へ向ければ、そこには見慣れた黒装束の男が立っていた。 「……臨也さん」 「…臨、也…?」 幽が僅かな反応を見せると同時に、自分の口からも、頼りない声が掠れ出た。 臨也は、見慣れたあの短く切った学ランに赤いシャツという出で立ちで、そこに佇んでいる。幽は初めから臨也の存在には気付いていた――と言うか、幽が家に入れたのかもしれない――らしく、あまり驚いた様子はない。 拳を、布団の中で握り締める。 ――そうしなければ腹の中に煮え繰り返った様々な想いが、表面に飛び出てきそうだった。 「…なんで、手前が…」 「……」 「………何で…」 パタン、と部屋の扉が閉まる音と共に幽の姿が消えた。急に心細くなって視線を泳がせると、ベッドで自分の足の辺りに、臨也が腰掛けた気配がしてそちらを向く。 「……お前がどうしてここに…」 初めに思った疑問を声にすると、臨也が頭を掻きながらこちらを見て言った。 「……心配だったから、だよ」 ――だからその心配ってなんだよ。 「…うぜぇ」 ぷい、と顔を背ける。 「…最近寝不足だったんだよ」 「……シズちゃんが夜も眠れなくなるような要因が思い付かないんだけど?」 にやりにやにや。 うざすぎるにやけ顔をこちらに向けて、臨也がベッドに体重を懸けながら手を突く。 寝不足になった原因が目の前にいるだなんて言えるはず無えだろうが、なんて臨也は知る由もない文句を心の中で呟きながら、しかしどうして臨也は自分の家をわざわざ訪ねてきたのだろうと、その顔を再び垣間見た。 「……あ」 そして、思い出した。 保健室での臨也と新羅とのやり取りを。 ――俺はシズちゃんが好きだ 「――ん?」 「っ何でもねぇよ!」 視線を感じたらしい臨也が目をぱちくりさせてこちらを向く。何だか居たたまれなくなって、布団を被った。 ……もしかしたらあれは全部夢かも知れないのに、そんなことを思い出して物思いに耽ってみたりするなんて…まるで変態じゃないか。 ――そもそも俺とコイツは男同士… そこまで考えた所で、ベッドの隅から圧力が消えた。どうやら臨也が立ち上がったらしい。 その瞬間、そっと布団をはぐられて、身体が強張った。 「……っ、なんっ?!」 「まだ熱あるのかな、顔が赤いねシズちゃん。」 「な、な…!」 ぴとり、と。 臨也の手が、額に触れた。 その仕草は優しくて、まるで壊れ物でも扱うかのような手付きで。でも不思議と、はね除ける気は起こらなかった。 そういえば、まだ頭は鈍く痛むし、意識もぼうっとしている。そのまま臨也にされるがままになるのは癪に触るけれど、何だか心地が良くて、そのまま眠ってしまいそうになる。 「……眠いの?シズちゃん…」 臨也の冷たい手が、頬を掠めた。だんだん眠気がすぐそこまで近付いてきて、よく考えずにこくりと頷く。「そっか」と返事があって、大分自分の体温で温かくなった臨也の手が顎を伝って首まで下りてきた。 ――……ん…? 何かがおかしい。 妙な違和感に、若干冷静さを取り戻す。 「…な、に……?…」 ぴとり。 鎖骨に触れたまま止まる臨也の手。 ――何だ…?コイツ…さっきから…… 「…意外と華奢なんだね、シズちゃんって」 不思議に思っていると、ふいにそう言われて、「そうか?」と反射的に聞き返した。「そうだよ」と臨也が頷きながら鎖骨をずっとなぞっている。 何となく変な気分になって僅かに身を捩ると、その手はあっさりと触るのを止めた。 微妙な沈黙が落ちる。 「………」 「……?」 「……シズちゃん、――」 ・・・・・ 目の前で静雄が倒れた時、臨也は一瞬何が起こったのか理解出来なかった。脊髄反射みたいに身体が突き動かされて、無意識に駆け寄ってはいたけれど、その状況を整理するのにはかなりの時間がかかった。 ―――さっきまで普通に話してたのに…? 「―…シズちゃんっ!」 初めて自分で自分の焦った声というものを聞いた。頭を抱き上げて、苦しそうに上下する胸を見ながらその額に手を当てる。 かなり熱があるようだった。 やはり常人ではない静雄は、自分の体調の不調に鈍感らしい。いきなり倒れてしまうなど、かなり我慢をしていたとしか思えなかった。 死力を振り絞って連れていった保健室には、誰も居なかった。滅多に無いことではあるが、養護教諭が今日は出張らしい。 カーテンを何とかして開け、背中でゼイゼイと苦しい息を続ける静雄をベッドに落とした。――そのとき、勢い余ってベッドに手を突いてしまう。 「――ぁ……ッ…!」 ドクン 白いシーツの上。 静雄の上に覆い被さるかたちで臨也は倒れ込んでいた。 自分が触れたくても触れられない人間。どうにかしてその目に、その心の中に自分の存在を映して欲しくて堪らなかった唯一の人間。 それが今―――自分の目の前で、熱に浮かされて眠っている。 「――……どうして、」 俺をわざわざ訪ねに来てくれたの?どうして――本当に俺に彼女がいるかどうか、気になっていたの? ……ねぇ、シズちゃん… 「――俺、期待してもいい…?」 気が付けば、前髪を掻き上げて、その額に口付けていた。 ――― 「……いや、何でもない」 臨也はぴょん、とベッドから飛び降り、きょとんとした顔の静雄を残して部屋を出ていこうとドアに手を掛ける。 ――告白なんて、……ありきたりのこのタイミングで告白なんてしてやるもんか。 何に悔しさを感じたのか……自分でも良く解らないが、少しだけ自棄になっていた。 「…え、あっ、おい…!」 ――パタン 静雄の制止を無視して、ドアを後ろ手に閉めた。廊下には、お粥らしきものを入れた器を持った幽が立っていた。 「……用は済みましたか?」 「ああ」 すれ違うほんの一瞬だけ目が伏せられて、軽く会釈をされたのだと気付く。思わず振り返ると、もう彼はドアを開けて中に入ろうとしていた。 ふ、と苦笑を零しながら、臨也はそのまま玄関の方へと向かった。 ―――シズちゃんってさ、本人に自覚が無いだけで、意外と愛されてるんだよねぇ… 「―……弟君には勝てそうもないなあ」 心中とは裏腹に、鼻歌でも歌い出しそうな軽い雰囲気を纏って、臨也は静雄のマンションを後にした。 ・・・・・ 「…兄さん、入るよ」 「あ、おう。」 ガチャ、とドアを開いてお盆を片手に持ち、部屋に幽が入る。静雄は先程の臨也とのやりとりを反芻しながら、もやもやとした感情を抱えてそれを迎え入れる。 「お粥。母さんが作ってくれたから持ってきた。」 「え…あ、もうそんな時間なのか?」 無表情の幽が、こくりと頷き、「7時だよ」と時計を指差しながら言った。 ――7時か…。 しかし依然として食欲は無い。ありがとよ、と笑みを返すも、お粥には結局手を付ける気にはなれなかった。 机にお粥を置いてそのまま出ていくかと思って幽を見ていると、しかし勉強机の椅子に座って、そのまま落ち着いてしまった。 「幽?」 「……臨也さんの事なんだけど、」 「……」 ビシリ、と額に血管が浮かぶ。――改めて名前を聞くと、やはり苛々するものだ。次の言葉を待っていると、幽が一呼吸おいてこう言った。 「結構心配してたみたいだよ、兄さんの事」 感情が抜け落ちている弟。 その代わりに、他人の感情の機微を読み取ることに長けている弟。 ――その弟が、 「……多分、兄さんが思っているほど臨也さんは兄さんの事、嫌いじゃないと思う」 「……………」 幽の言っている意味が、解らない。だから――だから何だって言うのだ。自分は臨也を嫌いで、臨也も自分を嫌いで、それで自分たちの関係は成り立っていたと言うのに。 これ以上、 これ以上――― 俺が臨也を嫌いだっていう気持ちを、揺るがさないでくれ。 「ははっ、んな訳ねーだろ幽。んなのもうノミ蟲野郎じゃねーよ」 軽く笑って受け流すと、幽は無表情のまま立ち上がって、部屋をあとにした。 静雄は布団を頭まで被った。 ―― 一体、何が起きている? 熱がまた上がってきたらしく、頭がガンガンと痛んできた。ぐるぐるとお腹の下が気持ち悪くなって、吐き気がする。 ――臨也… 手前、今度は一体何を 企んでやがる…? 気付けば、いつもその掌の上で他人を転がして。 だから ――だから また、自分は何かに騙されているのだと、思った。 そう、 思いたかった。 20110219 あああああああ!! ここを越えれば、らぶらぶバカップル編……に、突、入…(?) 過去編には過去編なりのラブラブのしかたを模索します。 皆様、ありがとうございます。もう少しですので、もう暫くお付き合い願います |