綱髑





















「おはよう、ボス」


目覚めてすぐにそう言う妻の微笑みを見るのはもう結婚してからずっとのことだった。
勿論眠る寸前に見るのも彼女の微笑みに決まっている。

妻は関白宣言の歌のままのように夫より遅くも起きず夫より早くも寝なかった。
食事はいつだって美味しいし何時見ても彼女はやはり美しい。
夫が思う。
自分の妻に成長は来ようとも老いというものは来ないのではないかと。
(そう夫が家庭教師に零せばお前もだと呆れ半分に返されてしまった。)




「……ん、おはよ…」
「ふふっ、ボスったら今日もお寝坊さん。もう9時だけど…」
「うえっ!?…まじで?」
「うん。でも大丈夫。今日はお休みでしょう、ね?」




時間を聞いて焦った夫の心はしゅうと沈下する。
ジェットコースターのようにアップダウンが激しい感情を持っていると彼はとうの昔に自覚していた。
いつもなら自信満々で会議に遅れる時間だったが、今日はどうやら休日だったらしい。
ボスという仕事は不定期に休みがやってくるから困る。
曜日感覚がすっかり狂ってしまっていた。




「なんだ…そっ、か………んんー…じゃあ、もう少し…」
「だめ。ちゃんと起きて一緒に食べるの。約束した」
「う、ん……あー…わかった…わかった、から、」




妻の揺さぶりで声を震わせながら夫が答える。
ちゃんと用意してるから、来てね。
返事はしたもののまだぼんやりと眠い頭で夫は彼女の声が世界で一番美しいのではないかと思っていた。
いや、確実に一番美しい。
賭けてもいい、スターチップ3個ぐらい。
嗚呼、どうしてあんな素敵な人が俺の嫁なんだろう…とかなんとか夫が考えている間に妻は朝食を温めていた。
階下から漂う好物のにおいにようやく夫の頭も目覚めてくる。




「クロームー、朝ご飯なにー?」




階段を降りながら母親にでも訊くようにメニューをたずねる。
妻は黙ってテーブルに朝食を並べていく。
料理上手な妻の作る食事は誰の料理より美味しいと夫はいつも職場の人間に惚気ていた。




「うわ、旨そう」
「先食べていいよ。もうすぐポテトが出来るから」
「ううん、待つよ。一緒に食べよう」




エプロンは夫の母がうきうきと用意したものだった。
フリルたっぷりで「恥ずかしいからいいよ」と言ったのにどうやら彼女は気に入ったようだ。
華奢な肩に纏わり付くフリルとそれにちらちらと掛かる長い髪の後ろ姿が夫は好きだった。
くるり、と振り向くとふわんとスカートの裾が揺れた。
そういう女らしい所も好きだった。




「…はい。今日はね、リクエスト通りにマカロニサラダ。珈琲と紅茶どっちがいい?」
「んー…珈琲、あ、やっぱ紅茶!」
「お砂糖は?」
「いいよ」




きつね色に焼けたハッシュドポテトをテーブルに出し、妻はマグカップを二つ棚から出す。
二つ並べるとハートの形が見えるなんとも恥ずかしいというか照れてしまうそれは結婚するときに夫が嬉々として買ったものだった。
ああ、やっぱり親子だなあ。
妻はくすりと笑う。
茶葉に熱いお湯を注いで透明から赤茶色になったところでマグカップのお湯を捨てて紅茶を移す。

湯気がもわもわと沸き立つマグカップを一つは夫の前に一つは自分の席に置いてようやく腰を落ち着ける。
自分の向かいの席には新婚の朝から変わらない優しい顔をした夫が座っていた。
この人は成長はしても老いないのかもしれない、と妻は思った。
夫も同じことを思っていたのでそこは流石夫婦の成せる技というか、とりあえず彼等はお互いを老いないものと疑いながら今日も明日も明後日も、新婚の頃から変わらないラブラブっぷりを発揮しながら生活していくのである。























20100817.

ひろ様へ。
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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