ディノビア





















別れよう、と言ったのはあいつだった。私は特に縋り付く理由もないのでそれを承諾した。あいつは大変情けない顔をして、今までありがとうだの、本気で好きだっただの、たらたらと言い訳を述べるから私は少し泣きそうになった。

それから月日は何事もなく、本当に何事もなく穏やかに慌ただしく過ぎていった。私はとうにあいつのことを忘れていた。いや、もしかしたら忘れてはいなかったのかもしれない。ふと手が伸びる香水はあいつ好みのものだったり、何気なくつけているアクセサリーがあいつからのプレゼントだったり。ディーノは私の意識的な無意識の日常にまで深く食い込んでいた。出掛ける前に一吹きした香水はいつもと変わらないクロエ。クロエなんか柄じゃないってわかってるのだけどこれもあいつが似合うと喜んでプレゼントしてくれたものだった。今じゃ街中に溢れ返っているのに。


「ビアンキ、準備はいいか」
「ええ、リボーン。行きましょう」


正装と夜がとてもよく似合う男の腕に私はそっと手を預ける。ぴたりと寄り添うとブルガリの香りがした。男には今日だけのエスコート役をお願いした。そして彼を笑ってやるのだ。

残念ね、私は何とも思っていなかったのよ、と。


「ビアンキ!」
「この度はお招きありがとう、跳ね馬ディーノ。随分変わったのね」
「お前は変わらず綺麗だな。ま、ゆっくり楽しんでいってくれよ」


爽やかに笑って彼は通り過ぎていった。白いスーツに金色の髪と瞳、甘いマスクに低くて暖かい声。何も変わっていないのに何かが違う彼に、ああ月日はやはり流れていたのだと気づかされた。

隣にいたはずのリボーンはいつの間にかいなくなっていた。きっとどこかで女を侍らせているのだろう。別に私はステディでも何でもないから気にしないけどエスコートするという仕事を忘れないでほしい。

ボーイからシャンパンをもらって開放されているバルコニーへ出ると夜空には申し訳程度の三日月と星が光っていた。森の中だからかやたらに澄んだ光だったけど、物足りなかった。きっと会場のシャンデリアが眩し過ぎるせいだ。このパーティーが一段落するまでここで時間を潰そう、そう思ったとき不意に隣に人が立った。


「…何の用かしら」
「ん?いや、月でも見ようかと思って」
「あら、そう」


ディーノは私と同じようにシャンパンを片手にバルコニーの柵に肘をついた。私は黙ってグラスに口をつける。手首から香るクロエが妙に腹立ただしかった。


「ビアンキ」
「何」
「来てくれてありがとう」
「あの跳ね馬の一世一代の晴れ舞台ですもの。どんな失態を曝してくれるか見物だと思ったのよ」
「ははっ、相変わらず酷ぇなあ」


ありがとう、とまたディーノは言った。私は黙ってグラスに口をつける。シャンパンの味はちっともわからない。するとディーノはバルコニーの隅の方、会場からは見えなくなる方に歩いていき、そこから私を呼んだ。馬鹿じゃないの、そんな死角に入ったらいつ殺されたって文句言えないわよ、馬鹿じゃないの本当に。あなた私が殺し屋の肩書きを捨ててないって知ってるでしょう、本当に馬鹿ね。


「何かしら」
「ビアンキ…」


私の腰と後頭部にディーノの骨張ってそれでいて体温が高い手が回る。ぐい、と強く引かれる。彼は私の肩に顔を埋めて泣きそうな声で言った。


「来てくれてありがとう。もう二度と会えないかと思った」
「…いつでも会おうと思えば会えるわよ」
「ああ、うん、そうだな。ビアンキ、俺お前を攫っていきてぇよ。逃げてやりたい」
「ディーノ、」
「………悪ぃ、お前の前ではかっこよくいようって思ってたんだが…やっぱり無理そうだ」
「ディーノ」


そっとディーノの頭を撫でた。金色の髪はワックスで固まって本来の柔らかさを失っていた。彼は私の肩でぐすぐすと鼻を鳴らした。

なんて正装の似合わない男だろう、と思った。彼に似合うのは寝癖と適当なTシャツとジーンズだ。私もなんだか泣きそうになってすんと息を吸った。エルメスが鼻腔を擽る。蓮の香りにずっと昔のあの頃が思い出された気がした。

彼はとうとう結婚する。広い会場に戻った途端彼はするすると人波にさらわれていった。私は輪の中心に立つ幸せそうな彼の新妻をぼんやりと眺めていた。砂糖菓子みたいな、苦労なんかなんにも知らないで生きてきたように見える女だった。さっきまで何処かへ行っていたリボーンが私を支えるように隣に立っていた。






















ナイルの庭

20100523.
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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