小説 | ナノ


▽ 「 ただいま 」


*未来捏造



風介がおひさま園を出てから春が来るのはもう4度目になる。クララはそんなことを考えながら快晴の日の下、真っ白なしわ一つ無いシーツを綺麗に真っ直ぐ干していた。クララの性格上、思ったことははっきりと言わないと気が済まなくて、風介がおひさま園を出るときも、クララは周囲を驚かす一言を風介に送った。

『私は、あなたが好き。
けれど、なにも成し遂げず帰ってきたなら私はあなたと口をきかないわ』

風介はそれに少し微笑んで頷き、いってきますと皆の声援を背に受けて門を出て行った。もうそれから4年が経とうとしている。今子どもたちの昼食を作っている玲名だって、部屋の片付けをしている杏だって風介が此処に戻ることはきっと無いと、この4年で知った。
けれど、未だにクララは風介が帰ってくると信じている。洗濯物が籠から無くなったのを確認してリビングのソファに座り、たまたまやっていたドラマに目を向ける。
ーーーそのドラマの内容が、あまりにも自分と風介に似ている気がしてどきりと心臓が高鳴るのを感じリモコンでテレビの電源を落とした。その内容とは、ある二人の幼なじみが離れ離れになるのだけど、最後には再会して幸せに暮らすというありふれたものだった。男の子を送り出してあげるときに、素直にいってらっしゃいと言ってあげられず、ずっと後悔していてもしも帰ってきたなら、笑顔でおかえりを言ってあげようとしているという主人公が、風介が出て行くときに、いってらっしゃいと笑顔で送ってあげられなかったことを後悔していて風介の笑顔を思い出す度に帰ってきた風介を笑顔でおかえりと言って迎えてあげたいとしている自分に、ひどく似ているのだ。そして、再び出会えるドラマとは違いずっとクララは風介を待っている。
けれど、彼のことだ。明日にでも、もしかすれば今日にでもひょっこりと帰ってきてただいまと素知らぬ顔をして、玲名の作ったカレーを食べていそうな気もしないことはない。

「クララ、クッキーができたぞ」

「今はいいわ」

「そうか。…風介のことか?」

玲名がクララの横に腰掛けた。クララはそうだと言わんばかりにその憂いを帯びた瞳を伏せた。クララのことだから、きっと人前で泣いたりはしない。この子が泣くときは、一人で寂しく声を殺して震えているんだろう、玲名はクララを見つめ、肩に手をかけた。
ーーその時だった。
がちゃりと玄関の扉が音を立てて開いたのだ。クララも玲名も恐る恐る扉の方を見た。もしかして、そんな小さな期待といや、あり得ないと自己否定する気持ちを抑えてゆっくりと顔を向ける。
そこには、杏がいた。

「ただいまー!買い出し終わったよー。晩ご飯はハンバーグにしたんだ」

「そうか、ありがとう。杏」

いいよー、と杏は着ていた薄手のカーディガンを脱いでハンガーに掛けてから規則正しく手を洗ってうがいをし、自分のための紅茶を淹れてクララに話しかけた。

「あ、そうそう!さっきそこの公園で風介に似た人を見たよ。すっごい似てたけど4年も会ってないから本人かはわかんないなー」

クララはそれを聞いた瞬間、いても経っても居られなくなってソファから立ち上がり、杏とは色違いの薄手のカーディガンを羽織ってからそそくさと玄関を後にした。残されたのは玲名と杏。玲名は良かったな、と自分の紅茶を淹れてから杏の前に腰を下ろす。杏はなにがなんだかわからなかったが、玲名が作ったクッキーを美味しいと言いながら口に運んでいた。

ーー風介は、風介はどこに?
杏の言っていた公園に着いたのだけれど、まるで風介の姿が無い。風介どころか、大人がいなくて小さな子どもが二、三人、砂場で遊んでいるだけだった。
(やっぱり、杏が見たのはきっと別人…。)
クララは一瞬でも期待し走ってきた自分を恥ずかしく思って、しばらくおひさま園には帰りたくないと公園のベンチに腰掛けた。この公園はあのときと全く変わらない。でも、あのときは確か桜が咲いていて、そして風介がいて…、クララは頬に触れて初めて自分が泣いていることに気付く。
ーー何を今更、昨日と同じ様な日ではないか。なにがこんなに、悲しいのだろう。
頬に流れる涙は次々に溢れてきて、止まることを知らなかった。生まれて19年、こんなにも涙が止まらないのは二度だけである。一度目は、この公園で思い切りこけたとき、あの4歳の頃。そのときは風介が静かに頭を撫でて、大丈夫だ、だから泣くなと、わたしが君を守ってやるから泣くなと慰めてくれたのをクララは思い出した。今はもう、風介はいないのだ。

「なにをしている」

「…?」

聞き慣れたその声、懐かしいこの景色。足りなかったパズルのピースがはまったかのように全てが晴れ渡っていく。

「なぜ泣いているんだと聞いている」

「す、ず、…のく、ん」

自分が相手を見た瞬間、自然と紡いだその名前に胸を高鳴らせる。まさか、まさか。本当に風介がクララの前にいることなど、夢の、それこそドラマの中の話だと思っていたのに、クララの涙に濡れた頬に触れる風介の手があまりにも優しくて、それでいて冷たい感触にふと我に返った。

「うそ、ほんとに、…?」

「ああ、私だ。まさか忘れたとでも言うか?」

ぴたりと止まっていた涙は風介に会えた喜びと驚きと4年間張り詰めていた糸がぷつりと切れたものが全て溢れ出してまたもや涙は止まらなくなったのだ。言葉が、言いたかった全てが詰まって、思ったように言葉が出ないのだ。

「そ、そんなことな、!」

やっとの思いで言い出せた言葉が途切れる。なぜ、それは風介がクララを抱き締めたからである。
クララの止まらない涙に風介は胸を締め付けられて見ていられなかったのだ。力強く抱き締めたときに風介は、クララがこんなにも華奢で脆く、儚いものなのだと改めて気付かされたのだ。自分は彼女を近くで守ってあげられなくなる、彼女に思いを伝えずに出てしまったと風介も後悔していたのだ。

「私は…、君の全てが好きだ。君の全てを見たい。君の全てを愛したい。けれど、…君の泣いている姿はあまり好きではないんだ。」

「……」

「どうか泣かないで欲しい。私は君との約束は守れなかった。君を守ってやれなかった。でも、出て行くときの約束は守れたんだ。私はイタリアでユース入りを果たしたぞ。やることは成し遂げた。」

「…」

「休暇を貰ったんだ。日本に戻って、本格的にこっちで暮らす準備をしてほしいって。だから、私に必要なものを取りに来たんだ。」

「す、ずの…」

「4年も待たせてすまなかった。…クララ、君が大好きだ。だから、私とイタリアに来て欲しい。君に支えて欲しい。君を、…一番近くでクララを私が守りたい」

「うん、おかえり…!」

クララは風介の背中に手を回す。
ーーああ、結局笑顔でおかえりを言ってあげられなかった。
でも、今はそれどころではない。風介に言われた一言一言、風介が発した一文字一文字がクララの全身に染み渡って、溶けるように涙に変わった。
今は、悲しい涙じゃない。嬉しい涙に変わってる。クララは涙を拭かなかった。ここに、悲しみも喜びも、4年間を全部今流しきろうと流れる涙を止めなかった。風介もただその細い彼女の涙が溶けるまで抱き締めていた。

「ところで、クララ」

ベンチに座って、小さい桜の芽を見つめながら風介は口を開いた。クララは泣きはらし赤い目を風介に向けて首を傾げた。

「なに?」

「その、…返事を聞かせて欲しいのだが…」

風介が言葉を言うにつれて声が小さくなっているのが照れている証拠であったがクララにはそれさえも愛おしく見えるのだ。にっこりと、いつになく優しい笑顔を浮かべるクララを風介はどんどんと明るい表情になって見つめた。

「勿論、一緒に行かせて欲しい。私を、守って欲しい」

「ああ!当たり前だ!」

風介は再びクララを抱き締めた。言葉では伝えきれないほどクララが愛しくて、守ってやりたくて。そしてベンチから立ち上がり、風介が帰るか、と手を差し伸べる。
懐かしい。あのときも、風介はクララの手を取っておひさま園に帰ってくれた。クララはその景色を鮮明に思い出した。
(あの頃には、まさか彼に守られたいだなんて…、考えられないわね)
クララはそっと風介の手に自分の手を重ねた。昔とは違った、無骨な手。自分とは違った、大きな手。風介の少し照れくさそうな横顔をクララは心に焼き付けておひさま園に戻った。

「準備は出来たのか?」

「ええ」

3日後、いっぱいいっぱいの荷物を詰め込んで今にもはちきれそうな鞄を見て、杏は可哀想、と顔をしかめた。一方玲名は笑顔で、二人の様子を見つめていた。

「本当に行くんだな。クララ、風介」

「ええ。年に一度は此処に戻ってこようとは思っているけど」

「頑張ってね!クララも風介も!なにかあったら連絡してよ?」

玲名と杏、他にも華や愛、瞳子や子どもたち、皆が二人を見送ってくれた。いってきます、と二人門を出ると、背中に皆の『いってらっしゃい』と言っている声が聞こえる。振り返ると、皆笑顔だった。クララの求めていたいってらっしゃいは今皆が見せてくれた。クララは皆の声を背に風介と空港へ向かった。


ーーーーーー

「あ、おかえりなさい。ご飯出来てるわよ」

がちゃりと玄関が開いて、そこには気の抜けた笑顔の風介がいた。クララはもう、当たり前の様に風介に笑顔で、『おかえり』と言っている。あの時は叶えたくても叶えられなかった『おかえり』に、風介はいつも玄関に立つクララに笑顔で言う。

「ただいま」






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12.31

いきなりイタリアとか、結婚してたりとか妄想詰め込んでますが楽しかったです(笑)
この二人は幸せになってほしいです…←この二人に限らずそうですが(笑)




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