骸M























陽射しの強い初夏の昼辺りであることを感じさせない快適なホテルのラウンジで、品の良い男女が席に着いてお茶を楽しんでいる。
至って普通の、人混みの中を齷齪と働くのとは別の人種の内ではに限る、何でもない光景であった。
地上から何十メートルも離れたここでは時間の進み方まで穏やかで空気が違う。
ただの記者でしかない自分からしたら居心地が悪いことこの上ない。
どうして有名人はホテルで会見やらインタビューやらをやりたがるんだ。
お蔭様でこっちはこんなに何とも言えない気分を味わっているというのに。

そこで、隣のテーブルに座るカップルの男の方が声を発した。
上品な落ち着いた声に興味をそそられて、そっと会話を聞き取ろうと耳を澄ます。
そろそろ誕生日ですね、何か欲しいものはありますか。
男は女にそう訊いた。
成る程、彼女の方はもうすぐ誕生日なのか、と運ばれてきた珈琲に砂糖を入れて掻き混ぜる。
どうせシャネルの鞄が欲しいだのフェラガモの靴が欲しいだのそういうセレブ気取りなおねだりが出てくるのだろう。
全く、よろしいことだ。


「そうね…」


お、と珈琲を啜りながら思う。
女の方も凛とした綺麗な声をしていた。
甘ったるい嫌な猫撫で声でも出すのかと予想していたのに。
ただちょっと気のきつそうというか、プライドが高そうというか、そういう声だった。
さて、そんな彼女は一体何が欲しいと言うのだろうか。


「このホテル」


………ホテルだと?
思わず咳込みそうになるのをぐっと堪える。
変な所に入った液体のせいで涙目になる、が怪しまれるといけないのでハンカチで汗を拭うフリしてごまかす。
いやいやいやいや、ホテルが欲しいなんて聞いたことがない。
そうだ、幻聴か聞き間違いに違いない。
第一、彼氏の方も冗談だと流すはずだ、と思った自分はつくづく一般人だった。


「ホテルですか?」


そうそう、普通は本気だとは思わないよな。
うんうんと一人頷いて一緒に頼んだスイーツに手を伸ばす。
甘いものが、好きなのだ。
まあそれは良いとして、彼氏はうーんと少し考えるそぶりを見せている。
考えることもなく即決で無理だとは思うのだが、愛する彼女からのおねだりにそれは些か酷いので一応は悩むポーズを取っているのだろう。


「そんなもので良いんですか?」


おや、彼氏よ、見栄を張るなよ。
後で泣きを見るぞ。


「ええ、このホテルが良いわ。何か問題ある?」

「いえ…ただ、」


ほーら見ろ。
これで後には引けなくなったがホテル一つお買い上げなんて出来るわけがないだろう。
心の中で笑う。
見栄っぱり男子、ざまあ。


「ただ、何よ」

「去年の誕生日はドバイに別荘が欲しいって言っていたじゃないですか」

「ああ、確かあの時は骸ちゃん、ドバイは用意出来ないからってタヒチに別荘とパリにサロン作ってくれたのよね」

「だから、ドバイの別荘じゃなくて日本のホテルでいいんですかと訊いているんです」

「だってアタシここの内装気に入ったんだもの。ね、骸ちゃん、今年のプレゼントはここがいいわ」


………なんだこの会話は。
ドバイの別荘?
代わりにタヒチ?
パリにサロン?
こんなホテルでいいか、だと?
ここは日本でも有数の素晴らしいホテルであるというのに?
嗚呼、やはり金持ちの考えることは違う。
こんな会話をサラリとやってのけるカップルは一体どんな人達なのだろうと、ちらりと横目で見る。
そして、唖然とする。


「おや、どうかしましたか?」

「…っ、いっ、いえ!何も…すみません」

「そうですか」


どうやら男が微笑みながら自分に声をかけるまで、じっと見てしまっていたらしい。
女は怪訝そうな顔をしていた。
はー…天は二物も三物も与えるものだな…どうしてこうも差があるのだろう。
そう溜息を吐いてしまうぐらいに二人はなんていうか、すごかった。

彼氏の方は藍色の髪が男のくせにさらっさらで長い。
ちょっと特徴的な髪型も彼がやるとなんだかそれっぽい。
赤と青のオッドアイはカラコンだろうか。
厭味なぐらい似合ってた。
動作もこう、優雅な感じで、如何にも育ちの良さそうなお坊ちゃん。
シャツにネクタイにパンツ、それに膝上までのブーツを履くなんて奇抜な格好も、いい男がやると違和感がない。
モデルみたいなやつだと思った。

彼女の方も負けないぐらい美しかった。
ラズベリー色した髪をショートにして、爪は深い青色で、生れつきかと思うくらいその色彩がしっくりくる。
あ、爪、彼氏の髪の色に似ている、もしや意識してのことだろうか。
自分が予想した通りに気のきつそうな女だった。
しかし黒い服がとてもよく似合っていて、もしもあんな顔でなく、それこそ男と同じように緩く微笑んでいた人形のように映ったことだろう。

記者という職業柄、人を箇条書で分析するのは最早癖のようなものだった。
並べてみると面白い程に対照的なカップルだ。
青と赤、白と黒、柔らかいときつい、長いのと短いの、だけど同じように美しくてなんだかもう神様って不公平としか言いようがない。


「そろそろ行きましょうか」

「…もうそんな時間?」

「お前の飛行機は確か3時発だったでしょう。ぼやぼやしてると遅れますよ」

「やだ、空港で買い物してから乗るつもりだったのに!時間ないじゃない!」

「ちゃんと送って差し上げますよ」

「ありがとう骸ちゃん!大好きよ」

「はいはい、ありがとうございます」


大層なお金持ちカップルは席を立ち去るらしい。
大好きという台詞を軽く流した男に女は「なによ、その態度は」と文句を言っていた。
けれどもまあやはりと言うべきか、柔らかくて幸せそうな顔をしていた。
贅沢で甘い空気を御馳走様。
珈琲は非猫舌の自分からしたら随分と温く感じたがたまにはそんなのもいいだろう。

数日後、例のホテルからは看板が外されていた。
どうやら彼氏はきちんと彼女にプレゼントを贈ったらしい。
ハッピーバースデー、名も知らない彼女。


















20100707.
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