×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

ミルキーウェイの人肌


「いだだだ?!」

「すみません、何分不慣れなもので」

「あー!ぶちって言った!今ので髪が何本か持っていかれたー!」

「あはは」



早朝でまだ人気の少ない廊下にまで響く叫び声が途切れたのは、そこから5分も経った後だ
持っていかれたであろう髪を惜しむ様に撫でるルシティカの利き手は指にまで伸びる包帯で覆われている。そんな手で持てない為に置き型に姿を変えた鏡を覗き込み、ルシティカは笑みを堪え切れなかった


「わあ、凄いぐっちゃぐちゃ!あはは、なにこれすごーい!」

「マスターが訓練中に利き手を怪我しなければこういう事にならなかったんですよ?良く反省するように」

「うっ…」

「まあ不幸中の幸い、これ以外の日常動作には問題ないだけでも良しといたしましょう」



そう、この利き手の怪我というのは戦闘技術の向上を目指した訓練で負ったものだ
今となっては人理最後のマスターだなんて言われているものの、ルシティカも元は藤丸と同じく魔術師の世界なんて知らずに生きてきた平凡な一般人
ただの一般人が少しでも戦えるレベルに引き上げる為の訓練で怪我を負っては意味のない事、それを良く理解しているルシティカは甘んじて天草からのお小言を身一つで受け続けた


「全治何日とドクターに聞かされているのですか?」

「んー…大体5日くらい様子見だねって言ってた
その間はシロウに私の髪を結ぶ権利を与えよう!」

「この5日の間にマスターの髪がどれ程、犠牲になるか楽しみですね」

「そこは!善処するという言葉を要求します!!」

「まあ、冗談は置いておきまして」



自身からのお小言に牙剥く事無く、黙って受け入れているルシティカを殊勝だと見た天草の態度が少し軟化したと思えばこれである
天草本人は冗談だと言っているものの、今の言葉は冗談でも何でもないとルシティカは瞬時に察した。天草四郎という男は1度言った言葉は冗談と飲み込まず、有言実行するタイプだ



「純粋になのですが、こういう役割は私よりも旗の聖女の方が適任なのでは?何故、マスターは私を任命したのですか?」

「…そう、だけど」



──水面上に吸い込まれる雫の落下音で、ルシティカは水の中を漂うかの如くに浮遊していた意識を取り戻す



「はい、マスター。終わりましたよ」

「……」

「…ルシティカ、どうかしましたか?」

「…ジャンヌ〜」

「あらあら」



利き手を負傷した己がマスターを心配し、浴室への同行を名乗り出てくれたジャンヌへルシティカはたまらず抱き着いた
こんなに甘えたで、弱いばかりではいけないと分かっているのにこうして受け入れ、頭まで撫でてくれる友の懐の広さというものに何度も飛び込んでしまう


「今日は随分と甘えてくれるのですね、何か悩みがあるのなら聞かせてもらえませんか?」

「うん…あのね、ジャンヌにこうやって髪を洗ってもらうの嬉しいの」

「光栄です、私もルシティカの髪は柔らかくて好きですから」

「ジャンヌだけじゃない、ドクターやリツカ、ジャンヌ、ダヴィンチちゃんが触ってくれると気を許してもらえてるんだなって嬉しい
だから、シロウにも触ってもらいたいなって思ったの。でもシロウはこの怪我を負った責任を取ろうとしてるだけみたいで、余計にシロウが遠いなって思ったの」



結局ルシティカは天草からの素朴な問いかけに対し、適切な解答というものを持ち合わせていなかった
偶然にその場にかかったミーティングの為の呼び出しに助かったとさえ思ってしまった。だってルシティカはただ天草に触れてほしくて、彼にそんな我儘に付き合って貰ってるだけなのだから
こんな我儘を解答として彼が聞いていたらどうしただろう。呆れてしまうだろうか、幻滅してしまうだろう。遠い存在である天草から指を伸ばしてもらうにはこれしか、幼いルシティカは考えつかないのだ
そして不意に鼓膜を揺らす微笑、湯気で煙る浴室ではあるが、その振動に気付いたルシティカは小さな頬を大げさに膨らませながら、ジャンヌを抗議する為に見上げる



「む、ジャンヌ笑ったでしょ」

「つい…ふふ、あまりにも可愛らしい悩みでしたので
そうですね、私から言える事は──」



「…マスター、眠っているのですか?」

「んー…起きてる、よ……」

「もう少し眠ってはいかがですか?また後で起こしに伺いますよ」



今日で天草が自分の髪を結ぶ様になって4日目
昨日の経過診断で明日には包帯が取れるだろうと言われている、明日で早朝のこんなやり取りも出来なくなってしまう
名残惜しくて嘘をついて、治った腕に包帯を巻き続けてしまおうかなんて思ってしまうが、それはだめだとルシティカは自分を宥める
ルシティカに対し真摯な天草やジャンヌへ、自分も真摯でいたいのにそれをやってしまえば信頼を失う
昨夜、ダヴィンチに貰った魔術師としての指導書を読みふけった為に押し寄せる睡魔に飲み込まれそうになる、それを許す天草の言葉―ルシティカが陥落するには十分すぎる条件であった


「マスター?」

「……だっこ」

「…………」



自分のたった一言に天草が絶句したのが分かる。何だこんな単純な事で動きを止めるなんて彼も存外、単純な所があるんだな―そんな事を考えてルシティカは微睡みの淵で微笑む
彼の外套を掴んだ手が僅かな間を置き、解かれる。まあ当然だとゆっくりと落ちていく意識とは逆に浮遊する感覚に、ルシティカは顔を下に向け、そして上を見上げる



―あ、…シロウ、あったかい



どうやらおとぎ話のヒロインみたく、自分が天草に抱き上げられているのだと理解した瞬間、ルシティカの唇からは穏やかな寝息がこぼれた
ひと時の平穏を享受する様な穏やかなルシティカの寝顔にかかる真っ白な髪を横へ逸らし、天草は少女の利き手を覆う、彼女の髪色と同じ色味を帯びた包帯に触れる

天草四郎という存在は英霊で、この怪我を負うべきは本来はルシティカでなく自分であった
訓練であり、そして戦えもしないというのにルシティカは天草へ放たれた炎の要素を帯びた攻撃から身を挺し、こうなった
大海原を舞台とした特異点でもそうであったが、この少女といると疑問ばかりが生まれる。何故特異点修正の為の小さな犠牲を見過ごせないのか、どうして自分が傷つく方ばかりを選ぶのか

きっと魔術師ではない、ただの一般人だからこそルシティカは誰かが傷つくという非日常を受け入れられないのだ
誰も傷付く事のない日常を、魔術師でもなかった彼女は渇望する、綺麗ごとで絵空事でしかないそれの温かさ、幸せを知っているから
──遠い昔、いつか同じ様な事を願った男が極東の地にいた。そんな記憶を掘り起こすと同時、



「良い夢を、マスター」



少しだけ、この平凡なルシティカ・エヴァノールというマスターの結末を変えるのもいいかと思った
極東の地で迎えた惨憺たる結末を、彼女にとってのハッピーエンドになる様に祈る事を天草は選ぶのだ






『私から言えることは──待っていてあげてほしい、という事です
大丈夫です、ルシティカ以上に貴女の祈りを共に届けたいと思える人はいませんから。だからその時までは、腕を広げて待っていてあげてください。彼―天草四郎時貞という青年を』