多分、幸せ。




ふと空を見上げると、雲ひとつ無い抜けるような蒼天がそこにあった。

思わず感嘆の息を漏らすと、手を握られる力が強くなる。


隣に居る愛しい人とその感動を共有出来る幸せ。

今日を共に歩んでいるという幸せ。

「さあ、行こう」

冬の透明に澄んだ空気が、太陽の光をいっぱいに透き通らせて、いつもより、自分の手を引く彼が眩しく見えた。


―――俺はいま


  幸せだ―――



  ・・・・・

とある山陰に、穴場とも言える温泉旅館があった。知る人ぞ知る、といった場所で、周りを緑――今は雪に囲まれた幻想的な山の景色が見える露天風呂に、疲労回復の効能があるのは勿論、不老不死の秘湯だという伝説まで残っているのだという。

これらは全て、臨也から聞いたことだった。

「あ、シズちゃん、露天風呂一緒に入りに行かない?」
「……そうだな」

今日、二人は一緒に小旅行に出ていた。一泊二日の短い旅の予定だが、それでも仕事に忙しい臨也のスケジュールを圧迫することとなる。臨也からこの旅行を持ち掛けられたとき静雄は勿論断ったのだが、何しろ臨也がその時既に旅館に宿泊予約を入れてしまっていたので、強制的に来なければならなくなってしまった。

しかし、静雄は内心嬉しかった。

二人で旅行など初めての経験だったし、それに、温泉は好きだったから。

旅館には先程着いたばかりだったが、暗くなる前に景色を楽しみたかったので直ぐに風呂へ入ることにする。
差ほど荷物の入っていない鞄を探り下着を取り出して、旅館の浴衣を持って臨也と廊下へ出る。

「外にさ、凄く綺麗な景色が見えるところがあるらしいんだ」
「へえ」
「行ってみる?」
「ああ」

自然な笑みが浮かぶ。
ああ……浮かれているな、と自分でも思うけれど、たまにはこういうのも、アリなんじゃないかなあと思う。

臨也が行こうと言った露天風呂は、大浴場から少し山を登ったところにあった。手すりに掴まりながら岩の階段をゆっくりと上がっていく。

「…わ、すげえ」

やがて小さな建物が姿を現すと、木の向こう側に湯気がもうもうとしているのが見えた。
辺りに人の影は無く、そこだけが幻想的な風景を醸し出している。

「思ってたより凄いや……さ、行こ、シズちゃん!」

隣で同じように嘆息した臨也に手を引かれて、静雄は苦笑しつつも大人しく更衣室の建物へ入っていった。

ガラ、と扉を開けると、中には誰も居ない。臨也がこっちを見て笑う。

「―…なんだよ」

恥ずかしくなり伏し目がちに問うと、唇に柔らかいものが押し付けられた。

「……んっ…」

カコン、と小気味良い音と共に持っていた洗面器が床に落ち、徐々に壁際に迫られていく。

「っは、いざ…や」

冷たい外気と相反するように、触れあった部分が熱くて堪らなかった。
唇が割られ、更に熱い舌が口内に侵入してくると、脳が溶かされていくような気がした。

誰も居ない更衣室に、段々と荒くなる二人の息遣いだけが響く。
そして、冷たい臨也の手がシャツの下からお腹をまさぐり始めたところで、静雄は我に返ってその肩を手で押し出した。

「…っひゃ、め!」
「――っと…」

唇が離れた。
その一瞬、一抹の寂しさのようなものを感じて、ぶんぶんと頭を振ってそれを打ち消す。
それを見透かしたように、臨也は意地悪な笑みを浮かべて「物足りないクセに」と言った。

静雄は顔が赤くなるのを感じながら、それを無視して床に落ちていた洗面器などを拾う。

「はぁーあ。流石にシズちゃんも浮かれてると思ったのになあ……」

わざとらしい溜め息を漏らしながら、傍で臨也が服を脱ぎ始める。静雄は相変わらず無言で同じように服を脱いでいくが、一方で心臓は、その鼓動を高まらせていた。

――俺だって…浮かれてる

逆に臨也の方がいつも通りな気がして居たたまれなくなり、腰にタオルを巻くと足早に露天風呂に向かった。

すると、

「―――うわ…」

正に"幽玄"という言葉が相応しい景色がそこに広がっていた。昼過ぎの今、そして雪がまばらに降っているせいで日の光はそこまで強くないが、一面雪に覆われた山肌に、木の表面を舐めるようにして張り付いた氷が、雪と混じって光をきらきらと乱反射させている。
そこだけぽっかりと浮いているようで、それでいて自然の中に完全に調和している温泉は、温かい湯気を湛えていた。

「……いざや…」
「ん、どしたのシズちゃん?」
そして思わず、

「…俺、生きてて良かった」

なんて間抜けな事を口走ってしまい、隣で臨也が吹き出した。

「っはは!それなら『お前と結婚出来て良かった』って言ってくれた方が嬉しいなあー」
「……とっとと入ろうぜ」
「無視?……ま、殴ってこないだけ今日はいつもよりやさ…ごめんなさい…」

  ・・・・・

「……シズちゃん、気持ちいい?」
「あ?……あー、そうだな…」

風呂の縁にもたれ掛かって、静雄は目を閉じた。じんわりと身体中に湯の熱が伝わっていくのを感じる。普段、身体的に疲れを感じることが少ない自分であるけれど、こうして温泉に浸かると、芯から疲れが剥がれ落ちていくようで、それが静雄は好きだった。

すると、臨也がすぐ隣にきて静雄の手を取った。いきなりのことにきょとんと相手を見ると、臨也はくすりと笑いながら、指を絡ませてくる。

「……ねえ、幸せ?」

先刻、家を出たときに自分が考えていたようなことを訊いてきたので、静雄は少し狼狽えつつも、絡ませた指をそっと握り返して言った。



「――たぶん、な……」


  ・・・・・

あれから、再び本館へ戻り、その大浴場には"入らずに"部屋の風呂に入り直した。

大浴場に入ろうとしたのだが、臨也によって必死に引き留められたのでしぶしぶ止めたのだ。その理由を問えば、『だってシズちゃんの裸を他の奴に見せたく無いんだもん』と大声で言い出したので、その場で気絶させて部屋まで抱えて来たのだった。

……心配しなくても俺の裸に興味があるような野郎は手前くれーだよばーか。


「ねえシズちゃん、」

風呂上がりに窓の外の景色を眺めていたら、自分と同じく浴衣姿の臨也が話し掛けてきて顔をそちらへ向けた。

「…ん?」
「あのさあ、上の露天風呂で言ってた事なんだけど、」

何だっけ……

思い出していると、何の前触れもなくいきなり身体が引き倒された。息を詰まらせて咳き込みながら、覆い被さっている臨也を恨めしげに睨み付ける。

すると、何処か寂しい顔をした臨也が、ぽつりと呟くようにして言った。

「……俺はシズちゃんと一緒になれて、本当に良かったよ」


その言葉が、心にしんしんと降り落ちて、染み渡っていく。

まるで、雪のように、しんしんと。


手を握られて、上から覆い被さるように唇が触れ合わされる。いつものそれとは違って、まるで壊れ物でも扱うかのように慎重な、本当に優しくて――何処か寂しい……


「……愛してる」



心の底から、


   君だけを。



その時、目頭が熱くなるのを感じて、やりきれなくなって、自分から舌を絡ませていった。


「……んな顔…似合わねんだよ」

「…はは、ごめん…。何だかさ、幸せを感じると……それが永遠に続かないって知ってるから……」

胸が、きゅう、と苦しくなった。

それ以上言わないで



幸せが、

幸せだと思えなくなるから










“永遠なんて、ない。”


2010/12/06






シリアスちっくな夫婦も、たまにはいい。

実は、隠れ裏設定がありますこの夫婦ぱろ。それについては後ほど明らかになると思われます、多分。(笑)
あと、露天風呂ではシズちゃん、鼻歌とか歌ってそうだよね。
まあ、この話の二人も、お酒とか飲みつつ部屋で歌ってたらいいと思うよ。









「♪ああ〜津軽海峡〜ふゆげ〜しきぃー…」

「シズちゃん上手上手っ!」






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