アイツは、とにかく解らねえ。

昔っから掴めねえ奴だった。やっと尻尾を出したかと思って手を伸ばしても、それを簡単にすり抜けて、アイツは去っていく。

俺はああいう、雲みてえな人間は大嫌いだ。

しかも嘘つきで、口を開けば長々と理屈を捏ね繰り回す。

ああ……うぜえ。

なのに、何で俺は今。


「んー、何考えてるの?」
「いや…」

そいつに押し倒されてるんだ?



You've been here.


事の始まりは、2時間前。
いつもの様に静雄は、上司のトムとテレクラの取り立てに勤しんでいた。
その日最後の仕事は、池袋にある小さなボロアパートの一室に住む男だった。

「ったくよー……50にもなってテレクラたぁ、良い年こいたオッサンが何やってんだか」
「そうっすね」

はぁ、と疲れたような溜め息を吐く上司に、穏やかに相づちを打った静雄。
しかし、急に何かに違和感を覚えて立ち止まった。

「………」

静雄?と上司が訝しげにこちらを振り返る――――そしてその瞬間、静雄は近くにあった街灯を引っこ抜いて投げ飛ばしていた。

眼前すれすれを平行に飛んでいく街灯に暫し呆気に取られ、一連の予期せぬ動きに対応が遅れたトムは、慌ててアタッシュケースを抱えて走り去る。
そして、静雄が睨むその先には漆黒の青年――――折原臨也が立っていた。

「やぁ、シズちゃん」

場にそぐわない、不思議な程爽やかな声色が、逆にこの事態の異常さを強調する。
静雄はその声を聞いて、更に額に血管を浮かばせた。

「よーういざやぁ……元気そうで何よりだな。殺り甲斐がある…」

どこかずれた事を口走りながら、静雄は臨也との距離を詰めていく。しかし、臨也はそれに対しいつもの様にナイフを取り出す事も、避ける事もなく微動だにしない。
その様子に、ニィと口端を上げる静雄。

「よく解らねえが…取り敢えず生きることを諦めたって事かぁ?」
「はっ、まさか!」

ガシッと臨也の胸ぐらを掴み上げ、相手の顔を自らの眼前に引き寄せる。

「あら、積極的」

茶化すようにケラケラと笑う臨也に、静雄は微かに異常を感じ取った。

「あ?てめえ…どっか打ったか?」

依然として身体を片手で持ち上げたまま、しかし常とは違う臨也の様子に内心首を傾げる。臨也は静雄を見詰めていたが、やがて身を捩らせ自力で静雄の手から逃れ、

そして開口一番、こう言った。

「俺、東京に居られなくなっちゃったんだよねぇ…」


「……あ?」
「いや、だからさ、東京を出なくちゃならないんだって。」
「………それと、これとは関係ねぇだろーが。」

いきなり何を言い出すかと思えば、自分とは全く関係の無い事で。
しかし、それを聞いた刹那――少しだけ、心臓を掴まれたような。そんな感覚がした。

「えーっ、なんかさぁ、寂しくない?もう二度と会わないかもしれないんだよ?」

クスクスと。
相変わらず嘘なのか本気なのか解らない調子で紡がれる言葉に、沸々と怒りのゲージが上昇していく。

「そりゃあ俺もさ、大嫌いなシズちゃんの顔を二度と見なくて済むって思って、初めは喜んでたんだけど、」
「……だけど、何だよ」
「…ああ、でもやっぱり……」

語りながら臨也がこちらへ身体を近付け、それに一瞬固まってしまったその時。

ふにゃり

と、柔らかい何かが唇に押し付けられた。


「――――あ……?」

「どうせ最後なら、"最後くらい"、仲良くなってみたいなって。さ。」

何が起きたのか、
何をされたのか解らない。

ぐるぐると、思考が混乱する。嫌悪よりも、"困惑"。

臨也は自分の事が嫌いで、
自分も臨也の事が嫌いだという"日常"が、さっきの一瞬で綺麗に引っくり返されてしまった事だけは、分かった。
そして、途端に。
自分が今された行為と、その事の重大さに気付く。



「あ、……ぇ?」

「あっはは!シズちゃん顔真っ赤!割りと人間らしいとこあるじゃない」

―――取り敢えず、目の前で笑う男を蹴り飛ばす。

「お前………今何したか分かってんのか!?ああ!?」
「…ぅ…今、記憶が飛びそうになったけどね…」

ははは、と軽い調子で笑いながら、臨也は叩きつけられたコンクリの壁に凭れ、ゆっくりと立ち上がる。
その様子を見ながら静雄は、目の前の男が何を考えているのかも、自分が何故不思議とそれ程嫌悪感を覚えていないのかも、何もかも解らなかった。

ただ、
胸の奥がざわついて。

それが静雄を不安にさせる。


「…気持ち悪かった?」

こちらを見据え訊ねてくる臨也。しかしその問いに正直に答える事は、今この状況の静雄には躊躇われる。

「……」
「ねぇ、お願いがあるんだけどさぁ」
「…あ?」

「仕事を終わらせたら直ぐに、俺の家に来てよ。」



――そして、のこのこと新宿の高級マンションに来てしまったのだ。
何故だろう?分からない。

自分で自分が分からなくなっていた。
ただ、珍しく弱い調子だった普段の天敵が気になっただけ……そうだ、それそれ。

実は、そんなことを言い訳にする時点でもう既に色々といつもの彼から遠ざかっていたのだが、静雄は無理矢理そう思い込む。
意を決して、――破壊せず――きちんとインターホンを押すと、機械越しに臨也の声が聞こえてくる。瞬間、胸が跳ねた。

『あら、本当に来てくれたんだ』
「……悪いか」
『あはは!いや?ま、入ってよ』

常とは違う状況にやりにくさを感じつつも、静雄は目新しい通路を渡り、何とか臨也の住む部屋まで辿り着いた。今思い返すと、実際臨也のこの家に入るのは初めての様な気がする。

そうこうしていると、ガチャッと目の前のドアが開いて、中から臨也が静雄を迎え入れた。

「……割りと、つか無駄に広いな。」
「ははっ、まあねー。あ、その辺の書類触らないでね。」

廊下を少し歩いたかと思うと、すぐ脇のドアが開かれ、中に漆黒のベッドがある部屋に案内される。こちらもやはり、一人暮らしには勿体無さ過ぎる程の十分な広い部屋だった。カーテンとベッド位しか無い部屋だが、中にあるものは全て黒で統一されている。

「……ていうかよ、何でベッ」

何故寝室に呼ばれたのか疑問に思い、それを口に出した瞬間。
再び臨也に口付けられ、言葉は中途半端に呑み込まれてしまった。

「ん、はっ…おい…いざ…」

力ずくで引き剥がそうと腕に力を込める―――しかし、その抵抗は弱まっていく一方だった。

唇を割られ、更に口付けが深くなっていく。

「っ……ん…!」
「ん、シズちゃん…」

何でだ
何でだよ…

何で何で何で!

力が入らねぇんだ……っ


次第に抵抗する気も薄れてゆき、静雄は、完全に行為を臨也に委ねてしまう。

他人との、このような深い交わりは慣れないものだった。
静雄だって、それなりに経験はあるにはある。だけど、直ぐに突っぱねたり、終わったりする事が多くて。

――こんなにも優しい触れられ方は、初めての経験だった。


そう

臨也の触れ方は
どこか、優しい。


「シズちゃん……」

――――…ドサ


既に頭は、ぼうっとして脳が上手く働かない。

唇が離れた。

それに気付いた瞬間、
静雄はベッドに押し倒されていた。


  ・・・・・

ここで話は冒頭に戻る。

ベッドに押し倒されたことに気付いた時、静雄は、ハッと我に帰って回想していたのだ。

「んー、何考えてるの?」
「いや…」

臨也の行動の理由には、もう何となく気付いていた。
言葉にすることは躊躇われるけれど、多分、それを許容している自分も………。

……本当に、どうかしてるな。俺も。

自嘲気味に口端を上げると、ひやっとした感覚が、お腹の辺りから広がった。

「………本気なのか」
「冗談でこんな事出来ないよ」
そして再び深く口付けながら、静雄は相手の背中に手を伸ばした。




流されて、俺は。

何処まで行くんだろう。





――――

朝。

見慣れないベッドの中で目を覚ました静雄は飛び起きる。

「おはよう」

ハッと声のした方を振り向くと、既にシャワーを浴びた後らしい臨也が、真っ黒な私服で悠々とコーヒーを啜りながらドアの所に立っていた。

すると、一気に昨夜の出来事が思い起こされて、逃げるように布団を被る。

――何であいつはあんな余裕なんだよ!!

「あ、今シズちゃん、『何であいつはあんなに余裕なんだ』って思ったでしょ?」
「お、もってねえ!!しね!」
「ははっ、嘘ばっかり」

ギシッと、ベッドが軋む。
それで、見えなくても臨也がベッドに腰かけたのだと気付いて、更に深く布団を被った。

「…シーズちゃん?」
「死ね!つか、今何も着て……ぁっ……変なとこ触るな変態!!」
「あっははー、可愛いねぇシズちゃんは。期待以上の反応だ、なあ!」
「―もがっ!?」

頭の辺りを上から押さえ付けられ、呼吸が出来なくなって咄嗟に顔を出した。

「てめ……―っ!?」
「ん。おはよう」

それを逃すまいと顔をがしりと固定され、唇を掠め取られる。口の中にコーヒーの苦味がふわりと入り込んできて、そしてそれは一瞬で終わった。

にやにやと。
何処までも。

何がそんなに嬉しくて。
何がそんなに楽しいのか。

でも、今その感覚は自分にも少しだけ分かる気がした。

「……で、肝心の引越しはいつなんだよ手前」

気が抜け、ベッドの縁に凭れかかり上半身を起こして気になっていた事を問う。


「ん?何の事?」


一瞬。
何を言われたのか解らなかった。




  ・・・・・

1ヶ月後 池袋――そして、あれからまたいつもの"日常"。

前と少し変わった事は……



「あーあ、また彼奴ら喧嘩おっ始めてんぞ。」
「相変わらず凄いっすよねぇ……門田さん、止めに入るんすか?」
「ん、いや…何か彼奴らよ、最近前よりもあっさりしてるっつーか何つーか……」
「ボーイズにラブ度が更に増しちゃってるって言いたいのかな?ドタチン!」

「「違う」」


……狩沢が言っていた事も、あながち間違ってはいない、という話。






2010/11/28




――――――
ハイネさまリクエストのイザシズでした。い、如何でしたでしょうか…?ドキドキ。
趣味全開の『くっついてるけどくっついてないイザシズ』になってしまいまして、いやはや……申し訳ございません…。

精進致します……

キリ番を踏まれてハイネさまがまだこちらのサイトを覚えていて下さっている事を願って……
ありがとうございました!^^


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